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階下から聴こえるギターの音色⑥(前編)歓喜のふうせん

今現在つかっているネタ帳ノートをひらくと
さいしょのページにこうあって、

五感をとじて
想いや感情のふうせんみたいに
内からなって
(※自分がその内側から、なってみて)
もやっとして
それが
冷たい空気にふれたときに
ハッとして
針でさされたようになって
不要な
いたずらに大きくさせていたきもちは
弾けてなくなって
すっきりと
要点のようなことだけが
残っていることって、ある

久乃

なんとなく最近のわたしが体感していることを
言葉にできそうな気がしたので書いてみよう。



1月の終わり
ことばのワークショップを
ある場でやらせてもらい
「もりのまなざしをうちに見るワーク」
なるものを考えました。

森にいる「わたし」を見つめる、
森や木々の視点を
ひしひしと内側に実感する
そういうことがひとつの狙い。

グループでのWSだったので
ひとりひとりが自分を感じる、
それとおなじくらい
繋がり合いを感じることも大事にして
わかちあいも挟みながら進行しました。

冒頭でまず、胸に手をあて
自分のこころを感じる
自分の内側に入る、
ということを皆にしてもらって。

忙しい朝をやりくりして
この時間のため集まった
その自分に敬意をはらい
今ここにチューニングする意図。

そして感じたことを共有してもらうのは
自分のため以上に
場に捧げるものとなりますと伝えました。

共感や、
違いから見つかる自分の音色。
誰かの言葉が呼び水となって
より感じやすくなったり
見つけやすくなったり
言語化しやすくなったり。

そのような認識を互いにもって
順番に話を聞かせてもらった方から

「自分の感じたことを話すことが
 難しいのではなくて
 自分の心に入っていくのに
 難しさを感じる」
という気づきを、聞かせてもらいました。

すごくなるほどと思って、
胸に手を当て内に…
という方向ではなく

みんなで輪になるこのまんなかの空間に
まあるい”こころ”があるとして
それについて、話しているとしたら


というふうにすると
それなら! と、急に気が楽になる
ということがありました。

この日WSを受けてくれた人たちは
ある共同体の仲間たちということもあり
よりそのイメージがすんなり持てた
かもしれない。

でもこれは、グループに限らず、
ひとりひとり、個々の体験としても
活用するに有意義な
視点の変換だととても感じました。

たとえばリラックス方も
いろいろ趣向があるもので
ざっくりふたつに分けても

籠る、内向きな方がより緩む場合と
解放、外に向いた方がより進む場合とが
あります。
その人の質だけでなくて
時と場合にもよるでしょう。

わたし自身は、おそらく
前者の内向スタンスが馴染み深いから
ふと取る姿勢は内観であり、
WSでもそのようなガイドを口にした。

でも思えば、ここ数年のわたしの
深い気づきは
どちらかというと、
外向きにした先での体験からだ!
・・・あえて言葉にしてみると
と、いうことではあるけれど。


後編に続く、その前に。

わたしのヨガの師、
渡部直子さんから
ヨーガスートラの学びを受け取っていたとき
教えを伝える「言葉」は指し棒であり
棒そのものを見ていたら
教えが何を語っているかは見えてこない
と、おはなししてくれました。

言葉の先にある、見えないものを見る。

その姿勢を、具体的に
模索しつつ始められたのは
この学びからだったと思います。

内向き
外向き
その言葉も実はひとつに向かうものと
わたしは捉えて使っていて
とうぜん優劣の差のないことを
ここに追記します。

わたしの創作活動をサポートしてくださる方がありましたらぜひよろしくおねがいいたします。励みとし、精進します。