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ヴェネツィア。ヴェニス(ベニス)。
イタリアの都市です。

「水の都」として世界中に知られています。
優雅にゴンドラが行き交う、
歴史のある観光都市!

古くはシェークスピアの『ヴェニスの商人』
最近では『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』
など、数々の小説や映画の舞台にもなり、

漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
(こち亀)の46巻、
「ゴンドラのうた」でも舞台になっています。

本記事では、この街の歴史を少々…。

まず迷うのが、ヴェネツィア? ヴェニス?
どっち? という呼び名の問題ですよね。

結論から言えば、どちらでもOK。
ピッツァ?ピザ?と同じですね。
イタリア語か英語か、の違いです
(本記事ではヴェネツィアで統一します)。

場所としては、イタリアの北東部にあります。
「長靴の形」をしたイタリア半島。
その上の右のあたりと言えばいいでしょうか。
「長靴」と「バルカン半島」の間にある、
アドリア海の奥、ヴェネツィア湾にあります。

そもそもが「干潟」にできた街。
湿地帯、干拓、島などによって
その土地の大部分が成り立っています。
だから水っぽい「水の都」なのです。

なぜそんなところに街ができたのか?
その歴史は、
「ゲルマン人の大移動」あたりまで遡ります。

五世紀のころ、ゲルマン人の
フン族やランゴバルト人がイタリアに侵攻。
ヴェネツィアのご先祖様は、
この湿地帯に逃げ込んできたそうです。

「うっわ、どろどろ。足元悪いな、ここ。
こんなところ、攻め込めないぜ。ほっとけ!」

そんな感じで、ゲルマン人は攻めてきません。
攻めてきても、敵が足を取られている間に
弓矢で倒すことができます。
昔のことですから、湿地帯であること自体が
天然の防壁になった
のです。

ところが九世紀のこと、
フランク王国(フランスの前身)が攻めてきて、
さらに湿地帯の奥へと追いやられます。
ヴェネチア本島。
ここが後の「水の都」の中心地。

フランク王国と東ローマ帝国との間に
位置していたため、
後に両国の取り決めにより、

「東ローマ帝国に属するけれども
フランク王国と交易してもいいよ!」
という
特別な立ち位置を手に入れます。

この立ち位置こそが
「ヴェネツィア共和国」の
発展の基礎になっていきます。

…強い国同士の間に挟まれた国です。
両国からの圧迫もありますが、
うまく立ち回れば、貿易で栄えることができる。
これは、古今東西、共通する現象です。

ヴェネツィア共和国も、そうなったのです。

西ヨーロッパ(キリスト教)世界と
東ローマ帝国やイスラーム世界とのはざまで、
着々と力を蓄えていきます。

特にきっかけとなったのが「十字軍」。
ヴェネツィアは十字軍発進の拠点となり、
東地中海最強の海軍国家へと成長します。

『東方見聞録』で有名な『マルコ・ポーロ』
この都市の商人の生まれ。
彼は「ジェノヴァとの戦争」で捕虜になり、
その囚人仲間に東の国でのお話を聞かせた。
その獄中話が『東方見聞録』になりました。

戦争?
そう、ヴェネツィアにはライバルがいた。
その名も、ジェノヴァ
長靴の反対側、イタリアの北西の都市です。

ですが14世紀あたりには、この
ジェノヴァとの争いにも優位に立ちました。

ライバルを押さえたヴェネツィア共和国は
「地中海の覇者」として、
多くの海外領土まで持つようになりました。
バルカン半島の沿海部やキプロス島も入手。
まさに「アドリア海の女王」、ここにあり!

…ただ、絶頂期の裏で、
衰亡のきざしもまた見えてくるものです。
まさに「盛者必衰の理」のあらわれ。

意外なところから、それは生まれます。

『東方見聞録』などに刺激を受けた
航海者たちが、続々と大西洋や
アフリカ沿岸に向けて出港していったんです。
主に、スペインやポルトガルなど、
西欧の中でも、さらに西にある国の人たち。

そう、『大航海時代』の幕開けです。

折りしも東のイスラーム世界では、
オスマン・トルコという
とんでもない強国が現れました。
十字軍の時代にキリスト教勢力下に置かれた
コンスタンティノープルは陥落し、
「イスタンブール」へと改称されました。
ヴェネツィア共和国も、キプロス島を失う。

ヴェネツィアは、西欧のキリスト教世界と
イスラーム世界との貿易によって
栄えてきた都市。

なのに、こうもバチバチ状態に対立すると、
その前提条件が崩れてしまいますよね。
かつ、大航海時代で大西洋・新大陸とか
アフリカの喜望峰周りでインドや東アジアに
行ったりすることができるようになる…。

さらに、これまで敵から守ってくれた
「湿地帯」も攻撃を防げなくなります。
火薬の発達により、大砲が生まれ、
湿地帯を飛び越えて撃たれるようになりました。

…こうして、徐々に力を失ったヴェネツィアは、

1797年、フランスのナポレオンによって
占領されてしまいました。

これにより、ヴェネツィア共和国は消滅。
後に、イタリア共和国の一都市となりました。

以上が、ヴェネツィアの歴史の概略です。
最後に、まとめていきます。

国際政治学者である
高坂正堯(こうさかまさたか)さんの著書に
『文明が衰亡するとき』があります。

この本では、ローマ、
ヴェネツィア、アメリカの衰亡の
事例をもとに、気を付けるべき教訓が
多く語られています。

その視点からいくと、

◆「自然の防壁(湿地帯・海)で攻められにくい」
◆「大国同士に挟まれた貿易国家」
◆「以前は海外領土を持っていたが、徐々に失う」
◆「だんだん貿易の中心地から遠ざかっている」
◆「近くで強国が勢力を強めてきた」

…何となく、ヴェネツィアと
日本は、似ていませんか?

もちろん、歴史の事例には
「共通点」と「相違点」がありますので、
そのまますべてを
当てはめるわけにはいきませんが、

ヴェネツィアの歴史から
日本が学べることは
大いにある
ように思うのです。

かつての強国としての輝きは失ったものの、
今ではヴェネツィアは素晴らしい観光都市。
文化の薫る都市として、
世界中にその名が知られています。

数々の映画の舞台になり、
『こち亀』にも描かれるほどに…。

読者の皆様は、どう思われますか?

ヴェネツィア、行ってみたいですか?
…日本は、世界の人たちから、
行ってみたい国と思われているでしょうか?
皆様の会社は、どうでしょうか?

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