扉はまだ開かない

この数週間、ずっと心が痛かった。

いつも胸が張り裂けそうだった。


常に移ろう感情の一片は、ただそのままに書いても良いし、わざわざ書かずとも良いが、今のような思いになることはこの先そうそう無いだろうから(それを願っている)、後から振り返った時に思い出せるように、自分という人間を形作る一部を見失わないために、ここに残しておく。


東京都からの要請を受け、当店が営業を自粛したのは、3/28(土)〜3/29(日)の二日間だった。その時の悩みや決断については、こちらに書いた。

https://note.com/hirunekobooks/n/n146d177c247b


その後は営業を再開し、臨時休業や時間短縮などはあったものの、一応「通常通り」の営業を続けてきた。

その理由はいくつもある。


もちろん一つには経済的な面だ。

閉めれば閉めるだけマイナスが積み上がる小売店のような商売において、肝心の実店舗を休み続けることは、当然ながら恐怖でしかない。開けていれば数百円でも数千円でも確実に入ってくる「現金」は、店を動かすための「血液」のようなものだ。それが長く滞ればどこかしらに不具合が生じ、ジワジワとだが確実に、見えないところから腐り始めてゆく。通販があることはこの状況において大きな力になるとは言え、その売り上げからは手数料が引かれ、入金を急げばまた、本来であれば不要な金が出て行く。

幸いにしてまだショートするような段階には至っていないが、この状況がどれだけ続くかによって、それらはこの場所を蝕み始めるかもしれない。いや、事態が長引けば必ずそうなるだろう。

開業を決め、勤めていた会社を辞めた時、手元にはそれなりの資金があった。大学時代のアルバイトから始まり、8年間の会社員生活で出来た貯金、そして退職金をあわせたものが、言わば自分の全てだった。それだけが握りしめられる確かなものだった。ここからすぐに増えることは無いと頭ではわかっていたものの、開業準備〜1年目、2年目と、順調に資金が減っていったことはやはりショックだった。保険料や住民税を自分の手で支払う時、「これでまた手元の金が減るのだ」という焦りと恐怖の思いにかられたことは、今でも忘れられない。

月末になれば給料が振り込まれていた会社員時代には、およそ考えもしなかった、種々の支払いや貯金の目減り。「仮に全く利益が出なかった場合、何ヶ月続けられるのか」。当時はそのことばかり考え、計算していた。3年やれば充分という気持ちで始めたものの、本当にそこに行き着くのか、不安で仕方なかった。諦める時の言い訳や、格好のつく辞め方を考えていた。

3年目に入りようやく経営も軌道に乗り始め、5年目となった今、少しずつ、本当に少しずつだが、それまでに減らした分を取り戻しつつあった。もちろんまだまだ先のことではあるが、時計の針を進め続けたことで、やっと5,6年前、30歳の頃の自分に追いつくことができるように感じていた。だが今、「いのち」を前にして、その針の動きを鈍らせざるを得ない。これまでと同じようなペースで刻むことは、もはや無理だ。ただし、そう簡単に止めるわけにもいかない。これが自分が作り上げてきた全てなのだから。


営業を続けたもうひとつの理由は、やはり本屋の灯を消したくなかったということにある。町には本を求めている人がいる。こういった状況だからこそ、自分を失わないために本を読むという人たちがいる。次々と移り変わって行く刹那的で刺激的な情報ではなく、古の、もしくは同時代を生きる者たちがその人生をかけて書いた文章を、叡智で編み上げた1冊の本を、読みたいという人たちが。それらは空を飛び交い、表面を滑って行くだけの言葉とは違い、深く心に染み込み、現在のような混迷の時代を生きる糧となることだろう。少なくとも本屋には、それを手渡す術があるし、老若男女誰もが足を踏み入れられる場所に、そのような言葉の連なりが用意されていることは、大きな救いとなるはずだ。

もちろんそのように大層な動機でなくとも、単なる暇つぶしだとしても構わない。外界を遮断し、一人の時間に浸ることができる読書はかけがえのないものだ。既に大型書店が休業し、多くの図書館もその扉を閉ざしている。どれだけ小規模だろうと、本屋がいつもと同じように開いていることがその町に与える影響は、決して小さくはないはずだ。

