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名言との対話(平成命日編)5

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2021年2月の記事一覧

「名言との対話」2月27日。豊田章一郎「過去の成功の上にあぐらをかき、自己変革を怠…

愛知県生まれ。名古屋帝国大学工学部機械科卒。東北大学大学院修了。工学博士。豊田喜一郎の長…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月26日。五社英雄「なめたらいかんぜよ!」

五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年2月26日 - 1992年8月30日)は、日本の映画監督、脚本家、演…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月25日。多胡輝「頭の体操」

多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年3月6日)は、日本の心理学者。 スマトラ生まれ…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月24日。石濱恒夫「先生ーーあなたはどこにいってしまわれたのです…

石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年2月24日 - 2004年1月9日)は、日本の文学者。作家、詩人。…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月23日。川添登「デザインは明日の歌である」

川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は日本の建築評論家。 東京出身。…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月21日。鈴木萬司「音楽で人を幸せに」

鈴木萬司(すずきまんじ 1923年2月21日ーー2020年8月21日)は、日本の実業家。 浜松出身。尋…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月22日。木滑良久「鍛えられた研ぎすまされた直感が全て」

木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - )は日本の編集者。 東京出身。15歳で敗戦に遭遇。進駐軍を通じて米国文化に接し、強烈な憧れを抱く。1954年3月、立教大学文学部史学科卒業。 学生時代から出入りしていた平凡出版(現在のマガジンハウス)に1955年3月に入社し、1965年から1980年まで『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任した。1980年、取締役に就任。1982年、『Olive』編集長を兼任。19

「名言との対話」2月20日。浅香光代「斬って恋して八十年」

浅香 光代(あさか みつよ、本名;北岡 昭子<きたおか しょうこ>、1928年2月20日 2020年12月13…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月19日。粟津潔「ものを創りだすことは、見ることだと思う」

粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。 …

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月18日。陳舜臣「ぶつかり合うと困難が生まれるが そこから取り入…

陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年2月18日 - 2015年1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月17日。増田義郎「遠い島からヤシの実が流れ着くように、海は切る…

増田義郎(まつだよしお。1928年2月17日〜2016年11月5日)は文化人類学者。 東京生まれ。東大…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月16日。中村 正䡄「一時間の余暇の使い方ですから。ですから“二足…

中村 正䡄(なかむら まさのり、1928年2月16日 -2020年3月1日)は、日本の小説家。 満州生ま…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月15日、立川清登「音楽をどうぞ」

立川 清登(たちかわ すみと、1929年2月15日 - 1985年12月31日)は、日本のバリトン歌手。本名…

久恒 啓一
3年前
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「名言との対話」2月13日。フランキー堺「一生けんめいとか必死なんてえのは、能なしの甘えの言葉だ」

フランキー 堺(フランキー さかい、本名;堺 正俊、1929年2月13日 - 1996年6月10日)は、日本のコメディアン、俳優、ジャズドラマー、司会者。 鹿児島市出身。麻布中学を経て、慶応義塾大学法学部卒。大学時代から進駐軍のキャンプでバンド「シックスレモンズ」のジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。後に映画へ進出し、『幕末太陽傳』(ブルーリボン賞主演男優賞)や『駅前シリーズ』などに出演した。BC級戦犯の悲劇を描いた『わたしは貝になりたい』では、芸術祭文部大臣賞を受