見出し画像

ピアノの演奏歴

僕が本格的にジャズを学ぼうと思ったのは、30代も後半になってからです。それまで継続的に鍵盤楽器を弾いて遊んでいたのですが、先生についてレッスンを受け,同時にジャズのビッグバンドとオクテットのコンボに参加しました。それからはジャズの演奏をいろいろな形で楽しみながら生活しています。

初めはエレクトーン

僕が小学校5年生の時に、我が家に突然エレクトーンが来ました。母親が何かの弾みで買ったようでした。そして兄弟のうち当時幼稚園児だった下の弟にヤマハの音楽教室に通わせ始めました。僕はその付き添いに一緒に行っていました。しかし幼かった弟はこのレッスンに余り興味を示さず、代わりに僕がレッスンを面白がって受けることになりました。

このエレクトーンのレッスンは確か一級の教本まで進みました。最終的には、高校2年生の時点で様々なジャンルの楽譜に手を出していました。普通の歌謡曲や洋楽に飽き足らず、クラシック、フュージョン、ジャズの曲集も買って練習していました。
中でも特にジャズが難しかった。それは、左手のコードサウンドにテンションノートが入っていたことと、足が複雑に使われるウォーキングペースになっていたからです。この二つの要素が加わり、難易度は断然上がっていました。何だ,この複雑な音楽はという印象で練習していました。
ただし、この時の演奏は、全く譜面の通り弾くだけで、アドリブはできていませんでした。

大学で軽音楽部に,そして挫折

大学は建築学科を選び、一年生の時に建築研究会と軽音楽同好会に加わりました。当時から音楽をクラブ活動で楽しみたいと考えたのでしょうね。しかし、建築研究会の勉強会が毎週行われ、先輩の課題の手伝いに駆り出されるという中で、2つのクラブ活動を続けていくことは無理だと判断しました。それで、軽音楽部は2ヶ月ほどで脱退しました。

大学の4年間では、東京で一人暮らしでしたので、家のエレクトーンを持ってくるわけにはいかず、その頃発売されたDX-7というヤマハのシンセサイザーを購入し、キーボードマガジンなどの雑誌から譜面を見つけては弾いていました。掲載されたシャカタクやDavid Fosterの曲を弾いて、格好良いなと思ってさらっていました。また松岡直哉の曲もよく聴いて、ラテンミュージックも好きになりました。

社会人になってからピアノを始める

大学を卒業して、職場の新しい環境に慣れた頃、5オクターブ61鍵のシンセサイザーでの演奏に物足りなさを感じるようになり、88鍵の電子ピアノを買いました。将来本物のピアノを弾いた時に困らないように若干重めの鍵盤の楽器を選びました。Korgのコンサートシリーズという楽器です。
そして、ピアノ演奏を基礎から学ぼうとクラシックの個人レッスンを受け始めました。そこでは、電子オルガンのコード演奏とは全く異なった左手の動きを求められ、悪戦苦闘しながらレッスンに臨みました。特にバッハの曲などは、左手でも旋律を奏でなくてはいけないので難儀をしました。

さまざまな音楽を楽しむ

一方、この頃自分の好きな音楽は当時ニューエイジミュージックと呼ばれていたジャンルのものでした。ウインダム・ヒルのジョージ・ウィンストンとか、日本の中村由利子や加古隆の音楽を好んで聴いたり演奏したりしていました。特に中村由利子の曲はハーモニーがオシャレで気持ちよく、譜面を買って研究していました。そこで、この楽曲にはジャズの要素が含まれていると知りました。

台湾語学校で合唱の伴奏をする

このようなピアノ演奏を一人で楽しんでいたのですが、並行して学んでいた台湾語教室で、ピアノの伴奏をやることになりました。
これは、たまたま教室にピアノが置いてあり、それを使って練習をしていたところ、クリスマスに発表する台湾語の合唱に,伴奏してくれないかと依頼されたのです。これは、ピアノ演奏を一人で完結したものから、アンサンブルを楽しむ一つのきっかけになりました。
また、この時の曲には譜面がなかったので、自分で採譜しなくてはいけなかったことも一つのチャレンジでした。メロディーはそれなりに採れるのですが、それに合う伴奏のコードを見つけるのは、初めのうちはなかなか大変でした。そのために、コード進行や作曲の本も買って勉強したりしました。

