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実はたくさんある門 ~ぐるり東大、門巡り~

本郷の東大の門…と言えば「赤門」オンリー
そう思い込んではいませんか?

「けっこう広いですからね。
赤門だけではなく他の門、例えば
裏門もきっとありますよね?
全部で4つくらいはあるんでしょうか?」

では、実際にいくつ門があるのか?
ネットで調べてみますと…。

≪本郷キャンパス≫
◆赤門
◆正門
◆西片門
◆弥生門
◆池之端門
◆鉄門
◆龍岡門
◆春日門
◆懐徳門
◆学士会分館前門

≪弥生キャンパス≫
◆農正門
◆地震研通用門
◆農南門

≪浅野キャンパス≫
◆言問門
◆浅野北門
◆浅野東門
◆浅野南門
◆浅野正門

4つどころじゃなかった。実は多い。
そうなんです。赤門だけではないんです!

本記事ではこの「東大の門」について
実地で巡ってみましたので、
レポート風に書いてみることにします。
(下部にリンクを貼った
「本郷の地下喫茶店」レポートの続編です)

上野駅の西、東京ドームの東のあたり。

近くの駅は「本郷三丁目駅」
大江戸線と丸の内線の駅が
「本郷三丁目」の交差点近くにある。
そのあたりが東大の本郷キャンパスです。

交差点から北に少し進むと…
出た出た、見えてきましたよ。
有名な『赤門』だ。本当に赤い!
でも開いていません。閉まっている。
詳細な耐震診断などを行う必要があって
現在(2024年)閉鎖中だそうです。

門の近くの「説明書き」を読んでみます。
1827年に加賀藩主へと嫁いだ姫、
第十一代将軍徳川家斉の娘。
彼女のために建てられた
「朱塗りの門」とのことでした。

…そうなんです。

現在の東大の本郷キャンパスは、
江戸時代に加賀藩の前田家の
藩邸があったところ
を中心に
つくられています。
「参勤交代」があったので、各地の藩は
江戸に「出張所 兼 大使館」を持っていた。
「藩邸」と呼ばれるお屋敷。
加賀藩は大大名ですので、敷地が広かった。

江戸末期の安政の大地震や
明治元年の火事によって
そのお屋敷のほとんどは焼失しましたが、
この「赤門」は、ずっと残っている…。

さて、もう少し北に進みます。
『正門』が見えてきました。
この門が、一番大きい。
門から向こうを目を凝らして見てみれば、
遠くに「安田講堂」が見える…。

あえてこの門では入らず
さらにぐるりと北に向かっていきます。
『西片門』が見えてきました。
ここから敷地に入れば工学部。
この名前は「西片町」という
昔の町名に由来している、とのこと。

さてここまでで「本郷キャンパス」は
厳密にはいったん途切れます。
道路を挟んで北側のエリアは
「弥生キャンパス」と呼ばれる。
農学部中心の建物群。
さらに東に向かえば、
「浅野キャンパス」です。
実験室などが建ち並ぶエリアになる…。

その弥生キャンパスを望みながら、
「本郷弥生」の交差点を東へと曲がる。
ぐるりと本郷キャンパスの壁沿いに
進んでいってみましょう。
そうすれば弥生美術館の向かいに
『弥生門』が見えてくる。

「…やよい。弥生って、日本史の
弥生時代と何か関係があるんですか?」

おおありです。

1884年、考古学に興味のある学生たちが
このあたりで大昔の土器を発見した。
縄文土器とは違う…。
そこで、このあたりの町名「弥生」から
弥生土器と呼ばれるようになった。
この土器が使われた時代が弥生時代

…ですので、もし本郷で見つかっていたら
弥生時代ではなく「本郷時代」と
呼ばれた可能性もあるということですね!
(注:弥生二丁目遺跡は
現在の浅野キャンパス内にあります)

歴史の息吹を感じながら、
本郷キャンパスの北側から東側へ、
進んでいきます。
『池之端門』に到着。
これはもう文字通り、地理的に池の端。
もう少し東に進めば「不忍池」、
その向こうは上野公園になります。

