「僕の時刻表は『非固定式』」ヒスイの#シロクマ文芸部
『変わる時刻表』を眺めて、僕は駅でため息をついた。
「ああ、やっぱり…朝みた時間と変わってる…いったいどの列車に乗ればいいんだ? 明日は会社があるってのに」
思わず青い空を見あげる。
満開の桜がひらほらと散り始めていた。
薄ピンクの花びらが、僕の右足のギプスにふわりと着地した。
「ちぇっ、この足さえ動けば車で帰れるのに」
政府が『変わる時刻表』を施行してから4年がたつ。
電車やバスなどの時刻表が勝手に変わるシステムが導入され、公共交通機関の到着時間は全く信用できなくなった。
通勤、通学には自家用車や徒歩、自転車が使われるようになり、駅もバス停も閑古鳥。
しょうがない。いったいいつ来るのかわからない列車やバスを誰が待つというんだろう?
それでもときどき、冒険してみたい暇人が乗るけど。
ちょうど僕の斜め後ろでベンチに座っているジャンパー姿の男みたいに。
彼はさっきから手にした小型時刻表を眺めている。
ひょっとして、あれは『変わらない時刻表』なんだろうか。
そう言うものがあるって、聞いたことはある。
都市伝説だって言われているけど。
「あの、その時刻表は、動かないんですか」
思い切って聞いてみた。
男は黒い帽子のふちから、ゆるやかな笑顔を見せた。
「いえいえ、動きますよ」
「ああ、やっぱり。じゃあ都心行きの列車は20分後ですか? 朝みた時は、いまが定刻なんですけど」
男はページをめくり、
「うーん。どうも1時間後に変わったみたいですよ」
「えっ、1時間後?? ああもう、諦めてタクシーを呼ぼうかな」
「どうでしょうねえ…最近はタクシーの時刻表も変わるので、信用できませんよ」
「そうですよね」
僕はゆっくりとベンチに座った。
青空と天から散り落ちる桜の花びら。そして信用ならない時刻表。
手も足も出ない感じだ。どうしようもない。
男が口を開いた。
「都心へ行かれるんですか」
「ええ。このちかくの実家へ来るときは車でしたが、この足で――」
ひょい、と白いギプスつきの足をかかげて見せる。
「家族は車に乗らないので、列車しかないんです。これじゃいつになるか、見当もつかないですね。
あなたは、どちらへ行かれるんですか」
「西です」
「ははあ。で、列車の時間は? つまり定刻ってことですけど」
「——いってしまいました」
男は黒い帽子をきっちりとかぶりなおした。
「私の列車は、行ってしまいました。乗りそこねたってことですな」
「次の列車は?」
「さあ、いつになるでしょう。なにしろこの調子なので、予測がつきません」
彼が手にした小型時刻表を閉じた時、ふわっと姿が薄くなった気がした。
輪郭がぼやけた、というかんじ。
僕は思わず、まばたきをした。
男がしゃべる。
「時刻表をね」
「……はあ」
「時刻表を人のものと取りかえると、定刻どおりに来るという噂がありますな」
「ああ、聞いたことがあります。でも都市伝説でしょう。最近じゃあ『固定式』の時刻表なんて、見たことがない」
「さて、どうでしょう。ためしに取り換えてみますか。私の時刻表と、あなたのを」
僕は黙った。
青空はどこまでも透きとおり、ピンクの花びらはひらひらと永劫のように散っていた。
春の風に、かすかな冷たさが混じる。
僕の声に、かすかな震えが混じる。
「あなたは……取り換えてみたことは、あるんですか。だれか、他人の時刻表と――」
男は時刻表の表紙を撫でた。
「どうでしょう。しかし、これは『自分の時刻表だ』と確信を持てる人が、この世に何人いるでしょうな」
「さ……さあ……」
「たとえば、ここであなたがふっと席を立つ、としましょう。
私がそっと時刻表を取り換える。
何かが起きるんでしょうかね?」
「……なにも、起きないと思いますよ。都市伝説ですから」
