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大内宿をながめて

 先日、大内宿(福島県南会津郡下郷町)に行ってきたのでそこで気づいたことなど気軽に書いてみようと思います。

大内宿までの道

 大内宿に行く前に会津若松を観光していたので私は北側から大内宿に向かいました。道中には川や湖があり自然豊かでとてもいい景色でした。

車から見えた景色(若郷湖)

この道から脇道に一本それて山道をうねうね登ると駐車場があります。その駐車場から歩いて行くとついに、

大内宿入り口

着きました!大内宿!

観光客の方が多く、山奥なのにすごい人の数でした。

大内宿について

 案内板によると大内宿は、福島県の会津若松と栃木県の日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つでした。会津藩が江戸時代初期に整備し、物資の輸送や参勤交代などに利用されたそうです。

大内宿の様子

 大内宿は現在、国の重要伝統的建造物群保存地区というものに選定されています。これは、歴史的に価値が高く、町並みがよく残されている町を後世に伝えるために伝統的な建造物や土地を一体的に保存するための制度で、国や自治体、地域の人々によって伝統的な町並みが保存されています。

大内宿で気づいたこと

 大内宿を歩いていると、多くの建築的な工夫や歴史、魅力ある空間に気づきました。一つずつ見ていきましょう。

まるでヨーロッパの広場みたい

まずはこの写真。

広場全景
路地のような広場

 都市(町)の中に急に広場が出てくるこの光景はまるでヨーロッパの広場のよう。日本では伝統的に都市の中の広場というのはあまり発達しませんでした。しかし、大内宿では伝統的な町並みの中にこのような景色を見ることができます。明治以降、近代に入ってからこのような公共空間が生まれたのであろうと思いましたが、どちらにせよ木陰が涼しく心地よく、素晴らしい空間であることには間違いありません。

ひと目でわかる伝統的な敷地割り

 大内宿が重要伝統的建造物群保存地区に選ばれているのは古い建物が残っているからだけではありません。伝統的な敷地割りがよく残っていることも理由の一つなのです。
 大内宿は、ひと目でわかるほどに敷地の境界がはっきりわかりますが、それには昔からの土地の利用方法が関係していると考えられます。

大内宿の通りから見た敷地境界(中央)
(右側が北。畑を建物の前面に配し、日当たりを確保)

 大内宿では宿場全体が市街化されているのではなく、建物と建物の間に畑がある家がいくつか残されています。これはほとんど自給自足の生活を送るのが珍しくない江戸時代の名残なのでしょう。畑の配置に関しても工夫がされており、畑を建物の南側に置いて建物にたくさんの光を採り入れることができるようになっていました。

宿場町に急に現れる鳥居

 大内宿を歩いていると急に大きな鳥居が現れました。しかし、近くに神社は見当たらず、鳥居の奥は一本道となっており、その先にどうやら神社があるようでした(神社には時間の都合で行けませんでした)。しかし、町中に急に現れる鳥居は、大内宿の人々の信仰の大きさを表しているといえます。

高倉神社と書かれた大きな鳥居

宿場町を見守る観音堂

 大内宿を南から北へと少し傾斜のある道を上っていくと左手に小さなお堂が見えてきます。

宿場の終点に見えるお堂

 まるで大内宿を見守るかのような場所に立つこのお堂は子安観音堂と言うそうです。

子安観音堂

 安産や子供の成長を守護する観音菩薩だそうで、5月には観音様のお祭り、安産と子供の成長を祈る観音講が毎月行われているそうです。

子安観音堂の基壇部。土で造られた土壇と思われる

大内宿の民家

 大内宿の民家は寄棟妻入り形式の屋根が多いです。また、ほとんどの家の屋根は茅葺であり、寒冷地のためか瓦屋根の家はほとんどありませんでした(瓦は寒いと割れてしまう性質がある)。建物の配置は、店舗として使用されている建物の奥に住居や蔵などが続いている伝統的な町家の典型的な配置となっていました。

店舗兼住宅、蔵といったように建物が奥に続く
こちらは建物と建物の接続部。
時代の違う建物が廊下を介してつながっている。

大内宿本陣跡(町並み展示館)

 最初の本陣は江戸時代初期には建てられといい、会津藩の初代藩主・保科正之もここを利用したという記録が残っているそうです。大内宿は、戊辰戦争の舞台となったことから本陣に関する記録や図面は散失し、発見されていないため、現在ある建物はほかの宿場の本陣を参考に設計されたもので、町並み展示館として利用されています。
 訪れた際は屋根の葺き替え工事中で見学できませんでしたが、一際広い敷地、通りと隔てる生垣、平入りの大きな屋根など大内宿にあるほかの家とは大きく異なっていました。

大内宿本陣
本陣
茅葺き屋根の工事中であった

大内宿の景観と暮らし

道の両側に並ぶ建物と水路

 大内宿は通りの両側に寄棟妻入りの屋根が並ぶ光景が印象的です。また、昔はは道の真ん中に水路が一本通っていたようですが、現在は道の両脇に水路が流れており、現在でも住民が洗い場として利用したり、小さい子供が水浴びをしたりしていました。

水路は今でも住民の方が農機具を洗ったりするのに
利用している
水路にかかる橋

 ちなみに水路にかかる橋は木を置き並べただけの簡素なものでした。重要伝統的建造物群保存地区と言うこともあり、実際にできるかはわかりませんが、簡単に自由に設置できていいなと感じました。

 また、訪れた時が夏のためか、大内宿では簾(すだれ)をかけている家が多く見られました。夕方ごろには西陽が強く、簾が大いに役立っていることがわかります。

簾を全部下ろした家
営業が終わり、戸袋から雨戸を出している様子

 繰り返しになりますが、大内宿は重要伝統的建造物群保存地区ということで火災に関しても対策がしてありました。大内宿には、下の写真のように景観に配慮した消火設備がいくつも設置されています。

板で蓋をされた消火設備


ある家にはこんなものもありました。

茅屋根の材料と書かれた植物が展示のようにされており、この植物が屋根に利用されているんだということがわかりやすく、おもしろかったです。こういった展示は、観光する人の勉強にもなり観光の満足度が高くなる展示だと思います。

最後に

 大内宿にはずっと行きたかったので今回実際に訪れることができてとても良かったです。そしてとてもいいところだったので、ぜひみなさんにもおすすめしたいです。

 最後は大内宿の建築のいろいろな写真を載せて終わりたいと思います。

大内宿では珍しい2階建ての町家
秋桜と黄色の家
意匠に凝った蔵
大正?昭和?の玄関
大内宿にある現代的な意匠のお店

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