見出し画像

近世~近現代の日本史を三つに分けると…?

徳川家康が江戸幕府を開いたのが1603年。
約四百年以上、現在まで
「江戸・東京時代」が続いています。

この約四百年余りの近世~近現代を
どう切り分けるか?と考えた時、
私なら「三つ」に切り分けます。

①1603年:江戸幕府成立

≪約265年≫「近世」江戸時代

②1868年:明治時代開始

≪約77年≫「近代」明治~昭和20年

③1945年:戦後日本開始

≪約77年≫「現代」昭和20年~現在

(2022年:本記事執筆現在)

…それぞれの分かれ目の
キーパーソンを挙げるなら、この人たち。

①徳川家康(とくがわいえやす)
②西郷隆盛(さいごうたかもり)
③吉田茂(よしだしげる)

本記事ではざっくり
日本史の近世~近現代を三つに分けて
この三人を軸に略史を書いてみます。

①1603年:江戸幕府成立

徳川家康が江戸幕府の初代将軍。
2023年の大河ドラマの主人公です。

以来、1867年の「大政奉還」まで、
260年余りも幕府が続く。…長い!
それまで戦国時代だったことを
考えますと、比較的平和な江戸時代開始が
いかに画期的な時代の分かれ目だったか
後付けの解釈から分かります。

家康とその後継者たちは
「江戸」を中心に幕府が
地方の各大名を支配しながら、

その領地内の政治は各藩に任せる
間接統治の方式を取りました。
基本は「地方自治」です。

しかもその配置は、実に巧妙。
親藩、譜代大名、外様大名という
徳川家の親戚、徳川家の家臣、他の大名、
これらをうまく組み合わせて配置し、
相互に「監視」させる。

問題が起きたら「お取り潰し」。
領民になじんできたら「国替え」。
トップの大名は「参勤交代」させ
幕府の目の届く江戸に来させたりする。

地方自治とは言え、
できるだけ「幕府一強」になるよう
目を光らせている…。

民衆の支配も、また巧妙です。
政治をするのは一握りの「武士」。
相互監視をさせています。
「五人組」制度もありましたね。
「公儀隠密」のスパイもいました。
「キリスト教」「海外情報」はご法度。

