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余計なお世話か、それとも…(続き)

前回の続き。

一夜明けて、いつも通りの朝がやってきた。
まだ頭の中には前日の燕のことが頭にこべりついていて離れていなかった。
何もなく、元気でいればいいのだが・・・


朝の準備を済ませ、いつも通り出勤した。
通勤ラッシュは見慣れた光景。マスクをした人たちで渋滞。世間で制限がかかっていても、自分たちの生活がかかっていてはしょうがないと考えてしまう。
現代はとても難しい状況だ。


昨日の駅に到着した。普段ならいつもの道を淡々と歩く予定だったが、今回は寄り道をして、ダンボールのもとへ向かって歩いた。
元気で生きているのか?、またはすでに飛び立ってていればいいのだが、と言った想いが過ぎる・・・



恐る恐る覗いてみた。


その燕は、目をしっかり開けて元気に居座っていた。



ひとまず安心した。
食べ物や水はどうなったのかわからないが、ひとまずフンが何個か周りにあるのを確認できたので、体調は大丈夫であろうとなんとなく思った。
生存確認を一旦終わらせ、また夜に来ようと思いその場を立ち去った。
夕方また見にこよう。


夕方。
天候は昨日と変わらず雨。


今朝の元気な姿を見たからか、安心した気持ちで段ボールのもとへ向かい中を覗いた。

そこには燕の姿はなく、ただパンの屑とフンしか残っていなかった。


元気に巣立ってくれたのだろうと思い、準備した段ボールを片付けいつもの電車で帰宅した。
一瞬不安がよぎったが、徐々に安心がこみ上げてきた。
衰弱してその場に倒れ込んだ姿を見るよりかは、その場からいなくなってくれたほうが自分は望んでいたのだろう。



その後、燕がどうなったかは不明である。
元気にやっているのか、それとも・・・
生きたいと心から願っていれば、きっと燕も元気に過ごしているに違いない。
少なからず自分は心でそう思った。


燕と同じく、自分もこの地球で生きるもの。
生きる世界は違えど、生と死という概念はお互い持ち合わせてこの世に存在している。


いつの時代も慌ただしいことには変わりはない。
この時代でどのように生きていくのか。


明日も羽ばたけるように。今日を生きよう。



おしまい。





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