きらり、と男の目が、黒い帽子のふちでひかった。
「都市伝説に、賭けてみてもいいんじゃないでしょうかな」
「なにを……何を賭けるんです?」
「私の列車は行ってしまった。もう来ない。でも時刻表を取り換えたら、新しい列車が来るかもしれない」
「ぼ、僕の列車はどうなるんです?」
聞いてみた僕がバカだ。
答えた男は、ふわりと輪郭がゆるんだ。
「列車なんて、そもそも来ないのかもしれませんよ」
「来ますよ。だって時刻表がある」
「『変わる時刻表』です。信用ならない。信用できないものに、人生を賭けられますか? 私なら、そんな不安定なことはしない」
男は立ち上がった。
「では、私は歩くとしましょう」
「行ってしまうんですか」
我ながら、悲鳴のような声が出た。
男はゆっくりと歩きながら、こちらを見た。
ほんのりと、微笑んでいた。
「どうせなら他人の時刻表に乗ってみたらいい。人生は、どうせ先行きの分からない列車ですから」
歩き去る男はピンクの花びらに取り巻かれ、ゆっくりと春の青空を登っていった。
ベンチには、ぽつんと時刻表が残されていた。
信用ならない未来が。
他人の将来が。
彼が置き忘れていった人生が、残されていた。
ゆっくりと手を伸ばす。
降りしきる花の中で、時刻表にふれる。
かすかにざらついた表紙は、まるで人の肌のように温かかった。
たまらない誘惑だ。
他人の将来。信用ならない未来。
ひとの列車に乗るなんて怖くて不安で、無責任で――気楽だ。
だれも人生の責任を取れ、なんて言ってこない。
働いても働いても仕事は終わらず、休みもない。給料は少なく、ボーナスがあっても使っている暇がない。
社畜とは、まさに僕のこと。
右足の真っ白なギプスは、明日の夜にはホコリにまみれてダークグレーになっているだろう。
僕の疲れ果てた未来とおんなじ色になる。
そんな人生と、おさらばできるかも。
この一冊の、他人の時刻表があれば。
指先に、ざらりと誘惑が湧く。
コッチへおいでと、引力が湧く。
だけど僕は、しずかに指を引いた。
ポケットから小さな時刻表を取り出す。
僕の時刻表だ。僕のものだ。
ページを開くと……ああまた、時間が変わっている。
今度は僕が乗りすごしたみたいだ。
「いいよ、まってるよ」
つぶやいて、青空を見上げた。
桜の花びらが、当てにならない渦を巻く。
僕の未来が渦を巻く。
待っている。どこかから、列車の音が聞こえるのを。
もし聞こえたら、と考える。
行き先がどこであろうと、それに乗ろう。
僕の時刻表が引き寄せた列車に乗ろう。
【了】(約2500字)
本日は 小牧幸助さんの #シロクマ文芸部 に参加しています。
ちなみに『変わる時刻表』というネタは
shibakaorukoさまから、かってにパクりました。
もはやネタパクりを堂々と宣言するヒスイ。
すいませんでした。助かりました、ありがとうございます!!
だってこれ、面白かったんですから!!
一緒に ヤスさんの #66ライランにも参加しています 。
66日間連続で投稿する、マガジンに入れるという企画です。
現在46人の勇者が参戦中!
ヒスイもがんばるぞ!
ところで、キャッチフレーズって考えたことあります?
ヒスイはずっと『小粋でポップな恋愛小説家』を名乗っておりますが、
先日、同居人のケロリンより、
「だけどさ、おまえ、恋愛小説とか書いてねえじゃん、ずっと」と言われ、
「おお!」と思わず、膝を打った次第です(笑)
まあいいや。
ヒスイが気に入ってりゃいいのよ(笑)
ではまた明日。
66日のゴールまでが、とおい。遠すぎる(笑)
ヒスイのシロクマ文芸部はここで読めます。
ヘッダーは、はそやm画伯に借りっぱなしです。ありがとう(笑)
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