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これが愛じゃなければ

猫を飼うかどうかについて、ずっと考え続けていた1週間。

正確に言うと、考えていたのは「飼うかどうか」ではない。飼いたいと思った時点でもう答えは出ていて、私が考え続けていたのは、実行に移さない言い訳のようなもの。

いのちには最後まで責任を持たなくてはいけないから…と。でもね、こんなに悩んでいるということ自体が、もう十分に責任感があるという証拠。だから、途中で投げ出したりはしないと思う。もしも途中、何かの事情で飼い続けるのが難しくなったときは、保護猫団体などに引き取ってもらうという手もあるのだし。

では何を悩んでいる? もしかしたら、生活が変わるのが怖いのかもしれない。一人暮らしが長いから。しかしですよ、そもそも今の生活を変えたいから、猫を飼いたいと思ったわけで。

もし猫を飼ったなら、自分とは違う意思を持った相手と生活を共にすることになる。そのことに、すこし恐れおののいている。

こうやって、ぐるぐる悩んでいるこの感じ、何かに似ている…と思ったら、それは母と同居するかどうかについて、昔長らく悩んできたことと、どこか似通っているのだった。

***

亡き母と私は折り合いが悪く、若い頃の私にとって母はなるべく近寄りたくない相手だった。小学校教師をしていた母は常に忙しく、家事に関してはかなり不器用だった。一生懸命やっていたとは思うけど、様々なことを差し引いても、母の子育てはとても雑だったと思う。思い出す限り、私は母に甘えたりスキンシップをとった記憶がほとんどない。うちは父が時間に自由がきく仕事だったので、父がその役割を担ってくれていた。わが家では昭和の一般的な家庭とは父と母の役割がさかさまで、母がモーレツ・サラリーマンだった。

だから、大人になったとき、どうやって母と付き合ったらいいかわからなかった。母とたわいのないおしゃべりをする習慣がなかったので、20代の頃の私は母に会っても話すことがなくて、必要以外は口をきかない不機嫌な娘だった。

やがて父が亡くなり、一人暮らしになった母の面倒をきょうだいの誰がみるかとなったとき、娘である私に期待がかかったのは感じたけど、一緒に暮らすと申し出ることはできなかった。一番の問題は、母がモノを捨てない・片付けられないということ。ゴミ屋敷と化した実家は私にとってトラウマレベルで安全を脅かす空間で、今でも何かのきっかけであの光景がフラッシュバックすることがある。

年末年始なんかに母が私の家に何日か泊まりにくるのは構わないけど、ずっと一緒にいるのは無理。数日の間は私も優しい娘でいられるけど、それ以上は感情の制御がきかない。そんな私は冷たい娘だろうか。母はたぶん発達障害か何かで、あんなに不器用なのに働きながら子育てもして一生懸命生きてきた人なのだから優しくしなくては。そう思う一方で、私は自分一人の安全な暮らしを邪魔されたくなくて、母の面倒は弟に押し付け、罪悪感を抱きながらも逃げ続け……。

そして、2年前。母に末期癌が見つかった。余命3カ月。もう手の施しようがない。そんな状況になったとき、私はようやく母と一緒に暮らす決心がついた。入院させずに私が引き取り、訪問看護を受けながら自宅で看取る。迷わずそう決められたのは、終わりが見えていたから。あれだけ放っておいたのに最後だけ優しくするなんて。だから私はずるいのだ。

それからあれよあれよという間に母は衰弱してゆき、母との同居はわずか2カ月で幕を閉じた。最後のひと月は意識レベルが落ちていたので、会話らしい会話もできなかった。

あれはもうしゃべれなくなった最後の頃。ある夜、私はベッドの中で寝ている母の顔をのぞき込んだ。すると母は薄目を開けて、しなびた手をそーっと私の方に伸ばしてきた。何だろうと思っていると、その手が私の頬に触れた。その瞬間、私は思わず身を引いた。だって…あまりにやさしかったから。自分の中からドバっと出てきた甘美な思いにびっくりして、びっくりしすぎて、反射的にのけぞってしまったのだった。母はそれで手を引っ込めてしまったけれども、私はそれから長い間、今に至るまで、ずっと後悔している。どうしてあの時、身を引いてしまったのだろうと。

ダッテワタシ、オカアサンカラソンナフウニナデラレタコト、オボエテイルカギリ、イチドモナカッタカラ…。

これが朝ドラなら、きっとこんなシーンになる。老いた母は娘の頬にそっと手を伸ばし、目を細めて娘をやさしく見つめる。娘はその手を握りしめ、うるんだ瞳から涙を流して「お母さん、ありがとう…」などと言うのだ。ああ、私が朝ドラのヒロインであったなら。

私は素直に受け取ることができなかった。しなびた指先が頬に触れた瞬間のやさしさと、自分の中からドバっと湧き出た甘美な感情を。瞬間的におののいて私が受け取れなかったもの、それをきっと愛と言うのだろう。

***

猫を飼うことに私が感じた、いのちに対する責任、生活が変わることへの恐れ、自分と違う意思を持った相手と暮らすことへのおののき。この文章の冒頭で言い表したもの、それって結局のところ愛なんじゃなかろうか。だから怖くて、でも必要で、心が求めている。

そうか、愛か。これが愛だったのか。愛を責任と呼んでたなんて、私は昭和のお父さんみたいだね。

と、書いてみて気がついた。昭和のお父さん。それってうちの母のことだった。


小春日和の土曜日、井の頭公園は親子連れでにぎわう。冬の日に照らされたスワンの大群。猫を飼うことに決めた。

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