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新聞の未来 (3) もしもこの世にジャーナリストがいなかったら? (1999年発表)


新聞は今後どうなるのかーー。
1998-99年に勤め先の職場で回覧していた『新聞の未来』です。月1のペースで10回、書きました。記事は当時のままです(オリジナルは縦書き)。

▼ジャーナリズムだけが果たす役割 (1999.1)

米国の株式市場ではアマゾンやヤフーなどインターネット関連株が堅調だ。これらの会社が特に高利益を上げているわけではないが、市場のインターネットに対する期待の表れという。
 
デジタル技術を「売り」にする会社には新しい市場原理が働くのだろう。では、情報通信の革新の時代に、新聞にはどのような環境が待っているのだろうか。 
 
デジタル時代の新聞の環境を予測するには、新聞を各パーツに分けて考えると良い。
 
新聞を大きく3つに分けて考えよう。
(1)  報道部分(ニュース、批評、分析、解説、評論など)
(2)  非報道部分(株式欄、テレビ番組旅行情報、将棋、連載小説、クロスワードパズル、漫画など)
(3)  広告(商品広告や不動産、求人欄など)
 
このうち紙の媒体よりも電子メディアに向くものは何か? 
 
コンピューターが圧倒的な強みを発揮するのは「検索」だ。これでいくと、(2)の中では株式欄、(3)では不動産や求人広告がそのまま電子メディアに移行しやすい。
 
株式や投信の投資家なら、新聞の株式欄よりパソコンに向かうほうがきめ細かいデータにアクセスできる。しかもリアルタイムで情報が得られる。不動産や中古車情報も同じ。 
 
商品広告についても、ニューヨーク・タイムズなど有力紙が、需要が紙面から消えて行くのを恐れて、ネット版での広告に力を入れているように、 広告に関する新しいモデルが出来つつある。 
 
(2)の非報道部門の大方のパーツはこれまで、読者からのニーズが強く、新聞の商品価値を支えて来た。しかし、これらは本来、新聞社や記者集団が得意とするものではないし、他の業種が参入しやすい。 
 
新聞社が最も得意とする(1)の報道はどうか。発表ものについては、必ずしも報道機関は安穏としていられない。
 
公的機関や民間企業、有名スポーツ選手が次々とホームページを開設し、情報を広く市民に直接提供しているからだ。自分たちだけが、特定の情報源の近くにいるというプレスの特権は急速に消滅しつつある。 
 
では、新聞には売り物として何が残るのか。ハーバード大学のニーマン財団のビル・コバッチ代表は、インターネット時代の新聞の役割について次のように説く。 
 
「インターネットの世界には、ジャーナリストも自称ジャーナリストも、詐欺師もエセ学者もカルト集団の教祖も同列に存在する。ミキサーにかけられたように、ニュースも論説も娯楽のための情報とごちゃまぜになっており、まじめなジャーナリズムが軽く見られている。今こそジャーナリストの仕事は重要になる」 
 
いつの時代でも市民のために、誰がやみに隠れた情報、隠れた因果関係を表に引き出し、分かりやすい文章で記述しなければならない。
 
「この役割を果たすのはジャーナリストだけだ」
(了)

▼新聞は鉄道に似ている? (1999.2)


「もしも私ががんなら、購読している新聞の医学欄の最新記事だけでなく、あらゆる報道機関のニュースを読みたいと思うだろう。どこかのホームページに登録しておいて、関連の情報が得られるようにならないか」
 
メディア事情をカバーしている米国のジャーナリスト、J・D・ラシカさんはオンライン新聞の未来について注文をつける。 
 
動画や音声などマルチメディア機能のほかに、オンライン新聞には情報提供者と利用者との間の「双方向性」という特徴がある。読者があらかじめ登録しておけば、お気に入りの分野のニュースや情報が毎日自動的に届く仕組みは簡単に作れるはずだ。 
 
有料のウォールストリート・ジャーナルのサイトは、特定の企業や業界、株式など好きなニュースやデータだけを自動的に選んでユーザーが見ることができる。米国の新聞業界誌「アメリカン・ジャーナリズム・レビュー(AJR)」によると、一九九八年九月現在で、日刊ベースで情報を更新するオンライン新聞は、全米で四百九十二あるという。
 
しかし、実際に、双方向性を最大限利用して、読者のニーズに応じてカスタマイズできる新聞は数えるほどしかない。

なぜか? 
 
