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歴史とは


暑かった夏も、あとわずかになり、庭の秋虫が鳴くようになった。
この季節になると何とも言えない、気持ちがある。

そばに居てくれるだけで、安心して、春の陽だまりの様に優しかった
祖母を思い出す。無償の愛だった。
高校2年生の頃、夏の日々を含めた半年ほどを、一緒に住んだことを
良く覚えている。
時折り、戦争で亡くなった祖父のこと、戦時中のこと、様々なことを
話してくれた。
痩せて小さかった祖母が、戦争を乗り越えて、三人の子供を育てたことは、
子供だった私にも、その苦労が分かった。小さな背中をみる度に、その
力強さを感じ、だからこそ、自分が生きているのを感じたものだった。
敗戦の年、17歳だった父は翌年には職に就き、一家を支えて行くことに
なったが、祖母を心から大切にする父の気持ちも、理解することが出来た。祖母の言葉は、父の言葉でもあった。

病に倒れ、主治医による先進医療のお陰もあり、3年以上も命を繋ぐことも出来たが、抗がん剤による副作用など、時折りめげることも多い中、様々な本も探して読んだ。
そして、西洋医学だけでなく、伝統医療など未来の医療と社会の創発、模索を行っている稲葉俊郎医師の言葉からも、救われたものだ。

いつ死ぬかわからない命がけの時代を経て、元気に生きている。だから、
文章を書くことができるし、言葉を届けることもできる。いろいろな方の
助けのおかげで「いのち」を長らえることが出来たという。
「からだ」「こころ」「いのち」について深い理解に至ることが、何より重要なことではないかという。

著書の『いのちを呼びさますもの』によれば、
現在という瞬間は、膨大な時の流れの上に存在していて、遥かな未来へも繋がっている。歴史とはすべて死者の物語である。歴史を受け取るということはすべて死者の物語である。歴史を受け取るということは、声にならない死者の思いを、生きている者や生き残っている者がしっかりと受け取り、次の世代へ再度バトンを渡していくことだ。

もう、どうしようもないぐらいに、行き詰ってしまった国があるが、
まさに、声にならない死者の思いを、しっかりと受け取れてないから
だと思う。