「名言との対話」 3月7日。平沢和重「NHKはいつも15分なので」

平沢 和重(ひらさわ かずしげ、1909年9月14日 - 1977年3月7日)は、日本の外交官。NHK解説委員。

香川県丸亀生まれ。一高、東大を卒業し、外務省に入省。1938年バンクーバーから帰国時に氷川丸で加納治五郎と出会う。その船で加納を看取る。ニューヨーク総領事時代には対米工作を担当している。開戦後に抑留される。大東亜省に出向し、戦争継続を主張する革新派の平沢らは小磯国昭首相宛ての「外交界ノ一大刷新ヲ熱望スル建白書」を提出し、幹部であった平沢は休職を余儀なくされる。

1946年外務省を退官。サーヴィス・センター・トーキョーという団体を設立し、GHQと日本側の折衝窓口として公職追放者の解除に貢献する 。1949年から26年間、日本放送協会解説委員を務める。三木武夫と近く、長くスピーチライターであった。三木の総理就任時には外務大臣就任要請を固辞し、外交ブレーンをつとめている。

平沢和重という名前と顔は、NHK解説委員として私も覚えている。「みなさん、こんばんわ」から始まる解説は人気があり、マダムキラーと呼ばれた。最近ではNHK大河ドラマ「いだてん」で、平沢を星野源が演じたのが印象に残っている。

もともと時期尚早として東京オリンピックには反対の主張をしていたが、IOCでの立候補趣旨演説を急きょ身代わりでやることになった。45分のスピーチという決め事だったが、ライバルの国々は1時間から1時間半にもなって委員たちは疲労していた。

平沢は「日本では学校でオリンピックを学んでおり、全ての国民がオリンピック精神を理解している」「日本は極東と呼ばれているが、飛行機の時代になり極東ではなくなった。国際理解や人間関係の心の距離を消すには人と人が直接会う事が一番で、お互いに理解する事から世界平和が始まる。今こそオリンピックをアジアで開くべき時」と、15分という短い名スピーチを行い見事招致を勝ち取る。嘉納治五郎はオリンピックを勝ち取った帰国の船上で客死、第二大戦で返上し幻に終わった幻の東京オリンピックという歴史、そしてIOC委員からの尊敬を集めていた嘉納治五郎の最後を看取った人物という背景を持った平沢の短い演説は歴史に残った。スピーチは長さではない。

なぜ15分だったか。それについて平沢は「NHKはいつも15分なので」と回答したという。一生を一瞬に凝縮した15分である。人の一生を凝縮した時間が歴史の中で光ることがある。平沢の場合は、1964年の東京オリンピック招致の15分の演説だった。「いだてん」での星野源の顔はずっと私の記憶に残るだろう。さて、2020年の東京オリンピックにはどういうドラマがまっているだろうか。

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