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なんとなくこんな感じで生きている

起きてからのルーティン

  1. 起きる(8時間は寝る)

  2. 布団の中で Line、メールを確認する

    1. 来ていればレスする

    2. Slack は見ない

      1. レスしたくなってしまうため

  3. 歯磨き(デンタルフロス)する

  4. 水を飲む(結構多めに)

  5. 窓を開けつつ、布団を上げる

    1. ニトリの立つ布団にしているので、畳んで置く場所が不要

    2. 窓を開けているので空気の循環もしている

  6. バスタオルを持ってシャワーへ

    1. 10分ほど

    2. 朝シャワー派で湯船には家では基本入らない

    3. シャワー中は何も考えない

      1. 考えないことでたまにいいアイデアが浮かぶ時がある

        1. 年に2回ほど

  7. シャワーから出たらまた水を飲む

    1. この時に乳酸菌のサプリメントを飲む

      1. セロトニンの95%は腸で作られるための腸活

  8. 服を着る

  9. ドライヤーで髪を乾かす

  10. パソコンを仕事部屋に持っていく

    1. このタイミングでアンプの電源をオンにして iPad を再生する

      1. 今は曲はアンビエントか歌がないものを選んでいる

    2. 間接照明の電源を入れる

    3. お香を焚く

      1. お香や匂いものはすごく好きなので、一日に3本ぐらいは焚いている

  11. 掃除機を掛ける

    1. 掃除は趣味なので家全体の掃除機を掛ける

    2. 10分

    3. 必要であればダイニングのテーブルや仕事部屋の整理もここでする

    4. 綺麗じゃないと集中できないタイプのため

  12. 仕事部屋に持っていくための水をコップに入れる

  13. 仕事を開始する

    1. 朝ごはんは食べずに仕事を開始することが多い

  14. ここまでの準備でなんだかんだ1時間掛かる

おすすめされたものは試してみる

自分におすすめしてくれたものは、その人が良かれと思っておすすめしてくれたものなので、なるべく早めに観たり聞いたり行ったりするようにする。
やることが多い時は、急がない。
急いで観るものは頭に入ってこない。

おすすめを聞かれておすすめを伝えたけど、それらは一切観たり聴いたりしてくれないと、教えた甲斐がないというのがあるので、自分が思うことは相手も思うであろう精神でいく。

苦手なことを克服しない

苦手なのかどうなのかわからない食わず嫌いの状況なら試してみる価値はある。

ただし、もう何度もやってみたが、どうしても苦手だったり嫌だったりするものは克服しない。
諦めているというよりは、そこを頑張ってどうなるというのがある。

数学が得意な人がいて、自分が苦手だとする。
この時、僕が死ぬほど頑張っても、その得意な人のやっと足元ぐらいだと思う。

それなら、自分が得意な国語(例えば)を伸ばした方が、その数学が得意な人と同等レベルに行けるかもしれない
相手の土俵で戦わない。自分の得意ジャンルで勝機を待つ。
というのが僕の持論だ。

苦手なジャンルで商売をしている人はあまり見たことがない。
苦手だけどなんとかやってます、という方がいた場合、それは苦手ではない。
謙遜だ。

余談だが、嫌いだったり苦手な人に愛想良くする必要もない。
自分が好きな人に愛想良くしたい。
でも、嫌われている人に好かれたいという欲望は発生することがあるが、これも嫌いになることは阻止できないから、諦めて距離を置く。
依存しない。

会いたいと言ってくれる人には会う

「会いたい人には自分から会いにいけ」みたいな文章を見る時があるが、これもその通りだが、そういう気持ちじゃない時だとしても、なるべく会いたいと言ってくれる人には会うようにしている。

こちらもおすすめの話と同じだが、会いたいと言ってくれる人は尊いので、そういう方の気持ちを蔑ろにしたくないというのがある。

自分と飯を食べたいとか言ってくれる人が、歳をとるほど尊くなっていくと思う。
それは病気で飯が食えなくなっている人もいるし、死んじゃった友人もいるし、嗚呼もっとあの時飯食いにっていればなと思う時がある。
相手から行ってくれたのに、なんか面倒だったから断っちゃったなどだ。

