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「名言との対話」10月2日。矢部規矩治「サッカロマイセン・サケ(清酒の酵母)」

矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日1868年11月4日) - 1936年昭和11年10月2日)は、日本の農学者醸造学)、大蔵技師清酒酵母の発見者。

群馬県前橋市出身。東京帝大農科大学で農芸化学を学び、大学院を卒業後は副手となる。

1894年、納豆から桿状菌1種と小球菌3種の分離に成功。

1895年、後に総長となった古在由直と共同で日本酒の醪(もろみ)から清酒酵母の分離に成功。

1896年委大蔵省に入省し、専売局と税関の鑑定官を兼務した。

1897年、清酒酵母の来源が稲藁であることを証明。

1904年、醸造試験所の初代事業課長に就任。

酒というものは数千年前からあったが、できあがる仕組みはわかっていなかった。17世紀のオランダで顕微鏡発明者のレーウェフックが微生物の存在を発見した。日本では1895年に矢部規矩治が清酒酵母(サッカロマイセン・サケ)を発見した。清酒酵母は麦藁などにいて麹にうつり、酵母から醪で増殖して発酵にいたる過程を証明した。1789年にはパスツールが発酵現象は微生物の働きによることを実証している。

日本の酒づくりは、「蔵付き酵母」「家付き酵母」と呼ばれた酵母に頼っていたことで品質が安定しなかった。醸造研究所の研究と、全国新酒鑑評会で高い評価を得た酵母を、日本醸造協会が純粋酵母として全国の酒造会社に頒布するシステムが整っていく。

古在由直、矢部規矩治ら醸造学者たちは。経験的・伝統的な醸造技術から脱皮し、科学的醸造技術の確立と普及に力を入れた。期間の短縮と腐敗の防止に効果があるとしたが、酒造家や杜氏は、学者の酒造法として敬遠していたが、やがて各地の税務監督官の指導に従うようになり、酒の質が高く安定することになった。1915年には(財)日本酒造協会を設立し理事、日本醸友会の初代会長に就任した。

日本酒は、吟醸酒ブームにも触発され、純米酒、低アルコール酒など、さまざまの酵母による多様化、個性化が進んで今日にいたっている。

矢部は納豆の研究家でもあった。納豆は、煮る・蒸すなどして柔らかくした大豆納豆菌によって発酵させた発酵食品で、日本では古代から存在していた。その発酵の仕組みを発見し、その研究はやがて「大学納豆」と呼ばれるようになった。このあたりのことも奥が深いようだ。

醸造・発酵の解明に大きな功績のあり、東京都北区の旧国税庁醸造試験所の前に胸像が建立されている。1934年の群馬県の大水害にあたり、復旧事業を推進し、知事は「120万人県民が先生の遺徳を偲ぶこと切なるものがある」と除幕式で述べている。矢部は除幕式の直前に亡くなっている。

清酒と納豆という毎日お世話になっている飲料・食品は、この矢部規矩治博士のおかげであるとわかった。ありがたいことだ。


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