見出し画像

「信号の下では、6歳の私が待っている」ヒスイと名古屋の物語

故郷から出ていく人には2種類あるんだという。
ひとつは、二度と戻ってこない人。
あるいは、よその土地での暮らしを経由してから、
ふたたび故郷で、生活を積みあげていく人。

自分は、ぜったいに二度と戻ってこないタイプだと
思っていた。
名古屋に生まれて育って
家族も親族も、ほぼ全員が近隣にいて、
それが当たり前だったけれど
当たり前が
かえって苦しいような子供時代だったから。

20歳ちょっとで、はじめて県外へ出る時、
これが実家の見納めかな、と
じんわり涙ぐんだのを覚えている。

なのに。
あっさりと舞い戻り、
以来、短い不在をはさみながら、
結局は、
名古屋とその近郊で、暮らしている。

だから、
この町が好きですか、と聞かれたら、
『好きじゃないですけど、ここしかないですから』と
答えていた。



名古屋に戻ってきてからも、
何度も、よその土地へ行こうかと考えた。
たいていは、
深夜に、飲みすぎて
ふらるらと歩いている時に考えた。

その夜もそうやって歩いていて
ふっと、信号を待つ道の反対側に、
同じように信号を待っている
子どもの姿を見た。


ああ。6歳の頃の自分だ、と思う。
初めてのランドセル。
父が好きな色を買ってもいいと言ってくれたから
他の子どもと違う色を選んだ。

保守的で、
おとなしい子供が多い学校で、
私のランドセルだけが
饒舌に、
光っていた。


『なんで、こんな色にしたの?』

学校の行事ごとがあって
一緒に帰るたびに、
母は言った。

『今からでも、買いなおせるわよ?
 赤色にしなさいよ』

昔から、
私はウンと言いたくないときは、
黙ってしまう。
何回も何回も、
母とは同じ会話を繰り返した。

『赤色がいいと思うわ』
『濃いピンクはどう? こげ茶もシックよ』
私は返事をしない。

こういう時に限って、
たいてい知り合いに会う。
母は立ち話を始める。
私は横で、ぼんやりと信号が変わるのを眺めている。

この町じゃなかったら、
『この色が好きなの』って、言えるのかなと考えていた。

この、のんだらりと平らに広い町じゃなかったら、
『あたしが選んだんだから、放っておいてよ』って
言えるのかなって。

そんなことを考えながら、
信号が、赤から青へ、青から赤へ変わっていくのを
延々と眺めていた。


名古屋という土地が、
きゅうくつで、せまくて、いきぐるしくて、しかたなかった。
そう思いながら大人になって、
県外へ出て、
でもやっぱり戻ってきては、
あの6歳の子どもを、何度もみた。

子どもはムウっとした顔で
青いランドセルの肩ひもを命綱みたいに握りしめ、
信号をじっとにらんでいた。


あるとき、ふっと
青天のへきれきのように、
気が付いた。

ああ、自分は、
この6歳の子どもに会いたくて、
会いたくて、
この町へ戻ってきたんだな、と。

自分のダメな部分は全部、
6歳の、何も言えずに信号を眺めつづけている瞬間に
凝縮されていたんだな、ってわかった。

あのとき、母に言えばよかったんだ。
『このランドセルは、あたしの好きな色で、
 パパが好きな色を買ってもイイって言ったんだから
 これがあたしの正解なの』って。

現実には、言えなかった。
でも、あれから何十年もすぎて、
仕事を持ち、自分で生きていくようになってから、
私はまた、この町に戻ってきた。

なぜ戻ってきたのか、理由が分からなかったけれど。

今は、分かる。
私は、6歳の私に
『言いたいことを言ってもいいんだし、
 やりたいように、やっていいんだよ』と
そう伝えたくて、
この町へ戻ってきたんだって。


生まれ育った町で大人になってからも暮らすという事は、
あらゆる街角で
小さな自分と出くわすということだ。

ランドセルを握りしめている6歳の自分だけじゃない。
この町には、無数の
なさけない子どもがたたずんでいる。

校舎の影にあった小屋のウサギだけが友だちだった10歳の私。
学校が嫌で嫌でたまらなかった14歳の私。
はじめて気の合う友だちができた16歳の私。

はじめはそれが、嫌だったけれど、
あの夜、
信号を見上げる6歳の自分に遭遇した夜から、
私は目をとじずに、立ち止まるようになった。

子どもに話しかける。
『それでよかったんだよ』
『それでよかったんだよ』
『それで、よかったんだよ』


信号の下にいる子どもは消えていかないけれども、
私の記憶は少しずつ、少しずつ剥がれて、
小さく薄くなっていって。
この町の空はまた、
昔の広さを取り戻した。



故郷で暮らす、ということは
記憶とともに暮らすという事でもある。

だから私はいま、
「この町が好きですか」と聞かれたら、
こう答えるようにしている。


『好きかどうか、わかりませんけど。
 ここしかないから、ここでいいんだと思います』と。



名古屋へ来たことがない方には、
この一文を紹介するようにしています。

『夕景になると遠山がかすむせいか、濃尾平野 は哀しいばかりにひろくなる。』
『新史太閤記』司馬遼太郎


この町の変わり方は、
比較的、ゆるやかだと思います。

変化は、哀しいほどに広く平らな空のもとで
ゆるゆると植物が伸びるのに似ていて、
よほどの時間が経たないと
目立たない。
その、のどやかなユルさが、今は心地いいんです。


私は、そんな街で暮らしています。
この先もここで、
生きていくと思います。


記憶のなかの自分といっしょに。




#この街がすき

ヘッダーはUnsplashFederico Enniが撮影

#創作大賞2023 #オールカテゴリエッセイ部門

この記事が参加している募集

#この街がすき

43,693件

ヒスイをサポートしよう、と思ってくださってありがとうございます。 サポートしていただいたご支援は、そのままnoteでの作品購入やサポートにまわします。 ヒスイに愛と支援をくださるなら。純粋に。うれしい💛