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ドラクエとFFのせめぎあいがもたらしたもの ~今から30年ほど前のJ-RPG化

ある玉稿を、引用したい。
水野隆志さんの文章。
『RPG伝説 90年代編Ⅰ』という本の
中にコラムとして掲載された
文章からの引用である。

(ここから引用)

『1991年にRPGは大転機を迎えたが、この年2大タイトルの他方である『ドラゴンクエスト』(以下『DQ』)シリーズには新作がなかった。
『DQⅤ』が出たのは翌92年、スーパーファミコンでは初のリリースである。そしてここで『DQⅤ』が下した決断は、RPGの歴史において決定的な意味を持った。
『ファイナルファンタジーⅣ』が生み出したドラマ性重視のコンセプト、すなわちJ-RPGというスタイルに対して、『DQⅤ』はそれを拒まず、むしろ需要する姿勢を見せたのである。
後世になって結果論的な見方をする人は、この決断に格別の疑念を抱かないかもしれない。だが、『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』はもともとが異なるシリーズであり、提供してきたゲーム性にも違いがあった。
それはビートルズとローリング・ストーンズの違いにも似て、王道とそのアンチテーゼとしての位置づけにあったのだ。
そうした状況下で、『ドラゴンクエスト』はライバルである『ファイナルファンタジー』が作り上げたスタイルに軌道修正を図った。それは、ビートルズがそれまでの曲風を変えてローリング・ストーンズ風の曲を作ったようなものだ。
逆に言えば、ユーザーのドラマ性への希求は、『ドラゴンクエスト』のスタイルを変貌させるほどの力を持っていたとも言えるだろう。
この時、『DQⅤ』がJ-RPGへの歩み寄りを見せたことにより、RPGとストーリーは不可分の存在となった。
戦闘をコツコツと重ね、キャラクターの成長を楽しむというスタイルは旧世代となり、成長を通して感動を味わうことが当世流となったのだ。
このスタイルは90年代後半に至って欧米にも拡大していく。日本がゲームの発信源として世界に冠たる地位を手に入れた理由は、RPGの発展がJ-RPGという独自のスタイルに帰結したことにあるのだ。』

(引用終わり)

ゲームは、アニメと並んで
日本が世界に誇る
優れたコンテンツだ、と言われます。

PRG(ロールプレイングゲーム)の
世界においては、
ドラクエとFFが相互に高め合い、
発展させた
ということは、
特に中年世代の皆様は
よくご存じのことかと思います。

1992年頃。
上記の文章でもあるように、
ドラクエがⅤにおいて
ストーリー性をより重視した
作品を打ち出したこと。

もちろんⅢでもⅣでも
ロトの伝説であったり
章別仕立ての物語であったり
ストーリーはあったのですが、

Ⅴは確かに、より
「家族」のストーリーを
大きく打ち出した作品だったなあ

私は覚えています
(ビアンカとフローラの
どちらを選ぶか、一昼夜悩みました)。

ここからは私の推考なのですが、

「コツコツ戦闘を重ねて成長」から
「成長を通して感動を味わう」ことへの
スタイルの変化。

これはいままさに、
30年後の2021年~2022年に、

私たちがリアルに直面している
「終身雇用から個別成長へ」
「リザルトからプロセスへ」
の変化と重なるのではないでしょうか?

つまり、成長や実績そのものを
売りにするのではなく、
その「過程」の「ストーリー」を
楽しみ、感動していくこと、

これこそがいま、より求められている
ことではないでしょうか?

RPGの世界では、
これが30年前に起きていました。
つまり、30年、時代を先取り
していたのではないでしょうか?

だからこそ、日本のゲームは
世界に冠たるものに
なったのではないでしょうか?

ドラクエやFFは
日本のみならず世界中でヒットし、
今でもなお、最新作が作られています。

自分のストーリーが描けないよ…!
過程をどうやって見せればいいんだ?
そう悩んでいる方は、

ドラクエとFFの歴史、
特にその歴史の分岐点となった
1992年頃、ドラクエⅤの路線変化、
そういうものを
参考にしてはいかがでしょうか?
そのためのヒントが、
この二つの作品群には
いたるところに散りばめられている、

そう思います。

(例:FFⅣで
ブラック企業勤務の暗黒騎士セシル
「試練の山」に登って、
鏡に映った自分の姿と戦って
つまり「壁打ち」「キャリア相談」
を通して、自分を見つめ直して
ホワイトな聖騎士になる、とか…)

以上、水野さんの文章から、
私なりの考察を付け加えて
書いてみました。

「な、なるほど…」と
思われた方は、ぜひ
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(ビアンカとフローラで
悩んだ方もぜひポチっと(笑))

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