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本記事では50年ごとに日本史をかいつまんで
書いてみたい、と思います。

1600年の「関ヶ原の戦い」以降。
あくまで私なりに取捨選択して、
はしょりながら書いております。

◆1600年頃:江戸幕府ができる
◆1650年頃:幕藩体制の土台
◆1700年頃:綱吉と元禄文化
◆1750年頃:中興の祖、吉宗
◆1800年頃:家斉と化政文化
◆1850年頃:ペリーの黒船来航
◆1900年頃:日露戦争前夜
◆1950年頃:占領からの独立回復
◆2000年頃:復興と「失われた〇〇年」

では、早速。

◆1600年頃:江戸幕府ができる

東西の兵力が激突した
「関ヶ原の戦い」は1600年!
ここで勝利した徳川家康は
大坂に豊臣家を残しつつも
江戸に幕府をひらき天下を握ります。

その後、仮想敵の豊臣家を滅ぼし、
キリスト教の島原・天草一揆も鎮圧。
西を押さえて東から、
約265年も続く盤石の江戸時代を築くのです。

◆1650年頃:幕藩体制の土台

1651年に四代目の将軍、徳川家綱が就任。
この頃には江戸幕府の土台も固まり、
同年に起こった「由井正雪の乱」も
難なく鎮圧しています。

いわゆる「幕藩体制」の時代…!

少数の「武士」たちが政治を行い、
町人や農民たちはその支配に従います。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」の
身分制の社会が固まっていく。

◆1700年頃:綱吉と元禄文化

ただ、さすがに100年近くも経つと、
幕府の治世にもほころびが見えてきます。
新田は開発、商業や経済は発達し、
「平和の中での流通」が生まれてきていた。
100年前には想像できなかった世界です。

この頃は五代目の将軍、徳川綱吉の治世。
「元禄時代」ですね。
彼から「吉」の一字をもらったのが
紀州藩主の息子、徳川吉宗でした。

◆1750年頃:中興の祖、吉宗

八代将軍の吉宗は「享保の改革」を実施!
1745年には家重に将軍職を譲りますが、
隠然たる勢威を持っています。

彼は米の価格に振り回されたため、
「米将軍」という異名を取りました。
「暴れん坊将軍」じゃないんですね。
幕府の「中興の祖」とも呼ばれた。
彼の活躍で幕府は建て直されていきます。

◆1800年頃:家斉と化政文化

徳川家斉は、第十一代目の将軍です。
1800年を挟んだ1787年から1837年、
何と「約五十年」も将軍の座にいました。
子どもの数も半端なかった。
幕府の財政は、徐々に傾いていきます。

この頃の文化・文政時代の江戸では
「化政文化」が栄えます。
2025年大河ドラマ『べらぼう』の主人公、
江戸の敏腕出版プロデューサー
「蔦屋重三郎」もこの頃に活躍した人!

…ただ、徐々に欧米列強の船が
日本列島にも迫ってきていました。
ロシアからラックスマンがやってくる。
他の列強も通商を求める。
幕府は、外交問題にも頭を悩ませます。
そんな中、1800年に
蝦夷地を測量していたのが、
日本地図をつくった伊能忠敬なのでした。

◆1850年頃:ペリーの黒船来航

「大塩平八郎の乱」は起こる。
「天保の改革」がうまく行かない。
世情が徐々に騒然としてきた頃。

1853年、ペリーの黒船来航!

国内は大騒ぎ、まさに内憂外患です。
一気に「尊王攘夷」の嵐が吹き荒れる。
1860年には大老の井伊直弼も襲われ、
江戸幕府が徐々に崩れ去っていく…。

◆1900年頃:日露戦争前夜

明治新政府は「文明開化」
欧米流の富国強兵政策を採っていきました。

「攘夷」を旗印にしてきた志士たちは
不満を募らせていきます。
1877年に「西南戦争」が勃発しますが、
新政府軍が圧倒的に勝つ。
時代についていけない人たちを
撃滅した形ですね。

1889年には近代的な憲法をつくった。
1894年からの日清戦争にも勝利する…。
西を押さえつつ、西の海を渡る。

そこに北から圧力をかけてきたのが
ロマノフ朝のロシア帝国。
1900年は、1904年からの日露戦争に向けて、
着々と準備をしていた頃でした。
国産の「黒船」をたくさんつくる。
1902年にはイギリスとも同盟する…。

◆1950年頃:占領からの独立回復

日露戦争、第一次世界大戦を乗り越え、
国際連盟の常任理事国入りまで果たした日本!

しかし1929年からの「世界恐慌」と
列強の「ブロック経済」を前にして、
国内の資源に乏しいこの国は
領土を広げる方向で打破しようと試みます。
満州国建国。中国、東南アジア、
次いで太平洋にも進撃していきますが…。

1945年、第二次世界大戦、敗戦。

領土は一気に縮小、
連合国軍総司令部の占領を受けました。
独立を回復するのは、1951年のことです。

◆2000年頃:復興と「失われた〇〇年」

アメリカ合衆国を中心とする
「西側」の立場に立って、冷戦下の世界で
奇跡の復興を成し遂げた戦後日本!

安く資源を輸入、付加価値を付けて、
製品を輸出する「加工貿易」がうまくいった。
高度経済成長、バブル景気、
一気に世界有数の経済大国になりました。

…ただ、1991年からのバブル経済崩壊からは
「失われた〇〇年」とも呼ばれる
落ち込みが開始していきます。
1995年、2011年に「大震災」も起きる。
東京一極集中はますます進んだ。
少子高齢化・人口減少もからみ、
徐々に経済は落ち込んでいく。

そして現在へ…という状況です。

最後に、まとめます。

本記事では1600年から50年ごとに
日本史を見てきました。
さて次の「2050年」には
日本はどんな状態になっているでしょうか?


「50年ごと」にこうして見ていきますと、
1600年頃から約265年ほども続いた
江戸時代がいかに長かったかが分かります。

明治新政府は近代化を
かなりの急ピッチで行わざるを得なかった。
欧米の仕組みや文化を直輸入、
「超速」で仕上げていかなければならなかった。
当然、日本古来からの文化に
合わない部分もたくさんありました。

「和魂洋才」という言葉があります。
第二次世界大戦中には
明治時代の「文明開化」の反動もあり
日本独自のカラーを前に出しましたが、敗戦。
戦後は一転、アメリカの傘の下で
社会をつくりかえていきます。

ただ、2020年代の現在、
昭和の世界ではうまくいったシステムが
制度疲労でうまくいかなくなってきている…。
「不適切」になってきているのです。

「日本の伝統的な会社」は
「JTC」と隠語で揶揄され、
もはや時代遅れだ、ともよく言われる。

どこを残し、どこを変えていくべきか?
2050年に向けて、どのように各々の人生、
各々の組織の舵取りをしていくか?

そのヒントは、歴史の中で
それぞれの人物や組織が無限に下してきた
「選択」にあるように思うのです。

歴史は、教訓の宝庫です。
ぜひ、読者の皆様もご自身なりに、
ご自身の今後の活動に役に立つように
まとめてみてはいかがでしょうか?

※みなもと太郎さんの漫画
『風雲児たち』も参考までにぜひどうぞ。

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