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身体は生きようと傷をふさぐ

⚠︎本記事には自傷行為についての記述がありますが、そのような行為を助長させる意図はありません。気持ちが引っ張られてしまう方はブラウザバックを推奨します。また、全ての内容は私個人の考えに過ぎず、一般化されるものではありません。


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数日前、誤ってフライパンの持ち手の胴部に近い部分を握ってしまって人差し指の付け根を火傷をした。すぐに水で冷やしたものの、小さな水膨れができてしまった。でも1日経った頃には痛みはなくなっていて、見た目からも少々赤くなっていることしかわからなくなっていた。


治したい、と私が意識していなくたって、身体は勝手に傷を修復する。


私の父と母は、2人とも感情が昂ると手が出てしまう人だった。とはいえあからさまに傷が残るようなことをしてくることはなかったのだけれど、それでも1度だけ、出血するほど殴られたことがある。

私が小学6年生だったときのことだ。あのとき母の手に握られていたのはたしかDVDケースだった。殴られるときはいつも、自分の手が痛くなるから、という理由で、素手ではなく物越しだったのだ。なぜそうなったのかは覚えていないけれど、私の部屋にやってきた母はDVDのケースで私の頭を殴ったのだった。

母が部屋から去っていってからそっと頭の傷跡に触れてみると、手に血がついてぎょっとした。でも、髪の毛で隠せる頭で良かった、と思ったのを覚えている。周囲の人たちに傷がバレるなんてことがあってはならないと思っていたのだ。そして私は実際、隠し通した。

隠し通した、けれど。

傷があったのは事実だった。かさぶたになった傷に触れる度、私の心は負の感情でいっぱいになった。強かったのは羞恥心と罪悪感、自分への怒りだった。私がもっとしっかりしていればできなかった傷だ、こんなことになって恥ずかしい、と。

傷は私自身の汚れだった。傷がある自分を許すことができなかった。気づけば自分で自分のかさぶたを剥いでいた。剥いだ後にまた新たなかさぶたができても、それもまた剥いだ。来る日も来る日もそれを繰り返した。そのせいで、はっきりとは覚えていないけれど、傷が完全に治り切るまで数か月はかかった記憶がある。

傷が治っても、私は感情の暴走を止めることができなかった。傷があった位置の髪を抜くようになった。気持ちが不安定になる度に、泣くのを堪えながら髪を抜いた。

髪を下ろしていれば隠れる位置だったのが救いだった。それでも小学校を卒業する頃には髪をかき分ければ明らかに禿げていることがわかる状態になってしまった。だから中学校では、髪型についての校則はなかったにも拘わらず絶対に毎日髪をポニーテールにした。結局3年間、学校では1度だって髪を下さなかった。

幸いなことに、私は中学生になってからは髪を抜くことはなくなった。中学1年生の夏頃までは実家を離れて祖父母の家で生活していたことが理由かもしれないと、今となっては思っている。

大学生になってから、かさぶたを剥ぐことも抜毛(髪を抜くこと)も、広い意味では自傷行為に当てはまるということを知った。でも困ったことに、私の自傷はそれだけでは済まなかった。


高校3年生、いろいろなことが重なって、心が死んでいた。端的に言えば死にたかった。そのときは実際に死のうとは思っていなかったけれど、とにかく楽になりたい一心で、初めて自分の皮膚の上で刃物を滑らせた。

ごくごく軽い力だった。ミミズ腫れになって、少し血が滲む程度。手首の内側に、3、4本だっただろうか。気持ちは全然楽にはならなくて、むしろ自分の血を見ることで自分が生きていることを実感させられるようで、絶望した。このときの傷は浅かったから、すぐに治ったし跡も残らなかった。

自傷したってなにも良いことはなかったはずなのに、その数か月後、私はまた手首を切った。このときはなぜか、手首の外側だった。内側も少し切った。つまり両側に傷をつけた。わざわざ剃刀を新調する気力なんてなかったから手持ちのガード付きの剃刀を使っていて、だからやっぱり、傷が深くなることはなかった。それでも何日かに1度は夜中に悪夢を見て飛び起きては傷をつけることを1か月も続けていると、腕は人目に晒すことのできる状態ではなくなってしまった。

自分で切っておいてこんなことを言うのも変な話だが、切っている最中と同じくらい、その傷跡を見るときの感情の揺れも激しかった。より正確に言えば、治りゆく傷を見るのが嫌でたまらなかった。私は生きていたくなんかないのに、身体は勝手に傷をふさぐのだ。そもそもそんな傷じゃ死にやしないことはわかっているけれど。私の生きたくない気持ちは置いてきぼりのまま、身体は傷口に血小板や赤血球やフィブリンなんかを寄せ集めて、修復してしまうのだ。

身体が生きろと叫んでいた、

なんてことはない。私の身体はただ、元々備わっている機能を活用して、果たすべき役割を果たしていただけだ。だけど、あの頃は私を絶望させていたその身体の機能のおかげで、今の私の腕にはほとんど傷は残っていない。

やっぱり、世間一般で言うところのリストカットよりも、私がつけていた傷は随分と浅かったのだと思う。あれから2年以上が経った今、私の腕に見える傷跡は手首の外側の一箇所だけで、それも自分で切った跡だなんてことはきっと人にはわからない。よく目を凝らせば周囲にももう何本か跡が見えるのだけれど、そんなに人の腕をまじまじと見る人なんて滅多にいない。


マカロニえんぴつの、「ヤングアダルト」という曲がある。その中で、こんな歌詞が出てくる。

夜を越えるための唄が死なないように
手首から もう涙が流れないように

ヤングアダルト / マカロニえんぴつ

手首に傷がなかった頃の私は、「手首からもう涙が流れないように」というのは、
溢れた涙を手で受けて手首まで流れていってしまうほど泣くことがないように、ということだと解釈していた。

今はどうなのかと言うと、この歌詞はリストカットの暗喩なのではないかと思ったりする。事実、涙と血の成分はほとんど同じで、その差は血球の有無だけなのだし。

真偽の程は定かではないけれど、とりあえず私は、もう手首から涙は流さない、と決めている。いくら生きたくなかろうと、その意に反して生きようとする身体を目の当たりにすることには、結構ダメージを食らう。

でもその一方で、身体が生きようとしてくれることが、ありがたいことなのかも、とも思うのだ。身体が生きようとしちゃってるからなあ、とりあえず生きておくか、くらいの軽さで生きていけたら、遠い未来で私が穏やかに生きていけるかもしれないから。

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