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「名言との対話」11月2日。岸田国士「一人では何も出来ぬ。だが、まず誰かがはじめなければならぬ」

岸田 國士(きしだ くにお、1890年明治23年)11月2日 - 1954年昭和29年)3月5日)は、日本劇作家小説家評論家翻訳家演出家

陸軍士官学校に入り少尉に任官。父から勘当を受けながら退役し、28歳で東京帝大仏文科に学び、辰野隆らと親交を結ぶ。演劇研究のために29歳で貨物船で神戸から台湾医渡航、各地で働きながら、1年半後の30歳で、マルセイユに到着しパリに移動するフランス演劇史を研究する。1923年、33歳で帰国。

在来の新劇運動を批判しフランスで学んだ演劇観を日本の土壌に移植することを志す。1932年、築地座を指導。1937年、久保田万太郎らと文学座を創設。第二次大戦中は大政翼賛会文化部長をつとめた。公職追放を経て、戦後には芸術家集団「雲の会」を結成し幅広い運動を展開する。戯曲は数多い。それ以外にも評論・随筆・紀行なども18冊。翻訳書も多い。『岸田国士作品集』を手にしてみたが、643章ありあまりに膨大な量で驚いてしまった。

1954年、文学座の上演『どん底』(原作マクシム・ゴーリキー)の演出に携わっていたが、舞台稽古中に脳卒中に襲われ病院に運ばれたが翌日死去。63歳没。まだやるべきことがあり、無念であっただろう。

長女は詩人岸田衿子、次女は女優の岸田今日子で、この劇作家の血を引いて活躍している。

文字通り「演劇」に殉じた人生だった。芸術派運動の理論的指導者としての功績は大きく、1955年から賞が設立され、途中で名前を変えて現在では「岸田国士戯曲賞」となっている。受賞者のリストをながめると、山崎正和(1963年)、唐十郎(1979年)、井上ひさし(1972年)、つかこうへい(1974年)。野田秀樹(1983年)、宮沢章夫(1993年)などの名前がみえる。三谷幸喜も受賞している。2022年現在まで続いているこの賞は新人劇作家の登竜門となっており、「演劇界の芥川賞」と呼ばれている。

岸田国士はペンを武器に演劇の世界を変えようとした。冒頭に掲げた言葉の「始める誰か」は岸田自身だった。自分から始める。そこに人生の栄光がある。


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