読書のすすめ

2023年は介護やら自分の病気やらで絶望の年だったので、その時に自分のこの悶々とした気持ちをどうしたらいいのかという部分を探していた。
結果本の中にたくさん正解が書いてあった。
腹落ちする言葉がたくさんあり、それらに救われたというのが体験としてある。

そこでの経験に感謝して、本屋業を始めたのはいうまでもない。
本当に本はすごいとなった。
能動的に情報をとりにいくことで得られる情報の質の良さと、出会いの良さがそこにあった。

今まで本はもともと読んでいたのだが、高い本とかは普通に躊躇していた。
そのタカが外れて、今となっては本を買いという行為は無料だぐらいで本を買っている。
そもそも1000円とかで著者が一生を掛けて調べた内容が書かれていることが異常だと思う。
安すぎる。

コンテンツを消費するだけの人生にしない

この大コンテンツ時代に、コンテンツで消耗してる人はいっぱい見てきた。
僕もその一人かもしれないが、割とコンテンツ消費は楽しんではいるので、疲れはそこまでではないが、無限に人のやっていることを観てしまう問題があると思っている。

tiktok は最高に面白い10秒足らずの圧縮された映像が無限に出てくるので、ドーパミンが出まくり、ある意味依存状態になりうる。
これは今の僕がそうだと思う。
YouTube もいまだに無限に観ている。
コンテンツを観るのは良いのだが、ながら見をしたり、そもそもそこまで必要ではないものも観てしまっているし、頭に入っていない、つまり記憶に残っていない。

現代の1日の情報量は江戸時代の1年分という話があるぐらい、そもそも情報過多なのだと思う。

コンテンツを作る側もやりつつ、消費側にいるのなら意味が大いにありそうだが、ただ消費するだけだと、そのコンテンツの方の人生をただ観てしまっていて、それが自分のことではないので、あるタイミングで虚無感が生まれてしまうかもしれない。

ここは映画とか推しの人を応援するとかとはなんか違う。
そっちは良い。
でも、映画なら映画館に行った方が楽しいし、記憶に残る。
推しのライブも、 YouTube で観るのではなく実際に行くと最高だろう。
家というコンフォートゾーンにいながら、一生懸命生きている人をただ観てる側にいるのはあまり僕は楽しくない。

僕は自分の人生を生きたい。

一人旅をする

一人でいろんなところに行くようになったのは、40歳を超えてからだと思う。
そこまでは色々生きることで大変な部分もあったので、タイミングではあったのかもしれない。
あとは、一人で旅に行くというのが怖かった。寂しかった。
誰かといることで、いろんな失敗を未然に防げたりする。それがいいと思っていた。

でも、実際一人で旅をするようになったら、全てが学びであり最高であった。
旅先で出会った人と雑に会話をする時は、誰かと行っている時は今まで発生しなかった。
カメラもシャッターチャンスを待つとかも、一人なので無限にできる。
つまり楽だ。

その代わり、間違ったバス停で待っているとか、出発時間を間違えて空港に着いてしまったりするなどのハプニングはある。
でも、これがあることで、また記憶に残るのがある。
自分のことなので、後から全然笑い話になる。
笑い話にならない時は、第三者がいるとき、その人に向けた怒りがまだ残っていたりすると笑えない。
一人だとこれがない。全部の矢印が自分に向いている。
だから、シンプルに失敗を呑め込めて、次回に活かそうとする。

正規ルートでいく旅はあまり楽しくない。
土砂降りの雨が降っていて、家からも出ることができなくて、でも空港に早く行かないと、となっている旅は全部が記憶に残っている。
面白い。

寝る前のルーティン

  1. また乳酸菌のドリンクを飲む

    1. なんならヨーグルトを飲む

  2. 枕にいい匂いのルームスプレーを掛ける

    1. いい匂いの中布団に入るのは本当に気持ちがいい

  3. tiktok を30分ほど観る

    1. 面白かったり、行ってみたいや、いい話はメモをする

    2. 次回の旅先がここで決まったり、友人と行く飯屋が決まったりすることがある

  4. 読書タイム2時間

    1. ほぼ毎日2時間ぐらい本を読んでいる

    2. 寝落ちするぐらいまで読んでいる

      1. 何度も本が顔面を直撃する

    3. 眠くなって最後に本を閉じて、電気を決して、いざ寝るかというときは最高に幸せである


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