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【備忘録】背水の陣〜石垣島に想いを馳せながら新潟へ〜

こんにちは、たおです。

久しぶりに自分のことについて書いてみようと思います。

いまは新潟(正確には長岡駅)に向かっている新幹線の中。久しぶりの新幹線に心を躍らせながら、身の引き締まる思いで新幹線に乗り込みました。

心を躍らせているのは小学校低学年の頃は、東京駅に新幹線をみるためだけに入場チケットを買うくらい好きだった子供心をくすぐられたからだと思います。

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今回新潟に行くことはその頃と意味合いは違うけれど、同じワクワクした気持ちと合わせて、いろんな感情が混ざっています。

数週間後の自分はどんな人間になっているのかというワクワク
背水の陣で望むこのラストチャンスを逃さずしっかり掴み取りたい
この想いを忘れたくないから備忘録として残す
とはいえ焦ることなく落ち着いて着実に自分のできることを発揮する

思いついたものを単純に羅列しただけでも、こんなに。ただ一つ言えるのは、「ポジティブな思考でこのプロジェクトに対して取り組んで行こうという意思があり、結果はどうであれ、やってみないとわからないから全力でやるだけ」というマインドであること。

普段あまり感情を表に出しづらい私がなぜ今回はこんな風に「背水の陣」と言っているのか、数週間後の自分に何を期待しているのか、などなど一つずつ丁寧にお伝えしていこうと思います。

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「背水の陣」と私が呼ぶわけ

なぜこの新潟に行くことが背水の陣なのでしょう。

私が2月に初めて行ってから、先月まで月の半分を過ごしていた石垣島での出来事と一時的なお別れがあったからです。

結論を先に言うと、私は石垣島では”仕事”としての関わり方をできなかった。すべてはこれに尽きます。

2月に何かを探し求めてたまたま行った石垣島にて、モーニングを食べに行った街中のカフェで、そこのオーナーのよーすけさんと仲良くなり気づいたら3時間話していた。そこから頻繁に連絡を取る中ですぐにまた石垣島へ。

関わり方は決まっていなかったものの、食住を出会ってから1ヶ月くらいしか経っていない私に提供をしてくれました。加えてあるタイミングで私の仕事道具でもある、りんごマークのあるものも与えてくださいました。

普通では考えられないような、本当に素敵な人との出会いでした。

そんな非日常的な出来事に加えて、同時のタイミングで音声SNSであるClubhouseでもこれまた非日常的な出会いをしていた私。

今振り返れば、何かを勘違いしていたというか、取り違えていたというか、順番を間違えていました。よーすけさんの「みんな自分の人生が豊かになればいい」という考え方があったからか、私に対して何かして欲しいなどの要望はほぼありませんでした。私がもがいている姿も優しく見守っていてくれたのでしょう。

石垣島にいた、実質3ヶ月間ほどの日々は私はそれらに完全に甘えていたのです。それを周りから言ってくださる人もいて、それに気づいた時には、もうすでに6月。すでに遅かったのです。いわゆる”タイミング”ってやつが合わなかった。

7月頭に石垣島から飛行機に乗る前日、よーすけさんは最後だからと私と飲んでくれました。その数日前もようやく時間ができたからと、黒島に一緒に遊びに行ってもくれました。そこでの時間はいつも通り過ごそうと思っていたけれど、なかなかうまくいかず、当時調子もそこまでよくなかった私はすぐに酔いが周り、、気づいた頃にはお店の外でした。

「なんか寂しいやんか〜」(頭わしゃわしゃ)

これまでの感謝とこの先どこかのタイミングでそれを返していきたいと、面と向かって伝えた時にそうよーすけさんは返してくれました。なんて言ったらいいかわからない気持ちがすごかったです。

翌日午前9時発の飛行機だったのですが、よーすけさんはまたもや空港まで私を送ってくれました。その道の途中ではお互いのこれからのことを話していたと思います。すぐに空港にはつきました。

荷物を預けてチェックインを済ませ、いよいよ、保安検査場通過の時。これまでの面倒だけでなく、何度も到着の時は迎えに来てくれ、出発の時は送ってくれたよーすけさん。言葉で返せるのなら返したいという一心で改めてこれまでの感謝と、最近私がハマった陶器をよーすけさん用に買ってきたものがあったのでお渡しして受け取ってもらいました。

保安検査場を通過して、搭乗ゲートと一般の通路の間の厚いアクリル板の前で深いお辞儀と共にお別れをしました。悔しいという感情が一番にでた時だったと思います。

飛行機を待っていると、よーすけさんから着信があり、出れなかったのですが、写真を撮るのを忘れたからともう一度戻ってきてくれました。

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お渡しした陶器と一緒に写った写真。

これを胸にしまって、いよいよ搭乗ゲートを潜って、飛行機に乗り込もうとした時。目の前に広がる石垣の空と飛行機をみながら、美しい海を思い出し、数々の思い出がたくさん蘇ってきた。

悔しい、やるせない、自分が相手にしたいことと自分のやっていたことが逆の結果になってしまった、いろんな思いで気づいたら涙を流していました。

こんな思いはもう二度としたくない、そう強く誓った瞬間でした。

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その出来事から1週間後、新潟でなにをするのか

具体的になにをやるかはまだ公には発信できない状況なのですが、この石垣島での状況を見てくれていたれんさんが、声をかけてくれました。

石垣島でよーすけさん伝いに知り合ってから、常に私のことを気にかけてくれて、時には厳しくも愛のある言葉で私とコミュニケーションを取ってくれた、れんさん。

「新潟でこういうプロジェクトがある、お前の目の前にやりたいことは広がっているかもしれないからやるかやらないかは自分で決めて欲しい。ただやるからにはわかってるだろうけど、ラストチャンスであるという気持ちで来て欲しい」

ある日、突然電話で伝えられました。私を面白いと思ってくれているポイントがあって、それに対して私は力を入れてDoできなかった。そこをまだ面白いと思ってくれているからこそ、かけてくれた言葉だと思っています。

ただただ感謝しかありません。

だって数ヶ月前に出会った人のことなんて、本来ならどうでもいいわけで、当人にとったら痛くも痒くもないのだから。

決意

私にしかできないことなんて、まだまだないと思う。だけど、その人たちにはできない、私ができる、バリューを発揮できることはあると思う。

それを今回はしっかりと認識を持った上で、このプロジェクトに対してお手伝いなんかじゃなくて”仕事”として取り組む。

これが私が石垣島で経験したことを最大限に生かすってことなんだと思う。それがひいてはYさんへの恩返しにもいずれはつながると信じて。

頭で考えても悩むことは多々ある。自分の体調とは常に相談しながら、力の限りやり切る。そんな新潟での滞在にする。

この日からやっと自分らしい人生を歩み出したのだから。

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よーすけさんとの黒島にて。

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