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【台湾建築雑感】台湾建築師の歴史(そのニ)

「誰是建築師? 臺博館辦展回顧二戰後臺灣現代建築師制度的演變」の展覧会の内容に基づいた、台湾の建築師の歴史を説明する第二回です。今回は建築師の法制度の整備と資格試験について説明します。

前回の説明は、下記のリンクでご覧ください。

3-2 誰が建築師になれるのか

「現代の教育が、基本的に専門的な能力を持った人材を育てることを重視しているため、「学歴」を有する教育制度を整備することがまず必要になりました。中華民国政府の定めた《技師甄錄學程》を見ると、高等教育を受けた学歴を持っていることが「建簗師」になる基本要件であることが分かります。
1949年中華民国政府と共にたくさんの建築師が台湾にやってきましたが、彼らは様々な学歴を持っていました。その多くは1923年以降に設立された大学の建築学科の学歴を持っていました。例えば中央大学・中山大学・ハルピン工科大学などです。そのほかにも、アメリカ・ドイツ・日本への留学生もいました。

これら多くの背景を持った建築の専門技術者を整理するために、中華民国政府は「学歴」を基準として、厳格に建築師の試験制度を実施することにしました。」

光復後の台湾で、新たに建築師の制度を実施することになった、その背景が分かります。このような学歴の技術者が建築師の試験を受ける資格を有するとすれば、第一世代の建築師は外省人が主になったのでしょうね。

3-2 誰が建築師になれるのか

3-3 団結、そして困難の克服

「《建築法》、《技師法》、《建築師管理規則》及び《臺灣省建築師管理補充辦法》などが相次いで制定或いは修正されたことは、その内容にまだ不備なところがあるにせよ、台湾に現代的な法制度が整備された時代に入ったことを示しています。

《技師法》には、技師が業務を行う際には公会(建築師協会)に加入しなくてはならないと明記してあります。そのため、1949年に林慶豐、羅阿章と李松蒲らが提唱して「臺灣省建築技師公會」の設立がうたわれ、1951年に正式に成立されました。その後影響力を発揮した多くの建築師が、この時呼びかけに応じて参加しています。

「臺灣省建築技師公會」は戦後に初めて建築技師によって結成された公共の組織です。これは、台湾人の団結の表れであり、集団の力で専門的な知識を深め、新しい時代に向かう力になりました。

1947年以後、多くの日本人技術者は日本に戻ってしまい、戦後の再建の時代に建設技術者が不足する事態になってしまいました。同時に臺灣省行政長官公署は臺灣省政府になり、台湾は正式に中華民国政府の法体系の中に取り込まれることになりました。《建築法》、《技師法》等の法規が制定され、戦後初期の日本統治時代の法規を援用していた事態を克服することになります。

戦後の再建の時代、大量の建設業務に比べて「合法」な建築師が不足している状況の元、多くの建設業務が建築師を使わずに、直接建設業者により、或いは特殊なコネを使って建設されました。そこで建築師公会が設立されたことにより、この様な現実に対して集団の力で対処してゆく様になりました。」

台湾における建築師公会のあり方は、どうも日本よりも強制力が強く、多くの建築師が関わっているという様な印象を受け持っていたのですが、歴史的にこの様な背景を持っていことが分かりました。自らの権利を守るために設立されたのであれば、それは多くの建築師がその戦列に加わるわけです。

3-3 団結、そして困難の克服

4-1 建築師試験制度の確立

「中華民国政府が南京にあった時代に制定された《農工部技師甄錄章程》によると、建築技師はもともと「農工鉱技師」に所属する部門でした。このことから、この当時は建築師の仕事はそれぞれの産業に付属する事業内容であると考えられていたことが分かります。ある種、業務自体が曖昧模糊とした状態で、「建築師」の業務がどの様なものであるべきかという議論には至っていませんでした。

1929年に制定された《技師登記法》によると、《甄錄章程》に規定されている学問・経歴による建築師の資格以外に、「中央考試」による認定という方法も示されました。試験の内容は考試院が定めることになっています。

1947年に《技師法》が公告施行され、《考試法》が修正されることにより、「檢選」と「檢展」の制度は廃止され、工事に関わる専門技師の資格は唯一「考試」によることとなりました。1950年に国家試験制度が復活すると共に、公務員と専門の職業、技術者を選定する「考試取才」制度が復活しました。」

ここで説明されている「檢選」と「檢展」とが何かはよく分かりませんが、試験でない方法であるとすると、縁故による推薦の類ではなかろうかと推測しています。

4-1 建築師試験制度の確立

4-2 実務に基づいた資格

「1947年以後、国家による試験制度が技術者を認定する唯一の方法となりました。ただし1948年《考試法》が修正され、「公務員、専門職員、技術者の試験合格者は、その試験科目が同等の場合は同時に丙種の資格を有することとみなす。」と明記されました。これで、関連する公務員、技術専門職、技術者の関係が明らかになりました。

中華民国政府が大陸にあった時期、中国は土地がとても広く各種建築工事に必要な人員数に対して、必要な専門能力を持った人員が圧倒的に足りませんでした。長期に渡って土木と建築の技術領域が似かよっていたために、土木の背景の人間が建築師試験の有資格者となっています。

戦後の初期の建築師試験の問題は、単純なことと思われがちですが、現実はこれまで述べた様な様々な歴史的要因が絡んできています。「建築専門」は法規によって資格が定められましたが、その実態は一種曖昧な、不確定なものになっています。」

建築師の試験の参考書を読んだ際に、試験内容が公務員のものがあったり、建築師のものがあったりしてよく分からなかったのですが、その背景が分かりました。
台湾では、土木技師が建築業務にたくさん関わっていることの理由も分かりますね。台湾の工事現場には沢山の土木技師が働いています。印象としては、建築現場では多くの実務を土木技師が行い、建築師は設計にのみ特化しています。その背景が分かります。

4-2 実務に基づいた資格試験

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