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カリフォルニアは「島」だった? 間違った地図で命を落とす

コロンブスやマゼランで知られる大航海時代の幕開けからすでに200年たった17世紀後半から18世紀の初頭の地図の話―。

この時期に作られた地図の数々は現代人の目から見てもそれほど違和感がなく、それらしく描かれている。

しかしどの地図にも共通して、1つだけ重大な欠陥が見える。

カリフォルニアが半島ではなく、独立した「島(アイランド)」として描かれていることだ。


▼ 「山脈を越えると、海が広がるはずだ」

下の地図を見てほしい。

北米・南米地図(1678)スタンフォード大学サイトより

現在のカナダのバンクーバー付近を北限に、現在のカリフォルニア半島(メキシコ領)を南限とする、南北に長い「島」が太平洋に浮かんでいる。

最初に描かれた地図を著名な専門家が下敷きにしたせいか、100年近くにわたって「カリフォルニア島」を描いた地図を、英国やオランダの多くの地図業者が出版した。

当時のスペインは領土拡張と布教のため、思い描いた新天地「ニューメキシコ」を目指そうとした。ニューメキシコは当時の地図では「カリフォルニア島」の東側に海路を越えて「対岸」にたどりついた後は、ひたすら東へ進むと到達できる。

スペイン人が入植していた南米大陸の西海岸から、ニューメキシコに向かうには、当時敵対していたメキシコを避けて北上し、カリフォルニア島に到達してそこから舟を出して、東を目指すしかない。

カリフォルニアとニューメキシコが地続きだとは夢にも思わなかった。何せ彼らが手にしていた地図は「島としてのカリフォルニア」が描かれていたのだから。

そこで、探検隊はカリフォルニアに着くとキャランバン隊を作る。ロバの背中にボートを乗せて、地図を頼りに海を目指して歩いた。「(ネバダ)山脈を越えたら、すぐ海だ」と、口々に励ましながら一向は歩き続けたに違いない。

しかし、行けども行けども、これまで経験したことのない広大な砂漠が続く。

▼地図の訂正に50年を要した

多くの探検家が「地図に間違いがある。カリフォルニアは島ではない」と現地から苦情を書き送り、「地図がおかしい」と正式に抗議もした。

だけど、スペイン本国や教会、地図業者は「地図が正しい。あなたたちは別の道を取ったに違いない」と譲らなかった。

地図を作った1人、オランダ人のヘルマン・モル(1680頃-1732)にいたっては、「カリフォルニアが島であることは間違いない。周囲を一周した船員の話に基づいて作ったのだ」とまで言い張った。

あきらめて引き返した探検隊は、まだ良かった。

新天地を目指しながら、砂漠の真ん中で命を落とした人間が大勢いたからだ。

今でもネバダ州の砂漠地帯には、人骨とボートの破片が採掘されるという。

カリフォルニアが「島なのか、大陸の一部なのか」についての議論はヨーロッパでも繰り返された。だが、間違った地図は50年以上にわたって使われた。

結局イエズス会の神父が、ニューメキシコからカリフォルニアを徒歩で横断し、カリフォルニアが陸続きであることを証明するまで、机上の論争が続いた。

1650年ごろに作られた地図(Wikipediaより)

神父は時のスペイン国王フェルディナンド7世に「地図変更令」を出させて、事態はようやく決着したという。1747年のことだ。

▼事実を見極めよ

奇妙なことに、この時期より前に作られた地図には、カリフォルニアは島ではなく、半島として描かれてた。昔の地図の方が正確だった。

遠く離れたヨーロッパで地図作りに従事する人でカリフォルニアに足を踏み入れたものはいない。「権威ある船乗り」から「権威ある地図職人」への伝達だけが、地図作りのプロセスとなる。最終的には法王庁の権威が地図の正当性を保証する。こうして間違った情報が正当性を帯び「孫引き」され続けた。

さて、架空の、あるいは、誤解に基づく「カリフォルニア島」から得られる教訓は何だろう?

(1)間違った情報で「間違った地図」が作られた
(2)「間違った地図」で、間違ったことをしてしまう(最悪の場合、命や財産を失う)
(3)いったん権威筋が認めた「間違った地図」を修正することは簡単ではない

ほんの20年ぐらい前、初期のカーナビには道路や地名の誤記が散見された。山間部や森林地帯では役に立たないことも多かった。

今や、精度の上がったGPSとグーグルマップの時代だ。ユーザーのバックアップもあり、絶えず修正される。ネットワークが進んだ地域で、GPSが作る地図ゆえに失敗するとしたら、地図の見方が悪いせいだといわれかねない。

この意味で、今では「間違った地図」が問題になることはずいぶん減っただろう。

だけど、私たちの道しるべとなる「人生観」「職業観」「社会観」が、大航海時代の地図と機能の上では似ているかもしれない。

間違った情報が、間違った「人生観」「職業観」「社会観」を作る。そしてこれらを修正することは実は簡単ではない――。

まずは、正確な情報がキモになるということか。

しかし、これほど複雑な世界を生きるのに事実の取捨選択もままならない。

何かに失敗して、遠回りをしてから「あの時、気づいておけばよかった」「そういえば、警告は発せられていた」「本当は知っていたが、単に事実と向き合わなかった」ということはよくある。

島(アイランド)として描かれたカリフォルニアが教えることは、せめて「事実を尊重しなさい」「事実を見極めよ」ということなのだろうか。
(了)

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