ひとつの灯を消してしまうこと。それは誰かの心を鎮め、希望をもたらしたかもしれないひとつの言葉や小さな声、一編の詩を、その誰かから遠ざけてしまうことだ。だからこそ、安易に閉めることなどできなかった。その空白は、何をもってしても補うことはできない。


3月の終わりに2日間の休業をした翌週のこと。地下鉄に乗ってみて、驚いた。そこには「要請」前と変わらずに通勤をする人々の姿があった。その後何度か乗車する機会があったが、日が経つにつれその数は減っていったものの、相変わらず座席は混み合い、駅には多くの人々がいた。利用している経路や駅にもよるので一概には言えないが、個人店が悩みながらも「自粛」を余儀無くされているのに、率直に言ってこれでは全く意味がないと感じた。いや、そもそも多くの人にとって、個人店が営業するか休業するかなど、その逡巡や苦悩など、私たちが思っているほど大きなものではないのかもしれない。そう感じた時、微かな後悔とともに「自粛によって殺される」という言葉が脳裏を過ぎり、離れなくなった。

後から給付金や協力金という話も出てきたが、それはあくまでも一時的なものであり、しかも当然ながら充分とは言えない金額だ。それと引き換えに自らの仕事場を手放すわけにはいかない。「殺されてたまるか」。それも営業を続けた大きな理由だ。店を休むことで日々の様々な発信を止めてしまう、それによって大きなムードに流されてしまうことも怖かった。


だが結果として、4/25から店舗は一時休業に入っている。
一言で言えば、精神的に限界が来ていたのだ。

これまで店に来てもらうために続けてきたこと、築いてきたものが、今この時点では通用しない。本当は来てほしいにも関わらず「来てください」と声を上げられない。むしろ「無理して来ないで」「出来る限り来店を控えて」と呼び掛けなければならないこと。それに加え、他店が売り上げを犠牲にしてでも休業しているのに、自分が「いつも通り」にしていることの後ろめたさ。自分自身が感染することに対しての恐れと、他の誰かに移してしまうのではという、それを遥かに上回る恐怖。

自分のためには何が最善なのか。
他の人にとっては、何が望ましいのか。

わからないままに毎日店を開け、迷いながら営業し、店を閉めて家路に着く。
普段とは全く違った種類の疲れが襲ってきて、気絶するように眠り込んでしまう。

夜中、おかしな時間に目が覚める。
ストレスからか、肌はボロボロだ。
ドラッグストアに行けば、殺気立った人の波。
テレビやネットには掛け声だけが溢れかえり、気持ちを逆撫でする。
自粛を求める「世間」の圧力は日に日に強まっていく。

毎日のように更新される、政府による愚行、愚策。
それを擁護するようなコメントや報道。
どう批判すべきか、どのように闘っていけば良いのか、頭は常に回転を続ける。
だが同じところを行きつ戻りつし、さらに次の課題が待ち受けていて、そこに明確な答えは出ない。
およそ理性を失っているとしか考えられない言説を目にすれば、自分だけが遠い世界に住んでいるような錯覚に陥り、絶望を深くする。もう、駄目だと思う。


とにかく限界だった。
身体も脳も、バラバラになってしまいそうだった。

心を一旦休めない限り、もうこれ以上は進めない。
どこにも踏み出せそうになかった。

時計の針を逆回しすることになっても、今はその時間を確保することが必要だ。
例えその決断が、血液の巡りを滞らせ、続ける上での体力を奪う結果になったとしても。

いっそのこと、無期限休業にしてはどうかとも考えた。
それくらい割り切れれば、どんなに楽だろうか。
だが、そうなれば次にシャッターを開けるタイミングはいつなのか、そもそも再び開ける日が来るのだろうか。とても想像ができなかった。


今日もまた誰もいない店内で、黙々と本の整理と発送の作業をする。

本来であれば今の時期は、この界隈が一年で最も賑わう季節だ。

外からは人々の声がする。
この状況でも当然ながら町を歩く人はいる。
楽しそうな笑い声、弾むような足音。

あったかもしれない売り上げ。
生まれたかもしれない出会い。

それらはこの場所で、これまで確かに積み上げてきたもので、これからもずっと必要なものだ。

だが、今は捨てるしかない。
無かったことにして籠っているしかない。


扉はまだ開かない。


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