見出し画像

野菜というものは畑から収穫されるもの。

当然、土や泥がついていますよね。
不揃いなものも、本当はたくさんある。

それなのに、水で綺麗に洗われて、
いい形のものが選別され、
綺麗な形になってスーパーや八百屋などの
店頭に澄ました顔で並んでいる。

消費者はそれをさらに見定めて買って、
皮をむき、熱を加え、焼いたり煮たりして、
ようやく食卓に並ぶことになります。

もちろん、コンビニで買う
調理済みのパック入り料理には
土や泥など、少しもついておりませんよね。

本記事は、こういう例えから、
「経験」と「調理済み情報」について書きます。

…本屋に行けばいわゆるノウハウ本などが
所狭しと並んでおります。
SNSを少し見てみれば、
「年収〇〇円への秘策!」などの旨い話が
ごろごろと転がっている。

これは、調理済みの野菜料理のようなもの。

土や泥などは、見えません。
あたかも「最初から」綺麗なままで食べられる、
かのような錯覚に陥りがちです。

でも、よく考えてみれば、

そういったノウハウや秘策などの情報は、
誰かが土の中から汗水たらして掘り出して、
それを誰かが食べやすいようにと
綺麗にして調理して、ほらどうだと
加工したもの
、なんですよね。

目の前に並べられて、
実際に食べられるようになるまでには
けっこうな手間がかかっているんです。実は。

でも実際の料理を見ているだけでは、
それが土の中に埋もれていたことを
ついつい忘れてしまいます。

場合によっては、
消費者にそれを思い起こさせないようにと、
うまく加工し、味付けされているのです。

それを知らないままで、
例えて言うと、幼児が
「人参は最初からカットされて工場で生産される」
と錯覚するかのように
消費するのは良くない、と思うんですよね。
実際の土と泥にまみれた人参畑を知らないままで…。

情報も、畑で採れた人参と同じです。

本当は、泥も土も、ついているんです。
そういう「土臭い経験」から成っている。
それが、たくさんの人の「主観」を経て
「取捨選択」された上で、綺麗な見た目で
目の前に並んでいるに、過ぎない。

…もちろん、何が何でも一次情報が大事だ、
自分でありとあらゆるものを経験して
自分の目と耳でつかんだものしか信じるな!
と言いたいわけではありません。
死ぬまでの時間は有限。
そんなことをやっていたら
いくら時間があっても足りない。

ですけれど、目の前に並ぶまでの過程を
すっ飛ばして情報をすべて鵜呑みにするのは、
ごろごろ野菜を噛まずに飲み込むようなもの。
いつかはお腹を壊しかねない。
そのように言いたいのです。

まとめていきます。

◆誰かの経験→加工・調理→情報

これを、天から降りてきたかのように、
最初からパッケージされた情報かのように、
そういう錯覚にとらわれてはいけない。

その裏にある汗水と苦悩、
綺麗に洗い流された土や泥、
取り除かれて捨てられた不可食部分、

そういったものも「想像」した上で、
栄養バランスを考えて、
よく咀嚼してから摂り入れたい。

時には「野菜ジュース」などを活用するにしても
その素材や成分、メリットやデメリットを
吟味した上で飲みたい
ものです。

読者の皆様は、いかがですか?

情報を出す時に、取捨選択して、
消費者が読みやすいように「加工」してませんか?
その加工の過程を想像しないまま、
誰かの情報を「丸呑み」に消費していませんか?

情報の元になる経験は、実は
土や泥がついた野菜。


私も、つい忘れてガツガツと飲み込みがちなので、
気を付けたい、と思っています。

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!