家族写真という「祈り」
海の前に立つひとりの男と笑みを浮かべた子供。写真は傾いている。タテで撮ろうとしたのか、ヨコで撮ろうとしたのか、他の理由があったのか、写真を撮影した母親が亡くなってしまった今となってはその意図はわからない。仲睦まじい2人が写るこの写真、親子のようだが本当の親子ではない。当時、母親が付き合っていた男性である。私はこの男性が本当にすきだった。海釣りなど、一緒によく遊んでくれたし、彼もまた私を受け入れてくれた。そうした関係性は満面の微笑みをたたえた私の表情からもわかるだろう。お風呂に一緒に入っては「オレはヒデキの父親になっていいのか」と聞かれたことは覚えている。
えっ、と驚きつつも、ゆっくりうなずき、それまで祖母が呼ぶように名字で呼んでいたのだが、「おとうさん」と恥ずかしくなりながら一言ずつ呼びかけた。男は嬉しかったのか泣きながら私を抱きしめて、その夜はすっかり湯当たりをしてしまった。
しかしその幸せは長く続かなかった。「行ってきます」といつもの朝に言い残して男は母親が作った弁当を持っていったまま消えてしまった。理由は払いきれない借金の厳しい取り立てと聞いたけど、今となってはこれも定かではない。
その後、母親は裏切られたショックから数日間は食も喉を通らず、食べ始めたご飯も以前の量には戻ることはなかった。ひたすら沈黙の暗がりに沈んだあとで、彼女の中の何かが変化したのか、失われたものを取り戻すように何人かの男と遊び始めるようになる。
その頃の母親の写真を見ると、母親というより女としての像が強く写っていたことに、子としての私は驚く。女としての母親の側面を理解するには、その頃の私は幼すぎたのだろう。男と遊び歩き、夜な夜な男を連れてくる母親を「親として」尊敬に類する敬意を払うことは一切なかったし、また連れてくる男たちにも軽蔑の視線を与えた。母親も頑なに理解しようとしない私をある時から眼差しの対象から外したのかもしれない。
青山さんから「家族」をテーマにと言われたときは、「どうしたものか」と本当に困惑した。私は結婚しているのでプリミティブに「妻」を家族として紹介する手もあったのだろうが、残念ながら、私の性格はそういう素直なものではなかったし、犬や猫やネズミなど、家族として仮託できるような存在もない。亡くなった母親や祖母という死者をもって「家族」を語るために、気が重くなりながらも実家の物置の奥に放っておかれた古い写真が入った箱を紐解いた。そして展示しているこの写真と出会った。その写真をみて傾いているが、シンプルに「良い写真」と思った。それに加えて、「あの頃の私たちはかりそめと言えど本当に家族だったのだ」との気づきを得た。
写真はその瞬間を写す。言い換えれば未来も過去も写さず、写真はその時の刹那しか写さない。多くの人は、そのときの幸せが永続していくこと願ってシャッターを切る。写真は「記録」に違いないが、家族アルバムとはそうした「祈り」の集積でもある。何年後、何十年後に笑顔で見返されるか、捨てられるか、放置されるか、撮られたばかりの写真は何も教えてくれない。それ故に豊かな時間で回顧される写真は幸せである。
残念ながら私たちの場合、家族みんなが集まる茶の間にて過去を写真で振り返る時間は終ぞ訪れなかった。写真は何十年も押入れの奥の暗い箱の中にしまわれ、変色し、アルバムに整理されることなく、前後のプリントとくっついてイメージが欠落する写真が数多く目立つ。母親の女としての楽しさと輝きが増すごとに、私の写真が少なくなっていく。
"family affair” と名付けられた、この写真展。私は地方在住のため、残念ながら見に行くことはできない。といいながら、「家族とは」と考えるために、こんな無策で暗い長考を記しているひねくれた私が、素直に「豊かな時間で回顧された写真を」良かったねと祝福で語ることができるのか、甚だ自信がないところではあるし、家族に関する「暗い記憶」はこうした小説を読んでもらう距離感がちょうどよいのかもしれない。
かりそめであってもその時は家族だったのた、という気付きは自分にとって新鮮でした。今となっては誘っていただいた、青山さんに感謝しています。また、こんな暗い小説を読んでいただいた方にも感謝。すべての家族写真が、豊かな時間で回顧されて欲しいと願っている。
遠く金剛山が見える部屋にて。H
2023年2/8〜2/19日
Paper pool 「家族 " family affair "」用のテキスト。
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