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学生時代のヨーロッパ旅行(その三、イングランド)

今回は、このファームキャンプにいた際に行ったミニ旅行のことを書きます。


コルチェスターへの日帰り旅行

ファームキャンプのあるTiptreeは、英国鉄道の駅からも離れており、周りには一軒のパブと未成年には酒を売らないリカーショップ以外何もない、本当に田舎の街でした。それなので、週末の休みに仲間と連れ立って隣の比較的大きな街コルチェスターに遊びに行きました。
この時点で、イタリアから来た友人ジャンニ君が農場を離れて、このColchesterのピザ屋さんでアルバイトをしていたということもあります。それで、初めからキャンプにいたフィンランドのサミー君と、日本人のエイコと3人で彼を訪ねて行きました。

Colchesterの街は、大きな建物はありませんでしたが、尖塔のある教会の風景が思い出に残っていますね。
それからTiptreeは田舎の農場なので、買物をする場所が何もなかったので、Colchesterでは普通にスーパーマーケットや本屋さんがあったので、生活感のある買い物をすること自体が初めてでした。

コルチェスターの街並み

この日ColchesterからTiptreeに帰る時に、ちょっとしたトラブルがありました。サミーがColchesterに残ったのでエイコと2人で帰ることになりました。来る時には3人でヒッチハイクをしてきたので、帰りもヒッチハイクにしようとしたのですが、夕方から夜にかけて乗せてくれる車が1時間かけても来ません。途中でバスが通りかかってわざわざ停まって、運転手さんが乗っていくかと声をかけてくれたのですが、僕がヒッチハイクにこだわって断ってしまったんです。エイコはヘソを曲げてしまい、僕らは気まずいままさらに1時間ほど歩き、ようやく車を捕まえることができました。

ロンドンへの一泊旅行

このキャンプに初めの頃に加わった仲間6人で、週末ロンドン旅行に行くことになりました。メンバーは、イタリアのジャンニ、フィンランドのサミー、フランスのマガリ、ルーフォン、それにエイコと僕の6人です。僕ら日本人は全く勝手が分からなかったので、旅程はすっかりヨーロッパのメンバーに任せました。
列車で行くのは一時間ほどの距離ですが、我々はヒッチハイクで行くことにしました。これは今から40年ほど前のヨーロッパでは、ごく頻繁に行われていた方法でした。色々ヒアリングしたところ、ヨーロッパでもヒッチハイクはすべきでない国もありました。例えばアイルランドとかその頃はユーゴスラビアと呼ばれていた地域ですね。紛争のある地域はヒッチハイクは御法度でした。

6人は3つのチームに分かれ、それぞれにロンドンを目指しました。僕はサミーと一緒でしたが、なかなか拾ってくれる車は見つかりませんでした。一時間ほど待ってようやく一台の車が停まってくれました。ロンドンまで約一時間、乗せていってもらいました。

お昼を食べてから出発したので、ロンドン着は4時ごろでしたでしょうか。目的地はイタリア人神父のいる教会。ジャンニがそこに一泊の宿をお願いするつもりでその様な計画だったのですが、何かの手違いだったか、そもそもそんなことは出来なかったのか、そこには泊まることは出来ませんでした。
それで、僕らは6人でセントラルパークに野宿することにしました。そもそも教会での宿泊のために寝袋を持ってきていたので、それにくるまってそのまま公園で寝るわけです。日本人のエイコはかなりゴネましたが、多勢に無勢、もう1人の女性マガリも野宿するのに賛成なので、皆でセントラルパークに向かいました。
セントラルパークは、とても広い公園なので、低木に囲まれたひと目につかない場所を選び、寝袋を広げて6人で一緒になって寝ました。幸い雨は降っていなかったので、問題なく休むことができました。

翌日は朝早く起きて、近所のサンドウィッチスタンドで朝食を買って食べました。観光は午前中、ロンドンの街の中心部をいくつか周り、お昼過ぎには列車に乗って帰途につきました。

ヨーロッパの若者と一緒に旅行するとこんな風になるのかと、目から鱗が落ちましたね。この様なヒッチハイクによる旅行というのは、その当時のヨーロッパではとても広範に行われていた様です。これに味をしめた僕は、鉄道やバスで移動することが困難な場合、よくヒッチハイクを行いました。そのことはまた次の記事で書きます。
また、公園で野宿というのも初めての体験でした。山登りをして縦走三日間とかやる際には、テントと寝袋を用意して野宿に近いことになりますが、街中で宿が手配できないから寝袋を使って公園で寝るというのは、なかなかワイルドです。女の子2人を連れてこんなことやるんだというのが驚きでした。

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