坂元さんのレッスン

そのような音楽活動を続ける中で、昔苦労したジャズへの関心が再燃してきました。ピアノ単体での演奏ではなく、アンサンブルで演奏することに関心が向き、自分のマスターしているコード奏法をそのまま活用できるジャズの演奏の方が、クラシックの演奏よりも向いているのではないかと考えたのです。
そんな時に、mixiの投稿でボランティアでジャズの基礎を教えますというピアニストがいることを知りました。早速、連絡を取って家にレッスンに来てもらいました。

このポランティアのアマチュアジャズピアニストは坂元さんと言いました。熱心なもので、A4の資料10ページほどのものを準備し、目の前でジャズがどのように演奏されているのか、基礎となる考え方を教えてくれました。そして目の前で華麗なジャズの演奏を聞かせてくれました。
その後,彼の加わっているジャズアンサンブルの演奏も何度か聴きに行き、都内のジャスライブハウスも知ることになりました。

ジャズのレッスンを受ける

坂元さんのレッスンを受けて,本格的にジャズを学ぼうと覚悟を決めた僕は、レッスンを受ける学校を探しました。いくつかの学校をあたり、個人的なレッスンも見た上で、川崎のライブハウスピアニシモでハウスピアニストの加藤先生が行っているレッスンが気に入り、ここで勉強することにしました。
ここのレッスンが気に入ったのは、勉強する場所がライブハウスそのものの空間であること、それから加藤先生の指導の様子がとても斬新に思えたからです。加藤先生は、アドリブに対しては徹頭徹尾、自分でフレーズを考えるようにと指導しました。絶対音感も何もない生徒にいきなり思った通りに弾けと言っても、ただただ出鱈目に弾くか、コードノートをつなげるかどちらかしかできません。自らアドリブフレーズを生み出すという練習は、最初から最後までそうでした。
この先生の下では約4年ほどレッスンを受けたかと思います。その間、先生の前で弾くことはもちろん、ピアニシモの場所を使っての学生達の発表会などもありました。

Thursday Jazz Bandに参加

そして,レッスンを受け始めると同時に、ジャズのアンサンブルにも参加することにしました。これは埼玉県草加市をベースとして活躍しているThursday Jazz Bandを選びました。毎週木曜日の夜、草加市の練習会場に集まって,練習に臨みました。僕はジャズピアニストとしてはまだ初心者でしたが、バンド内にはピアニストがおらず、いきなりメインのピアニストとして演奏することになりました。
ここでは、毎週練習を重ねるのに比べ、本番は年に2回ほどでした。ですので、書き込まれたビッグバンドのピアノ譜をじっくりと練習することができました。それぞれのパート演奏者に華があるように、バンドマスターはソロパートを一人一人に割り振りましたので、ピアノのソロパートなどはかなり難しい譜面にチャレンジすることになりましたが、これをビッグバンドの演奏の中で弾き切るのはなかなか爽快な体験でした。

大野バンドに参加

このThursday Jazz Bandのサックス奏者大野さんから声がかかり、オクテットのコンボバンドにも参加することになりました。週に一回ほどの練習を重ね、こちらは二月に一度くらいのペースで、さまざまな演奏の機会がありました。
演奏する譜面は本格的に作曲されたビッグバンドのものではなく、リードシート程度のものでした。ですのでピアニストとしては、自らコードの構成音を考え、リズムに合わせて弾くことが求められました。

日本ではおおよそこのようなピアノ演奏の経験を積んだ上で、台湾に来ています。それで同じように台北でもアマチュアのバンドを探そうとしたのですが、この国ではちょっと勝手が違いました。そのことは、また次の記事で書くことにします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?