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『夜坂の途中で、キスを拾おう:ヒスイの2000字チャレンジ①』

 夜の坂道というのは。
 いったいどうしてこう、永遠に続く気がするのだろう。
 あたしはポケットに鍵とコインをひとつ入れたまま、のろのろと坂道を上り続ける。
 坂の先にあるのはコンビニだ。
 このあたりで夜に開いている場所といえば、コンビニしかない。
 

 坂の下にあるのは、彼のへやだ。
 このあたりで、あたしがいけるところといえば、清之の部屋しかない。
 たったいま、くだらないけんかをして出てきたところだけれど。
 清之の言葉は、たいてい意味が分からない。今夜はこうだ。

『だからさ、おれはピンクの爪が好きなわけ。白と青の二色刷りなんて、いらないわけ』
 

 かちん、ときた。この爪は友達のネイリストが塗ってくれたもので。あたしにとって彼女の自宅マンション兼サロンは、大切な癒しの場所だ。
 たとえカレシであっても、あたしが大事にしているものをごちゃごちゃ言われたくない。

 あたしは暗い坂の途中で立ち止まった。
 清之の部屋から一番近いコンビニまで、ふたりでよく歩く。
 笑いあいながら歩く日もあれば。険悪な雰囲気で、ずいずいとスピード重視で歩く日もある。
 
 街の明かりがとてもきれいで、あたしたちは時々、ここで立ち止まって町を見下ろしながらキスをする。
 清之からはあたしの好きな匂いがする。真夏の陽にこんがりと灼かれた草のような乾いたにおい。
 清之の肩の後ろで街の明かりが輝いていて。まるで天使の輪のようだ。

 そんなとき。あたしはありふれた恋を天使の恵みのように感じる。
 今夜は違うけど。
 あたしは坂の途中に立ち、一人で家々の明かりを眺めた。
 ふと、初めてのキスを思い出す。
 初キス、初カレは高校一年のときにつきあったひとだ。

 ちょっとやんちゃだった彼は、中学の同級生。高校一年の時に、くしゃみをきっかけに付き合うようになった。
 あたしが夜の塾を終えて、帰りに信号待ちをしていた時。くしゃみをしたら後ろから笑い声がした。

『やっぱり、みのりだ。みのりっぽい、くしゃみの音がしたんだよな』

 中学卒業後、一年間あっていなかった彼は、いつのまにか金髪の純粋培養ヤンキーになっていた。でも話すと、前みたいに明るくて。
 それ以来、彼は塾の終わりに信号で待っていてくれるようになった。
 たくさん話した。
 たくさん笑った。
 キスをした。
 初めてのキスは、直前まで彼が飲んでいたコーラの味がした。

 塾から家までの帰り道、彼はいつも自転車で送ってくれた。彼の後ろで浴びる夜風は、いつもコーラの甘いにおいがした。

 どうして。
 恋はいつも、しゅわしゅわとはじける泡みたいな状態で、閉じ込めておけないんだろう。気づくといつも、ピンクの爪と白とブルーのフレンチネイルみたいに、ずれて離れて、反発しあう。
 近づきたいだけなのに。
 好きという気持ちだけがうまく溶け合わずに、ざらりとした手ざわりの麻袋に放り込まれている。

 あたしはため息をつくと、のろのろとコンビニまでの坂道を登り始めた。
 坂の終わりには、みどりとオレンジの看板が光っている。それから店内を照らす、白っぽい蛍光灯のあかり。人工的でキンキンした光は、それでも無いより、まし。

 深夜1時半。客のいないコンビニで、あたしはコーラと新しいネイルを買った。今度はベージュ系にちょっとキラキラの入ったオーロラ色。
 清之が好きかどうかは、もうどうでもいい。あたしの好きな色だ。
 レジで会計をしてもらい、外へ出る。7月でも、深夜になると涼しい風が流れてくる。
 風に、柑橘系のコロンが香る。
 コンビニの駐車場には、自転車に乗った清之がいた。
 清之は、黙ってこちらに手を差し出す。

 『ごめん』はない。
 清之はいつもそうだ。悪いと思っているときほど、黙ってむっとして、ただ手を差し出す。
 彼の手の上には、言葉よりも明確な愛情がのっている。
 大きな手が、言葉の代わりにあやまっている。

『ごめんごめんごめん。おれが言いすぎた』

 あたしはそっと、清之の手の上の言葉をつかみ取る。
 白×ブルーのフレンチネイルの指。
 清之があたしの手を握る。ようやく彼から、すこししゃがれた声が出る。

「何、買ったんだ」
「コーラとネイル」
「おまえ、コーラなんか飲まないじゃん」
「部屋に帰って、ラムを入れれば、”クバ・リブレ”になるでしょ。清之、あのカクテルが好きじゃん」
「ライムはねえぞ」
「冷蔵庫にレモンがあったね」
「味が違うわ。あしたライムを買ってくる」
 
 清之は笑った。耳になじんだ声が7月の夜に織り込まれてゆく。
 意地っぱりで、どうしようもない男の声だ。
 あたしが選んで、あたしが愛した男の声だ。

「帰るぞ」

 あたしは自転車の後ろに乗った。ぎゅっと、清之の身体を抱きしめる。
 自転車が坂を下り始めると、あたしの耳元でぴゅんぴゅんと夏の夜風がたわんで、鳴った。
 初カレのことを、思い出す。
 初めての恋、初めての夜の散歩、初めてのキス。
 
 そうだ。坂の途中で、清之に自転車を止めてもらおう。
 町の明かりを眺めながら、キスをするためだ。
 いつだって。
 夜の坂にはキスの予感が落ちている。


ーーーーーおわりーーーーー  (2007字)

今回のネタ提供者は、みっちさん。

初々しい初カレとのエピソードをお借りしました。
ありがとうございます、みっちちゃん。

ヒスイの2000字チャレンジ、皆さまのネタ提供で継続いたします(笑)。
詳細は、明日のヒスイ日記で(笑)!
では。みなさま。よい金曜日を💛

#2000字のドラマ

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