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「大学」は、いつできたのでしょう?

…現在の日本での大学と言えば、
明治時代以降のもの、ですよね。
明治維新、文明開化、欧米列強の風!
追いついて追い越さなきゃ、ということで、
「大学制度」も海外から輸入した。

「国がつくった大学」という意味では、
「帝国大学」がそれに当たります。
1886年(明治19年)に
「帝国大学令」により設立された教育機関!

最初は東京だけでしたが、
その後、全国の主要都市にできていきます。
京都、東北、九州、北海道、
京城(ソウル)、台北(台湾)にもできて、
大阪、名古屋にも。
この9つが帝国大学。
戦後には、京城と台北を放棄したため、
残り7つの帝大が「旧帝大」と呼ばれます。

…この帝大(旧帝大)以外にも、
早慶、早稲田と慶應をはじめとする
「私立大学」が、各地にできていく。
各都道府県にも、大学ができていく。
これが、日本の近代以降の「大学」です。

…でも、これらはあくまで欧米から
「輸入」したものですよね。
そもそも欧米の「大学」はどうやって
できていったのでしょう?

本記事では、そのあたりを書いてみます。

大学は、英語で「university」
ウニベルシタス、universitasという
ラテン語が、universityの語源です。

「uni」(一つに)プラス
「versus」(向きを変えた)。
「みんなで一つの方向に行く」すなわち
全体、宇宙、世界、組合という意味の言葉。

つまり「大学」という意味のuniversityは、
もともとは
「一つの目的を持った組合」の意味でした。

…何の組合か? 学生の組合、です。
そう、別の言葉で言い替えるなら、
学生の「ギルド」から、universityが生じた。

ギルドとは、西欧の中世において、
「自営業者」たちが友愛精神に基づき、
「相互に助け合うために」結成した
身分的な「職業団体」のことを指します。

これを学生たちが転用した。
一人だけで学ぼうとすると不便で大変。
相互に助け合うために向学の士が集結する…。
これが学生のギルド。後にuniversityに。

面白い話がありましてね。

最初の校則は学生を縛るものではなかった。
何と「教師を縛るもの」だったんです。
「学生ギルドに無断で授業を休まない」
「学生ギルドに無断で都市から出ない」など
生徒に無断で勝手なことをするな!
というルールを作る。これが校則の起源。

しかし教師側も負けない。結集・団結する。
「教師のギルド」が、できていく。
この学生と教師の集まりのことを、
まとめてuniversity、と呼んだのです。

…近代からの日本の「帝国大学」とは、
全くイメージが違いませんか?

帝国大学は近代化のために
国が「上から」作らせたもの。
それに対し、元々のuniversityとは、
学生や教師が集まって自然発生的に
「下から」つくった「組合」だった…。

中世ヨーロッパの大学を見ていきましょう。

イタリアのボローニャという街では、
11世紀くらいに
ヨーロッパ最古の総合大学ができました。
…「くらい」とは、自然発生的にできたため
いつできたのかがよくわからないのです。

一方、フランスの首都、パリでは、
12世紀頃に聖堂や修道院付属の学校の
教師たちが、権力者の介入を防ぐために
結集して「パリ大学」ができました。
13世紀には、宮廷付の司祭、ソルボンが
貧しい学生向けの「ソルボンヌ学寮」
という「家」をつくります。
生活の心配なく勉強と教育に集中する場所。
…ここから「ソルボンヌ大学」が生まれる。

12世紀くらいには、このパリ大学で
イギリスの学生が学ぶことを禁じられた。
この頃の英仏、争っていますから。
パリから移住してきた学生たちは
オックスフォードで大学を結成。
これが「オックスフォード大学」の起源。

しかし1209年には、殺人罪に問われた
二人の学生が処刑されてしまったため、
オックスフォード大学、一時解散。
街から逃れた学者や学生が
ケンブリッジという街に移住して、
新しい大学をつくる。これが
「ケンブリッジ大学」になります。

…繰り返しになりますが、このように
中世のuniversityは「自然発生的に」
学生や教師が結集して作ったものです。

そのため、中世の大学には、いわゆる
決まったキャンパスがありませんでした。
「教会」「普通の家」など、
使える場所ならどこでも授業が行われる。
大学とは、物理的な場所ではなかった。
「学生のギルド」と「教師のギルド」が
一つにまとまった組合に過ぎなかった。
互いに結び付けられた個人の集まり…。

ゆえに、学生と教師の関係も、様々です。

例えばボローニャ大学では、
学生がお金を出し合って
教師を雇う形を取っていました。

だから教師を縛る「校則」ができたんです。
内容も、需要に応じて、多種多様でした。

一方のパリ大学は教会が中心となり、
「教会から」教師の給料が出ていたために
教える事柄は「神学」が中心。

さて、ここで疑問が一つ出てきます。
「教える」つまり「教育」はともかく、
「研究」はどのように行われていたのか?

実は、当初のuniversityでは
「研究」はあまり行われていなかった。
研究は、あくまで個人単位。
同じ分野の仲間だけで集って行うもの。
universityではなく民間の「アカデミー」
つまり、学術団体、学会で行われていた。

主に教育をする「大学」!
主に研究をする「アカデミー」!
この「教育」と「研究」の分離状態を
統合した大学
は、どこか?

それは、19世紀のプロイセン(ドイツ)で
創立された「ベルリン大学」です。
フンボルトという教育学者が作ったために、
ベルリン・フンボルト大学とも呼ばれる。

これが、世界各国の新しい
「大学」のモデルになっていきます。
森鷗外・北里柴三郎・寺田寅彦など、
明治の日本を彩る学者たちもここで学び、
帰国した後に、そのエッセンスを伝える。

つまり日本の「帝国大学」とは、この
ベルリン大学流のuniversityなのです。
本来のuniversityの起源とは
性格が違うのも、当たり前なのです。

最後に、まとめます。

本記事では「大学」の起源を
中世ヨーロッパから近代国家まで
つなげて見てきました。

最初の大学は「自然発生の集まり」
近代になって「研究と教育の機関」
言わば「下から」「上から」の
異なる二つの性格がある、とも言える。

人生100年時代。生涯、学び続ける時代。
現代では自主的に学ぶことが大事ですよね。

…そう考えた時、私は
「上からのお仕着せの学び」ではなく、

◆「使える場所ならどこでも学ぶ」
◆「互いに結び付く個人の集まり」
◆「一つの目的を持った学生組合」
◆「自分で何を学ぶか決めていく」

本来の大学の起源、
「ウニベルシタス」「ギルド」的な精神
より必要ではないか…と思うのです。

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