人間がかかる最も重い病気は「孤独」である。 〜堂園晴彦 著「ともにあり続けること」を読んで〜
こんにちは森田です。
先日、鹿児島の堂園メディカルハウス/ナガヤタワーの堂園晴彦先生から、先生が最近出された「ともにあり続けること」をご紹介いただきました。
これ、とてもいい本でした!
特に先生の実体験を吐露されている部分が身につまされます。
私は一時期燃え尽きてしまった時期があります。自分が未熟なのに死にゆく患者さんに何かをしてあげたい、あげられるという不遜な気持ちからでした
毎日が地獄であり、耳元ではいつも自殺の囁きが聞こえて
いたというそのころ、 屋久島で日吉さんという「縄文杉のような人」と出会います。屋久島でのたった3泊4日の滞在で、一緒に水平線を眺め貝殻を拾っているうちに、堂園先生の心は一気に!とはいかないまでも、次第に溶けていったそうです。翌日は三食の食事がとれ、日記には「これは大変なことである」と書かれていたそうです。
人間がかかる最も重い病気は「孤独」です。私が精神をやんでいる時、日吉さんは傍らにいつもいてくれました。(中略)日吉さんはわたしにとっては、あしたのジョーの丹下段平のような存在でした。病気が治ってからもいろいろな悩みの相談にのってもらい続けてきました。
人間がかかる最も重い病気は「孤独」である。
とても重い言葉ですね。
実体験とともに語られるとその重みがとても伝わってきます。
でも昔から、よく、
「孤独のすすめ」とか
「孤独が男を鍛える」とか
「孤独」を美化する意見も多く聞かれます。
「孤高の人生」とか「男の美学」みたいなイメージも巷には溢れていますよね。
ただ、どうもそれ、医学的にはかなり怪しそうだという研究結果が結構出てきております。
とくにこちら。148件の研究(総勢30万人)をメタアナリシス(複数の研究結果を統合)した結果、『つながり』があることの方が、「タバコを吸わない」「お酒を飲みすぎない」「運動をする」「太り過ぎない」よりも、寿命を長くする影響力が高いとのこと。
『友だちの数で寿命はきまる〜人との「つながり」が最高の健康法〜(石川善樹)』2014年、株式会社マガジンハウス発行、p.17より引用
「人とのつながり」 って、こんなに大事なんですね。
僕も日々の診療で、高齢者住宅やご自宅で、孤独な高齢者の姿をよく見かけます。彼らは、独居だったり、たとえ家族と同居でも地域の人たちとの交流がなく閉じこもりがちだったり、もしくは高齢者住宅で友達も出来ずにポツンと暮らしていたり、高齢者介護施設で日々介護を受けるだけの毎日だったり・・。
この状況が、体にいいとはとても思えない…そんな現実を日々見ているので、上記の研究結果には「やっぱり・・」という思いを強く持ちます。
では、我々日本人の社会の人間関係は他国と比較して一体どうなのでしょう?
高齢者の「孤立」を調査したものにはこんなものがあります。
参照:ILC-Japan・国際長寿センター日本発行「われらニッポンの75歳」p.43, p46から引用。元データ:内閣府「平成27年度第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」(調査対象は各国とも75~79歳)
残念ながら、日本の高齢者は、『地域の活動に参加する人の割合がドイツ・スウェーデンの約半分』、『同居の家族以外に頼れる友人がドイツ・スウェーデン・アメリカの半分以下』、『親しい友人がいない割合が、同3国の倍以上』という結果です。
とはいえ、これらはすべて高齢者に限っての話です。では、若者まで含めたらどうなのでしょう?日本の若者は孤独ではないのでしょうか?
残念ながら、100万人?と言われる「ひきこもり」の問題を考えても、日本の若者の「孤立」はかなり深刻と言えるでしょう。
先日ご紹介した、『「孤独」は消せる。』吉藤健太郎 著 には、彼が引きこもっていた11歳から14歳までの3年半の現実が赤裸々に綴られています。
とにかく感じていたことは「孤独感」だった。
それは物理的に一人になることを言うのではなく、「誰とも繋がりを感じられず、この世界に居場所がないと思ってしまう状態」のことを言う。
孤独は「うつ病」やら「認知症」につながると言われているが、それは間違いではなく「本当にそうなってしまう」というのが私の所感だ。
私も不登校のあいだ、人に「ありがとう」ということが苦痛になった時があった。「ありがとう」は人に何かしてもらった時に言う言葉だ。
人に与えられてばかりで、いつもお礼を言う生活。
自分では何も出来ないのに大切な人の手を借りることで、生きることができると思ってしまう苦しみ。
返せない恩を受け、借りを作ってしまう苦しみ、他人の顔を観察し、「わがまま」を言って嫌な顔をされたら、何も出来ない自分がどうやって挽回すればいいのか、どうやって謝ったらいいのか、動やったら自分は嫌われずにすむのだろうかと悩む。
この苦しみは体験したことのある人にしか理解は出来ない。
(この経験があったからこそ、彼はいま「本当にやりたいのは孤独を解消すること」と宣言し、そのために得意なテクノロジーを使って活動しています。)
国際比較でも、若者を含む日本人の「孤立度」が顕著に現れています。
それがこちら。OECD(経済協力開発機構)によるものです。
参照:「社会実情データ図録・社会的孤立の状況」http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/index.html。元データ:Society at Glance : OECD Social Indicators-2005 Edition.
『友人・同僚などとの付き合いが全くor めったにない』と答えた人が日本人が15%で20カ国中トップ!
…やはり残念な結果ですね。
「社会的孤立」が、喫煙・肥満・過度な飲酒より健康に悪い!そして日本人が他国民に比較して「孤立している」のであれば、今の世の中
「孤高の人生」とか
「男の美学」とか
そんなこと言っている場合ではなさそうです。
昨日も外来に、「独居で脱水症状になっていた90代のおじいちゃん」が急患として運ばれてきました。我々医師は、その病態を治療し改善させることは出来ます。しかし、「脱水症状」は治せても、その原因である「おじいちゃんの孤立」を治すこと、これについては、多くの医師が得意ではない、というのが本当の所でしょう。だって、医学の教科書には「孤独の治療法」なんて書いてありませんし、大学の医学部でも学会でも教えてくれませんから。
でも、もしかしたら、増加する高齢救急患者の問題も、いわゆる救急車のたらい回し問題も、世界一多い日本の病床の問題も、増え続ける医療費の問題も、その最上流には「地域の人間関係の希薄化・孤立化」があるのかもしれない…それなのに僕らは上流で発生し続けている事象に関心も持たずに、下流に流れてくる多くの患者だけを見ている…もしそうなのだとしたら、いま僕らは何をすればいいのでしょうか。
堂園晴彦先生のご著書にはこんなことも書かれていました。先生がマザーテレサの施設へボランティアに行かれたときの施設の壁に書かれたマザーテレサの言葉です。
もし私達の仕事が、ただ単に病人の体を清め、彼らに食事をさせ、薬を与えるだけのものだったとしたら、センターはとっくの昔に閉鎖されていたでしょう。私達のセンターでいちばん大切なことは、一人の魂と接する機会が与えられているということなのです。(マザーテレサ)
あななたち医療者は、単に「治療」だけをしていませんか?
患者さん一人一人の「孤立」に向き合えていますか?
堂園晴彦先生とマザーテレサからのメッセージ。
僕たち医療人に足りない部分が何なのかを、あらためて考えさせられるメッセージでした。
是非ご一読をおすすめします。
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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)