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【イジンデン】イジン紹介 山田長政

静岡市の有名な歴史人物と言えば!

徳川家康!

ではなく……この男!!

「えー、誰このおじさん」「静岡市民だが知らんぞ」「どうした家康」
と言った声が聞こえてきそうですが、今日はこの人を紹介します。

ということで始まりましたイジンデンのイジン紹介Part7です。
お久しぶりです!お待たせしました!
新パックに私イチオシのイジンが入っているということで、見事当ててきました。本当はピョートル大帝が欲しかったのですが……。
それが 山田長政 です!

上の銅像と見比べてみると、衣装がかなり似ています。デザイナーさんは、もしやこの像を知っていたのでしょうか……?だとしたらかなりマニアックですね、いいですね……。

それでは早速紹介していきます。

出自

名前の通り生まれも育ちも日本の日本人です。生まれは駿府、つまり今の静岡です。
そんな彼の屋敷跡が残っています!さぞかし立派に残っているのでしょう……。

……。はい。これだけです。
静岡市民が誇る歴史的人物なのですから、もう少し立派な石碑とか説明とか置いてあげればいいのに、と思うのは私だけでしょうか?先述の銅像は大切にされていそうだったので、そこは安心ですが……。

タイ(アユタヤ)へ

彼は沼津城主に仕えていました。
しかし、1612年に貿易商人として現在のタイへと向かいました。さて、そのときのタイとはどんな国だったのでしょう?

当時のタイはアユタヤ朝という王朝でした。タイ史の中でも特に栄えていた王朝です。14~18世紀に栄えていたこの王朝は、港市国家として繁栄しました。港市国家とは、港を都市とし、貿易で繁栄すると共に周辺地域にも勢力を広げた国家のことです。東南アジアにはこうした国が歴史上数多くあります。高校世界史で東南アジア史を習う際は要チェックの用語となります。

さて、日本に話は戻ります。1612年と言えば、時は江戸時代。既に朱印船貿易が始まっていました。この朱印船貿易は東南アジアにも脚を伸ばしていました。その中の一つが、アユタヤ朝のタイでした。16世紀末には既に日本人が何人も住んでおり、日本町を形成していました。

こうして貿易のためにタイを目指した日本人の一人が、山田長政なのです。
では、なぜその中で彼だけが有名なのでしょう?

タイの長官へ

商業で活躍した山田長政は、アユタヤ日本町の統領となりました。
しかし、彼の活躍はそれに留まりません。
日本人傭兵部隊を率いて功績を挙げ、「オークヤー・セーナピモック」という最上位の官位を得ることに成功しました。このことはイジンデンのフレーバーテキストにも書かれています。
こうした名声を築いた山田長政でしたが、内乱平定中に命を落としました。40歳でした。

おわりに

以上、山田長政の紹介でした。
参考までに、上記の銅像の下にあった説明のレリーフを載せておきます。

一見すると商店街の一角にある謎の像ですが、歴史的背景を知っていると非常に感慨深いものです。
今後も、静岡市葵区馬場町の商店街を見守ってくれることでしょう。

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