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大人になってから読む『スイミー』

スイミーのあらすじ

仲間たちがみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった。大きな海で暮らしていたスイミーと仲間たちだったが、大きなマグロに仲間を食べられてしまい、スイミーだけがなんとか助かる。

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仲間を失ったスイミーは、岩の陰に隠れて大きな魚に怯えながら暮らす仲間そっくりの赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、大きな魚が怖いからと小魚たちは出てこない。

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そこでスイミーは、大きな魚に食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。
引用元:Wikipedia


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大人になってから読む『スイミー』

『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』は小学2年生の国語教科書に載っていた。

当時の僕は、このお話にすごい感銘を受けた…わけではないと思うけれど、なぜかこの話を小学2年生の時に教科書で読んだことが記憶に残っている。

この話を読んで、当時の僕は何を思ったのだろう。

僕はシャイで、大人の求める答えは何だろう?と常に考えているような子供だった。だから多分授業中に手を挙げて自分の感想を語ったりなんてせず、テストでは模範解答ぽいことを書いていたのだと思う。

今思うと国語の授業はもっと自由に楽しめたはず…

しかし、今更そんなことを言っても意味のないことなので

大人になり読書会なんて運営している今、もう一度読み直して読書会だったらどんな感想を言うかななんてことを考えてみたいと思う。

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スイミーはなぜ一匹だけ黒いのか

体が黒い理由は作中特に語られていないが、「きょうだいたち」という記述があるので、他の赤い魚たちと同じ種なのだろう。

スイミーは突然変異で黒くなってしまったということか。

魚の場合オスメスで色が違い、途中で性転換する種などもいるらしいので、スイミーだけが別の性別になっているという可能性もあるにはある(でも、その構図はなんか怖い)

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それにしても、体の色の違いを周りから指摘される場面もないし、(兄弟で)たのしく暮らしてたと書いてあるし、兄弟がマグロに食べられた後にしっかり悲しんでいる様子から、体色の違いによる差別とかはなかったようだ

これはもしかすると、人間より社会が成熟しているかもしれない…

一瞬、魚は色を見分けられないから…?とも思ったが、さっきネットで調べたら、魚にも色覚があるものらしい。

スイミーのモデルとなった魚はいるのか?

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絵本内には「マグロに捕食される小型の魚」「基本色が赤」くらいしか情報がない、あと絵の雰囲気がなんとなく温かい海という感じがするくらいか。

自分は魚に詳しくないので、とりあえずネット「スイミー モデル」で調べてみると、この話題は割とポピュラーなものみたいだ。

回答としては「魚のモデルはなく作者がイメージで描いた」が多い。

一部「リュウキュウハタンポ」はスイミーのモデルです(^○^)と書かれているブログもあるが、なんか観光のネタにするために誰かが言い出したことが、広まっているだけ感がする。

もし、本当にモデルの魚がいるのならそれを見てみたいと思った。

この話の伝えたかったことは何なのか?

これはもう

小さな魚でも力を合わせれば大きな魚に勝つことができる

もしくは

個性は生かせる

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…と、小学生の国語のテストではそう書いた気がする。

しかしこれには作為的なものを感じてしまう。教科書がそう考えるように仕向けているというかなんというか。

改めて読んでみると、一時ひとりになったスイミーが海を巡るシーン、あのページをめくるたびに海がどんどん色づいていく感じ、冒険みたいなワクワク感が好きかもしれない。

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協力や個性ももちろん伝えたかったことだろうけど、このワクワク感だって伝えたかったことだと思う。実際一人旅にページ数もさいてるし。色使いや表現が細かい。

もしも小学生に戻れたら、大人の期待する答えじゃなくて自分の思うままの答えを書きたいものだ。

最後に

ということで『スイミー』についての考えをまとめてみました。もし、あなたも「スイミー」を懐かしんくれたなら、こちらのブログにコメントしていただけますと嬉しいです(^○^)

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