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人の話が聞けないというよりかは

「俺が話してるとき、目線がどっかにいってたけど、話聞いてた?」

「返事のタイミングが遅いんだけど、聞いてた?」

「あ、これは話聞いてない顔だな笑」

どんなに聴こうという意志があっても、何かの拍子にそれは容易く壊れてしまう。結果、上記のようなことを言われることになる。

耳にタコレベルで言われたことだから、感覚が麻痺しているのだが、振り返る度にいつも思う。

どうしてみんな、外界からの刺激に左右されることなく人の話を聴くことができるのだろう?

流行りの言葉で言えば、どうして話を聴くことに全集中できるのだろう?

厄介なことは、私は人の話が全く聴けないわけではないということだ。できるできないで言えば、できるのだが、様々な条件やコンディション(的確な表現かはさておき)により、それらが全て満たされていて、初めてできるということだ。

私が話を聴くには異様な負荷が必要になる。左耳から右耳に流れゆく言葉をすくい取らなければならない。たいていは優先順位の低い言葉を掬いとって、肝心な言葉たちは右耳から大気中に流れ、消えてゆく。

そして、他のタスクや外からの刺激(他の人の会話や踏切や飛行機の音など)が入るとすぐダメになる。

声の大小に関わらず、他の人の会話がするりと入るとそちらにチューニングが行ってしまう。わかりやすい言い方をすれば、気が散りやすいということか。

人と会食している時、どうしてもその人の話よりや店内のBGMに耳が行ってしまう。気が散りやすいことで、音楽好きが裏目に出てしまうのだ。

人の話を聴けない最大の理由は、気の散りやすさからである。

他にもあるが、それはまた次回に。



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