そう、江戸幕府の支配とは、
お互いにお互いを見張らせ
「それぞれの領域を守らせる」
「出る杭は打たれる」
という
『下剋上封じ』の側面があるのです。

対外的には(「出島」など例外はありますが)
『鎖国』政策を採り、
「火縄銃」は「花火」に代わり
「遠洋航海」する大型船が作れない
平穏な世の中が続いていく…。

安定・平和。その代わり、
進歩の芽が摘まれてしまう…。そんな時代。


そのため、いざ幕末となり、
アメリカ合衆国のペリーの軍隊が
「最新式の銃」を持ち「黒船」に乗って
日本にやってきた
時、

先覚者たちはこの「遅れ」を
どう取り戻そうか苦心します。

②1868年:明治時代開始

西郷隆盛は、薩摩藩(今の鹿児島県)の出身。
薩摩藩は、関ケ原の戦いで負けた側ですから
幕府に対し、義理も何もありません。

江戸幕府を倒す。
江戸がそのまま「東京」に変わります。

フランス革命の英雄、国民国家を指揮した
ナポレオンの伝記をよく読んでいた彼は、

軍の強大な「実力」を背景に、
江戸幕府の仕組み自体を壊しにかかる。
国を強くするにしても、まずは、
中央政府の命令がじかに届かなきゃ、です。

それが「版籍奉還」と「廃藩置県」
これにより、東京の明治新政府が
「地方自治」でなく「中央集権」
直接、全国を支配する体制が整いました。

『尊王攘夷』は『尊王開国』へ。
欧米文化の技術や思想が輸入される。
文明開化、地租改正、殖産興業、徴兵令…。

ただ、西郷自身はその風潮に合わせず、
征韓論の議論での齟齬のきっかけに
政府に背を向け、鹿児島に帰りました。

1877年、彼は西南戦争を起こします。
元士族たちを率いた彼は、しかし、
「明治新政府軍」に惨敗、自決します。

結果的に彼は、自らが負けることで、
旧勢力を滅ぼさせ、新しい軍隊の力を
全国に見せつけた形になりました。

こうした旧勢力の犠牲のもと、
近代日本はスタートします。

日清戦争、日露戦争、不平等条約改正。
アジアの島国でありながら「黒船」を操り、
国際連盟の常任理事国にまでのし上がる。
出る杭になる。

…ただ『尊王攘夷』の精神はどこかで
くすぶっていた
んでしょう。

列強に追いつけ追い越せ、を通り過ぎ
第二次世界大戦中には
「敵」を『鬼畜米英』とまで罵って

中国、米国、英国等、
多数の国を相手に同時に戦っていった。
…その結果は、1945年の無条件降伏でした。

③1945年:戦後日本開始

日本は占領され、まるで
「アメリカ幕府」の「間接統治」のような
状態に置かれました。

占領期に総理を務めた吉田茂は
1951年に日本を独立に導きます。

「サンフランシスコ平和条約」と
「日米安全保障条約」を結び
米ソ冷戦構造の中で「西側」陣営の
一員として、戦後日本が生きていく
枠組みを作る。

侵略戦争はしない。
軍備は基本、アメリカの傘の中。
経済で勝負!という路線。

東京一極集中、金の卵たちが上京し
「太平洋ベルト」を中心に
「加工貿易」が発展
していきます。

◇1960年、六十年安保
◇70年代、沖縄返還と日中国交回復
◇80年代、貿易摩擦と円高のプラザ合意

1991年ソ連解体、冷戦構造崩壊後も
大枠自体は変わりません。
東アジア諸国の複雑な相互監視・牽制の中
「いかにアメリカと連携するか?」
これが戦後日本の大きな主題。
非核三原則の中、アメリカの傘に入っている。

◇90年代、湾岸戦争とPKO
◇00年代、アフガンやイラクへの出兵協力
◇10年代、集団的自衛権論争・法制整備 …

そんなこんなを踏まえての
2022年の今の日本です。

以上、近世~近現代の日本史を
ざっくり分けて書きました。
主観で取捨選択し、トリミングして
強調して書いた略史
です。

最後にまとめます。

明治開始から戦後開始まで約77年。
戦後開始から2022年まで約77年。
そろそろ、新しい時代。

「SNS」の発達と「コロナ禍」で
国や会社など組織に頼りすぎない
「情報発信」や「新しいつながり」を
個人で構築する時代
です。

しかしながら、現実は。

江戸時代の「相互監視」「鎖国精神」
幕末の「尊王攘夷」
戦時中にも似た「ヘイト的な言説」
戦後の「東京一極集中」
「東京本社に地方支社は従う」
「社員は勝手に発信してはいけない」

そういうものも、多く残っている。

260年以上続いた江戸時代の習慣は
150年程度では完全には消えません。

もちろん伝統を尊重し
残すべきものはある。しかし同時に
伝統を作り出し、一新すべきものもある。

国際情勢もきな臭い昨今。
一国独自路線では厳しい。
それは個人でも同じ。
どんな「つながり」を作っていくのか?

そこで参考にし実用していくべきは
「歴史」であり「地理」です。
現在や未来に活かせる歴史と地理を…。

さて、読者の皆様は、
どう切り分け、何を拾い、何を捨て、
何を残し、何を一新しますか?

◇以下はご参考までに。

戦後の日本の総理大臣の記事はこちら↓

戦後のアメリカ合衆国大統領の記事はこちら↓

また、古代まで含めて日本史を三つに分けた
記事はこちら
です↓

合わせてぜひどうぞ!

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!