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「カルテ・ド・ビジット」と「あとは当社がやります」

古代より、偉い人は自分の「顔」を残すために、
お抱えの宮廷画家などに自分の顔を描かせました。

肖像画、と呼ばれるものです。

ただ、人間が人間を描くのですから
そこには恣意的なものも入ります。
ましてや、絶対的な権力を持った人から
「わかってるよね?」「美化して描け!」
と言われれば、逆らうことなどできません。
宮廷画家も、命が惜しいので…。

有名なところでは、
中国の王朝、明の創始者、朱元璋(洪武帝)の
肖像画の話
があります。

いかにも聖人君子、温和なイメージの
肖像画が残されているのですが、その一方で、
いかにも悪人面、漫画の悪人的な
醜悪なイメージの肖像画も残されているのです。

明の次の清王朝の学者である張翼は、
この明の朱元璋(洪武帝)を
「聖賢、豪傑、盗賊を兼ねている」と評しました。

「聖賢」が、聖人君子の肖像画。
「盗賊」が、悪人面の肖像画。
この二系統の肖像画は、彼の複雑な性格を
歴史に残している
、と言えるでしょう
(本当はどっちが実際の顔に似ているのか?
…これはまあ、ご想像にお任せします)。

本記事はこのような「肖像画」から、
「写真の普及」の歴史について、書いてみます。

冒頭に書いたように、偉い人、権力者は、
その富を使って、
画家たちに肖像画を描かせることができました。

では、普通の人、民衆たちは?
それがなかなかできなかった。

肖像画を描く(描かせる)のは、
けっこうな手間がかかりますよね。
モデルとなる人は、画家が描き終わるまで
じっと動かずにいなければいけません。
しかも、もしその出来栄えが気に入らなければ
最初からやり直しです。
…こういうことは、
時間と財布に余裕がある人しかできない。

「もっと、パッと、簡単に、安く、
自分の顔を残すことができないだろうか?」

それを実現したのが「写真」でした。

1839年、ダゲールという人が
「ダゲレオタイプ」という撮影技術を開発。
これはわずか30分で、鮮明な画像を
銀板に映し出すもの。

折りしも産業革命などが起こった後のことです。
有名人や各界の名士たちは、
こぞってこの「ダゲレオスタジオ」に行って
自分の「真実の顔」を映し出させます。
…みんな、自分の「肖像」が欲しかったんですね。
肖像画ならぬ、この「肖像写真」は、
瞬く間に世界中へと広がっていきました。

さて、需要が増えれば、技術改良も進むものです。

1851年、アーチャーという人が
「コロジオン法」(湿板)という技術を発明します。
これは、金属板を使ったダゲレオタイプに対し、
ガラス板を使って「ネガ」を作る方法でした。

撮影時間、わずか数十秒程度に短縮!
しかも材料費が安く、ネガを作るわけなので
何枚でも複写(焼き増し)も可能!

あっという間に、この技術も世界中に広まります。
ちょうど幕末だった日本にも伝来。
上野彦馬という幕末の写真家は、
かの有名な高杉晋作や坂本龍馬の写真を
この技術によって撮影したそうです。

「…この技術、もっと簡略化すれば商売になる!」

1854年、そう考えたのが、
フランスの写真家、アンドレ・ディスデリです。
彼は、このコロジオン法を応用し、
4つのレンズがついた特殊なカメラで
8枚・12枚の写真を撮影する技術を発明し、
特許を手に入れます。

「カルテ・ド・ビジット」と名付けられた
この「名刺判写真」は、爆発的な人気を呼びました。
社交界では、このカード式の写真名刺を
交換することが流行します。
価格も安く、それまで50~100フランだった
「肖像写真」が、カルテ・ド・ビジットでは
わずか20フランで売り出されました。
…そりゃあ、みんな、使いますよね。

また、有名人のカルテ・ド・ビジットを
たくさん焼き増しして販売する人も出てきます。
それを集めるコレクターも登場します。
まあ、アイドルのブロマイド写真のようなものです。
さらに言えば、プリクラ、チェキでしょうか?

このように、「肖像画」→「肖像写真」
→「カルテ・ド・ビジット」と推移していく中で
写真はどんどん「大衆化」していきます。
ほんの一握りの限られた者だけが
「自分の顔」を残すことができた時代から、
誰もが「自分の顔」を残すことができる時代へ…。

となると、自分が愛する家族の写真を撮って、
それを記録として残す、こともできる。
そう、家族写真、家族アルバムです。

「写真館にわざわざ行くのではなく、
もっとお手軽に、自分の家族たちの日常の
飾らない写真を自分で撮って残していきたいな…」

そういう需要が、生まれていきます。
人間の欲求は、果てしないものです。
…それをぐっとつかみ、商品化した人がいます。
ジョージ・イーストマンという人です。

1888年、彼は、透明で柔軟な写真フィルムを発明し
それをあらかじめ装着したカメラを世に出しました。
そう、ここまでは「専門的な技術を持った写真家」が
主に撮影をしていたのですが、
「素人でも写真を撮影できる」ようにしたのです。

「あなたはボタンを押すだけ、あとは当社がやります」

イーストマンのコダック社は、
こんなキャッチフレーズで
カメラとフィルムを売り出していきました。
カンタン・オテガル・ワカリヤスイ、の三拍子。
…当然ながら、爆発的な人気が出まして、
多くの家庭では、自分なりに撮影する
アマチュア写真家たちが増えていきました。

このような経緯を経て、さらに技術や商品も発達
(日本でも『写ルンです』がありましたね)、
現在では、スマホでデジタル写真も簡単に撮れる
お手軽に画像を手に入れられる時代になっています。

まとめていきましょう。

写真が大衆化していくにつれて、
「自分」の顔を残すことが
簡単にできるようになりました。

宮廷画家に描かせていた頃から考えると、
何という技術の発達でしょうか!

ただ、上述したように、
「自分(や家族)の顔を残したい!」
「もっとお手軽に、安価に!」という
人間の欲、需要がない限りは、
ここまでの発達はなかった。


そう考えると、人間はつくづく
「自分の生きてきた道」「歴史」「自分の顔」を
何らかの形で残そうとする
生き物なのだなあ…と思います。

どのような「顔」を残すかは、自分次第です。
最近では、自動的に美化してくれる
アプリも出ています。
明の朱元璋のように、聖人君子の顔だけを
残すようにすることも、できます。

(しかし、あまりにもそれが恣意的なものだと、
悪人面の顔もまた、他人によってばらされ、
歴史に記録されてしまうものですが…)

さて、読者の皆様はいかがでしょうか?
どんな「空間」を、切り取りますか?
どんな「顔」「歴史」を、残していきたいですか?

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