この門からぐるりと回り込む形で
東側から南側へと進んでいけば
『鉄門』にたどり着く。

「て、鉄門…? そんなのあるんですか?
赤門とはまた違って、
黒そうで堅そうな門ですよね…」

その通り。「鉄でできた門」があった。

実は東大医学部の前身、1858年にできた
「種痘所」の門が「鉄」だったんです。
厳密に言えば、厚い板を鉄板で囲って、
鉄板の間を丸い釘で打ち付けて
真っ黒に塗ってあった…とのこと。

ゆえに種痘所のことを
町の人は「鉄門」と呼んだ。

この種痘所が神田から移転して、
後に「東大医学部」になりました。
医学部の異称は「鉄門」です。
同窓会の名は「鉄門倶楽部」
医学部への入口、象徴の門…!

一度撤去されたのですが、
医学部創立150周年を記念して
復元されたそうです。

ここから道なりに南側から西側へと戻れば
『龍岡門』『春日門』『懐徳門』
これらはそれぞれ
「龍岡町」「春日通り」それに
前田侯爵家のお屋敷「懐徳館」から
名前を取った、とのこと。

そして振り出しに戻って
「赤門」へ。これで、ぐるり。

…では、せっかくですので
鉄門のあたりから大学内に
入ってみましょうか。

大学病院の脇を抜けて「御殿下グラウンド」
その横には有名な「三四郎池」があります。

せわしない東京の真ん中とは思えない自然!
亀たちが、ゆっくり甲羅干しをしている…。
もちろん、この池の名前は、
帝国大学の講師だった文豪、夏目漱石の小説、
「三四郎」から取られています。

この池から少し北に歩けば、
有名な「安田講堂」へと辿り着く。
青空に高く、時計塔がそびえていて
時を刻んでいました。

「ここに学生が立て籠もったりして、
騒乱が起こったのか…」

今やその殺伐とした雰囲気はなく、
のどかな撮影スポットになっていました。
ただ、私がこの安田講堂まで
はるばる歩いてきたのには理由がある。

…実はこの安田講堂の「地下」に、
食堂&カフェがあるんですよ。

『孤独のグルメ』の
原作漫画(二期)にも出てきて、
井之頭ゴローさんが
「学食サンダーバード基地」と表現している。
(彼はここで「赤門」と名付けられた
赤くて辛いあんかけ麺などを食べています)

昼の時間帯は
学生さん・関係者優先で!と
入口の看板には書いてありましたが、
その時間が過ぎれば遠慮なく
私のような訪問客も利用できます。

私は、アイスの乗った
クリームソーダ
を注文しました。
はるばる、ぐるりと門巡り。
カロリーを消費した身体に、
爽快な白と緑の清涼飲料が
じゅわっと染みわたっていく…。

一息入れて、安田講堂を背に
まっすぐと西に歩いて正門から出る。
…こうして私の
「ぐるり東大、門巡りツアー」は
終了したのでした。

最後に、まとめます。

本記事では、本郷の東大の「門」などの
歴史について書いてみました。

◆「これしかない!」「オンリーワン!」

そんな思い込みを脇に置き、
ぐるりと眺めてみれば、
ルートは、門は、いくらでもある…。
世の中においても
そんなことが多いのではないでしょうか。

「赤門」だけではない。
時には、スローペースで眺めてみては?

東大の様々な門や、三四郎池の亀たちに、
私はそう気付かされたのでした。

※丸の内線の本郷三丁目駅の近くには
「異世界への門」のような
昭和レトロの喫茶店があります。
『孤独の(いなお)グルメレポート
~本郷三丁目の「麦」~』

※本郷キャンパスの門の
開門・閉門時間などはこちら↓

※こちらのアパコレ東京さんの
記事を参考にしました。
『東大の「門」!
開門時間・最寄学部などのご紹介♪』
地図も載っています↓

※漫画(原作)『孤独のグルメ』の
安田講堂下の食堂を紹介している記事は
こちらから(己(おれ)さんの記事です)↓

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