ラシカさんは言う。「新聞界の昔からの習慣によるところが大きい。新聞社は、自分たちが選んだニュースを読者に押し付けるものだ。しかしオンラインの時代に、新聞の編集者はこれまでのニュースの門番の地位が損なわれるのではないかと危ぐし始めている」(AJR、一九九八年十二月号)。 
 
実際、ニュースがすべてカスタマイズされ、欲しい記事だけを読んでいたのでは、世の中の動きから取り残される。また、報道機関としても、大統領の不倫疑惑や地元のフットボールのニュースだけが読まれる状況を容認できないだろう。 
 
「それでもやりようはある。新聞社として、『このニュースはぜひ』というトップニュースを二、三本掲げ、あとは個別に読者がほしがるニュースを選択できるようにする方法はどうだろうか」とラシカさん。 
 
確かに、読者のニーズは多様化の一途をたどっている。新聞業がビジネスなら新聞社も、自動車や住宅建設のように、読者という消費者の声に少しは耳を傾ける努力をすべきだろう。 
 
この問題をめぐって先日、サンフランシスコをベースに情報テクノロジーのコンサルタントをしている友人と話をしていると、「新聞は鉄道やケープルカーに似ている」という比ゆを紹介してくれた。
 
「これらは軌道通りに駅や停留所まで運んでくれるが、特定の家や店までは連れて行ってくれない。読者が本当に満足するのは、自動車のように目的地まで行ってくれる新聞だろう」
 
なるほど。 
(了)
 

▼ジャーナリストがいなかったら (1999.3)


米国の新聞各社はインターネット上でのオンライン新聞事業展開に本気で取り組んでいる。
 
一般家庭のパソコン保有率が五〇%を超えており(ガートナーグループの調べ。ちなみに日本の保有率は二四%)、「紙の新聞」の発行部数が低迷する中で「オンライン新聞こそ次の時代の読者へのニュース提供の場になる」という思惑が働いているからだろう。 
 
しかし、新聞社が思い描く新聞の未来像の一つがオンライン新聞であるならば、雑多な情報が洪水のように存在しているネット上で、事実の報道や論評というジャーナリズムの使命は、いかに維持できるのだろうか。 
 
気掛かりなことは、一般企業が開設するポータルサイトに、オンライン新聞の読者が奪われかねないことだ。ポータル(Portal)は表玄関を意味する。ポータルサイトはインタネットに接続した時に、閲覧ソフトに最初に自動的に現れるホームページを指す。 
 
ヤフーやマイクロソフトなどの報道活動とは無縁の企業がビジネスとして運営しており、ニュース速報や、株価など経済情報、案内広告を盛り込み、ネット利用者からさまざまな個人デー夕(年齢、性別、職業、年収など)を得るのと引き換えに、無料でさまざまな情報を提供している。
 
端的に言うなら「市民」を相手にするのがジャーナリズムなら、ポータルがターゲットにするのは「消費者」だろう。
 
だが、インターネットは、自由競争の場である。移り気な消費者を相手に、資本、技術、市場分析などの力を蓄えてきた強力な企業に新聞社が立ち向かうのは難しい。 
 
インターネット時代のジャーナリズムの必要性について、情報洪水社会をいかにして生き抜くかを論じた「データ・スモッグ」(デービッド・シェンク著)は次のように説く。
 
「ジャーナリストがいなかったら、他にだれが医療ミスや不注意な医者を暴くだろうか。だれが政治家の公約を守らせるだろうか。だれが政治資金と政治家の関係をチェックするだろうか。だれが航空機や自動車などの安全性をチェックするだろうか」 
 
情報通信技術は金融界の基本構造を変えたが、新聞界もまたテクノロジーの劇的な変化と無縁でいられない。
 
報道と娯楽の区別に無関心なポータルイトが、技術と資本、マーケティング力を武器にインターネットの勝者として君臨する前に、ジャーナリストもネット上で確固とした場所を確保しなければならない 。
(了)

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