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「放っておいてくれ」と言われた良心は

私はその時大学生だった。当時は大学の講義が終わり、そのままアルバイトへ赴き、22時半前に退勤し、23時過ぎに帰宅しそのまま晩飯、シャワー、就寝というような生活サイクルだった。

その頃の私は、若干病的な正義感と優しさを持っており、困ってる人は放っておけず、ついついこちらから声をかけることがしばしばあった。そのせいで痛い目を見たこともあるのだが、それはまた今度に。

その日もアルバイトを終え、22時半頃に退勤をした。季節柄、繁忙期の後処理などに頭を悩ませていたが、春の宵の心地良さでいくらか気分が良くなっていた。

気分がいいのと比例して優しさも増してくる。後から思えば、気分の良いときにその出来事が起きたのは巧妙な仕掛けだったのかもしれない。

帰り道、道端で人が寝転んでいるのを見つけた。泥酔でもしたのだろう。温暖な時期だったし凍死する心配はないのだが、その人はどこか様子がおかしい。

仰向けになって顔を抑えている。そして地鳴りのような低い声で、「うううう」と断続的に唸っていた。

悪酔いか?

周りを見渡すと、その人のものらしき眼鏡が道の真ん中に落ちていた。眼鏡自体安いもんじゃないし、車が来たら危ない。

眼鏡を拾う。電灯に照らされたそのレンズにはヒビが入っていた。そしてフレームが微かに曲がっている。

殴られたのか?と不穏な予感が過ぎったが、そうではなかった。その人が倒れている上にはコインパーキングの看板があり、少しだけ凹んでいた。

おそらく、コインパーキングの看板に頭をぶつけ眼鏡を吹っ飛ばしてしまったのだろう。

その人を見る。呻き声を全く上げなくなっていた。

なんか嫌な予感がした。その人の元へ寄り、眼鏡を傍に置いてやる。

「大丈夫ですか?…眼鏡、隣に置いておきますから」

「……」

「だい、大丈夫ですか??」

「う、う……」

「大丈夫ですか?もしアレなら、救急しゃ……」

「放っておいてくれっっ!!!」

怒鳴り声、というほどの迫力ではなかったが、まあまあ大きくうわずった声でその人は私に言った。

私は「そうですか」とだけ言い、今までの経緯をなかったことのように振舞った。

不器用な優しさは脆く、既に粉々だった。

酔った末の恥ずかしい姿を見られたくなかったのかもしれない。もしくは苛立ちから自傷行為に駆り立てられたのかもしれない。その人のプライドか自暴自棄かは知らないが、それによって私の下手くそな気遣いは塵になって春の夜の彼方に飛ばされていった。

良かれと思って、なんて憤っても仕方がなかった。もし私がその人の立場なら大きい声こそ出さないものの、その人と似たような対応をしていただろう。だから苛立ちを覚えなかったし何をする気にもなれなかった。気分が良かったはずの帰り道は煮え切らない思いを抱えることとなった。

その頃からだろうか、自分の持っていた良心を病的なものと認識し始めたのは。



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