だれでも間違う

人はだれでも、言い誤り、聞き誤り、読み誤り、書き誤ることがある。その誤りに気付かないほうが幸せな場合もあるが、気付かせてもらったほうがありがたい場合もある。その場合も、みんなの前で恥をかくような仕方ではなく、こっそり知らせてもらったほうがありがたい。

誤りを指摘する場合、指摘したほうが誤っている場合もある。だから、教師が子どもの誤りを指摘する際には、子どもと教師が共に調べ、共に考え合い、協力し合って、より正しい知識や理解に近づくようにしたほうがよい。

子どもが話したり書いたり音読したりしているとき、それは違うなあと感じられた場合、まずは、子どもにそのわけを聞いてみるとよい。そうすると、それが、教師の勘違いだということが判明することがある。子どもが自分で、「あっ、ここ違ってた。」と気付くこともある。

教師と子どもの間に、知識や理解の不一致がある場合、子どもと教師が協力し合って、辞書や事典や参考書で調べたり、現物を見たり、現地に行ったりして、一緒に確認するとよい。その結果、教師の誤りが判明することがある。子どもの誤りが判明することもある。双方の誤りが判明することもある。それが学びの機会になる。

というようなことを私は、近著『国語を楽しく』(東洋館出版社)に書いたが、「言うは易く行うは難し」である。私自身がそうできていないことに気付いて恥ずかしくなる。が、その境地にできるだけ近づきたいと願う。そうすれば、胃の痛みが減るだろう。
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