わたしの「ひみつの京都」その① 〜祖父33回忌法要で京都の真髄を感じる〜
紅葉のシーズンになると、多くの雑誌が京都特集を打ちます。
ただでさえ観光客が多いのに、気候が良くなった秋はさらに人が押し寄せる街、京都の特集です。(言い方〜)
東京に来てから「出身は京都です」と言ってしまう私は(大阪と一緒にしてほしくない意地)、この手の特集を買ったことがありませんでした。でもこの秋、ちょくちょく購入する芸術新潮が特集していたので購入しました。
内容は建築、美術館、アートスポットの記事のほか、美術品の記事もありました。あと第2特集の北宋書画展の記事も、私的にはワクワクです。写真も大きくて見やすく、さすが。
今回、これをパラパラと読んで「わたしのひみつの京都」をまとめておきたくなりました。以下は観光案内記事ではありませんので、あしからず。。。
暑過ぎた夏が一段落した9月末、京都のお寺で執り行われる、祖父の33回忌法要に行く段取りを始めました。いつぶりかわからないぐらい、久しぶりの京都です。立寄りたい場所をGoogleマップで確認しながら、ふと思いました。
「あのお寺のご本尊って、何?」
アラフィフになってようやくこんな疑問を持てるようになりました。いくつになっても成長できるもんです。大学生になった甲斐があります。早速調べてみました。
(;゚ω゚)ェ...................
「はへ?」ってなって、一瞬固まりました。
「後白河法皇の念持仏」「平安時代後期の作風」て、
とんでもない仏さんやん!
さらに調べたら京都国立博物館(お寺からめっちゃ近い)で展示されたこともあるほど、貴重な仏像とのこと。恐るべし京都。いや、これだから京都、か。。。
きっとこんなことが街中にゴロゴロあるんだと思います。
「よっしゃ、京都行こう」、新幹線に飛び乗りました。
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久しぶりの京都、そして久しぶりのお寺です。おじいちゃんよ、しばらく来なくてすまんかった。やっと来たで、お寺の阿弥陀如来坐像を一目見たいから。
母の兄夫婦、母の従姉妹、そして母と父と私。33回忌にもなると集まる親族も少なくなります。ちょっと寂しいです。みんなちゃんと順番に亡くなりましたね。。。
さぁ、ご本尊はどこだ。阿弥陀如来さんはどこにいらっしゃる?
法要が始まる前にお手洗いへ行き、その後にちょっとお堂を覗いてみました。すると奥さんが法要の準備をされてました。(早々にチャンス!)
私
「あの、、、久しぶりに来させてもらったんですけど、ご本尊が貴重な仏様やって、最近知って、、、少しだけ、見させてもらってもよろしいですか?」
奥さん
「はいはい、どうぞどうぞ〜。」
快くお堂の真ん中へ案内してくださいました。
少し高めの見上げた位置に、ご本尊の阿弥陀如来坐像が祀られていました。
ぼんやりとした灯りの中、穏やかなお顔が確認できます。
実は、、、
正直な話をすると、「え?!暗っ、遠っ」と思ってしまったんです。美術館や博物館で、ばっちり照明の施された仏像ばかりを見ていたおかげで。大学の講座では、細部まで撮影された写真を見たり、なんならX線撮影された画像とか、いわゆる「資料」としての仏像ばっかり見てるんです。だから祀られている阿弥陀如来さんを前にして最初に思ったのが「よう見えん…」でした。。。
両脇侍にも何か仏さんがいらっしゃるぽいんですけど、ぼや〜〜〜〜っと黒いシルエットで、何なのか全く確認できない状態です。(遠視とか老眼とかのせいもある)
しんとしたお堂の中で、少しのあいだ向き合わせていただきましたが、法要前にここで時間をとらせてしまってはいけないと思い「ありがとうございました」と言ってその場を離れました。
私
「お時間いただいて見させてもらって、本当にありがとうございます。博物館でも展示されたことがあるって知って、本当にびっくりしました。」
奥さん
「後白河法皇のお念持仏やったと伝わってます。後白河法皇のお念持仏は他にもいくつかあるんですけど、その一つが巡り巡って、ここのお寺でお祀りさせていただいてます。代々伝わって、たくさんの方がこの仏さんにお参りされたんやと思います。京都は、争いが絶えない場所でしたから、、、歴史の教科書なんかを見ても、「へー、そんなことがあったんかぁ」ぐらいのことなんかもしれませんけど、人が殺し合って、ぎょうさんの人が死んだ場所です。京都は、下掘ったら何が出てくるわかりませんから。養源院の血天井とかも残ってますけど、ほんまは血生臭い所です。そんな争いの続いてきた場所で生きていくって、大変なことやったと思うんです。人が人を殺すって、、、正気の沙汰ではできません。そんな時代に生きた人たちが、この仏さんに、自分の罪のお慈悲を求めたはったんか、仏さんやらにすがってないと生きてらへんかったんか、、、それを思ったら胸が痛いです。
それでも毎日、この仏さんのお顔見てたら、そんな人たちも仏さんの前にいる時ぐらいは、心が穏やかでいられたんかもしれへんなぁ、もしそうやったら、ちょっとでも救われはったかなぁとか、思うんです。優しい、穏やかなお顔したはりますでしょう。。。」
フォ━━(━(━(-( ( (゚ロ゚;) ) )-)━)━) ━━ !!!!!
「暗くてよう見えん」ちゃうで!!!
これが京都や、京都の真髄や。。。
制作年代、地域、何様か、何派の作例か、そんなことばっかり追いすぎて、この前で手を合わせていた人たちのことが抜け落ちてました。「仏さん」は、信仰、人の拠り所。そもそも「仏さん」って言ったほうが、より身近に感じます。
私
「貴重なお話聞かせてもらって、ほんまにありがとうございました。来てよかったです。そうですよね、京都は、、、そんな場所でした。」
奥さん
「いえいえ。こちらこそです。」
この話のすぐ後、みんながお堂にやってきて、ご住職もこられて、法要が始まりました。ボワ〜〜〜ンと浮かぶ仏さんのお顔チラチラ見ながら、やっぱり脇侍が何なのかと暗闇の方向に目を凝らしながら、そしておじいちゃんに「ありがとうやで」と、感謝しながら。
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法要後、豊国神社と博物館と三十三間堂を通り過ぎて、ハイアットリージェンシーへ行き、お昼ご飯をいただきました。(やっと写真載せれる)
食事をしながら、さっきの奥さんとの話を父と母にしました。
父
「京都の人の ”先の戦争” は "応仁の乱” のことやとは昔からよう言われてるけど、それよりも前の話も含まれとるな (笑」 (大阪の人の意見)
母
「ええ話聞けたな。」(京都の人はやっぱりちょっと自慢げ)
午前中から濃い京都でした。
その②へ続く。
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