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台湾史家の系譜

日本で台湾の歴史に関する歴史資料を調べると、オランダ人がインドネシアのバタヴィアで記録した「バタヴィア城日誌」という資料に当たります。この本の作者(オランダ語の資料を日本語に訳出しています。)は村上直次郎さんと言います。
また、江戸時代初期の朱印船貿易や南洋日本人町の研究書を調べると岩生成一さんという歴史家に当たります。

ある時、これらの歴史家が、皆台湾と深い関係を持っていることを発見しました。彼らは皆日本統治時代の台北帝国大学で教鞭をとった教授たちだったのです。


村上直次郎

村上先生は、明治29年殖務省の招聘をうけ台湾に来て台湾の歴史を調査しています。昭和3年には台北帝国大学の設立に関わり、文政学部史学科の教授に就任しています。昭和4年から昭和7年まで同大学で文政学部長を担当、昭和10年に台北帝大の教職を辞し日本国内に戻っています。

岩生成一

岩生先生は昭和4年台北帝国大学の助教授となり南洋史を教えています。昭和11年、同大学の教授に就任しています。昭和20年台湾大学の教授に就任しますが、翌年解任され日本に帰国しています。
日本近世対外交涉史を専門とし、日蘭交涉史研究会を主宰しました。特に朱印船貿易と東南アジアの日本人町の歴史についての研究が評価されています。

中村孝志

中村先生は台湾屏東の恆春で生まれています。そして台湾で生活し、台北帝国大学で南洋史を学んでいます。昭和10年大学を卒業、助教授に就任しますが昭和14年台湾を離れ、満州鉄道の研究員となります。
戦後は天理大学で台湾の研究を続けています。

https://www.tenri-u.ac.jp/tngai/taiwan/201507kyosyou.pdf

台北帝国大学の教授たち

これらの先生方は、台北帝国大学で南洋史を研究し、戦後も引き続きその研究を続けており、その成果で日本の歴史学会で高い評価を受けています。

戦前の台湾では、日本人により様々な研究が行われています。それは、これら歴史研究のみならず、原住民の文化史、台湾の言語の研究など、学術的な研究はとても範囲の広いものです。また、それだけでなく産業に関わる研究も非常に盛んです。農業、水産業、林業、鉱業など、現代の台湾の産業の基礎となる多くの研究を日本人が行っています。

これらの歴史を見て思うのは、日本人は島国なので閉鎖的だという議論は、この時代には全くあてはまらないということです。同じ日本人が、戦前は国外の様々なことに関わり、積極的に研究活動を行っている。日本国内にとどまらない、非常に開放的な、世界に羽ばたこうという気概を持っていた、そのように感じます。

台湾の歴史を近代的な学問的な態度で研究する。その嚆矢は、これら台北帝国大学の先生方によって始められました。

国民党政権初期の歴史研究

しかし、戦後国民党が台湾に進駐してきて、中国の正統的な政権であるという立場のもとに学問をすることになり、この様な台湾島に即した歴史研究はいったん停止させられてしまいました。学ぶべきは中国四千年の歴史であり、中国の神話時代から、各王朝の時代を経て、中華民国が清朝を倒すという歴史を学ぶ時代になりました。僕の家内が若い頃も歴史の勉強と言えば中国史と中華民国の歴史を学ぶことであり、台湾の原住民の時代、オランダ統治時代日本統治時代の歴史などは時代区分として触れられることはあっても詳しくは学ばなかったということです。

こういう歴史教育は、戒厳令が敷かれている間はずっと続いていたと聞いています。台湾で学ぶ自国のは中国史と中華民国の歴史になっていました。

曹永和

しかし、この国民党の時代になっても、台北帝国時代に始められた台湾史の研究を続けている人物がいました。曹永和氏です。
曹氏は1920年の生まれです。1939年に台北第二中学校を卒業したのち、仕事を始めますが、そのかたわら中国史、中国西洋交渉史などの勉強を重ねました。光復後の1947年国立台湾大学図書館の職を得、その後1985年まで、助手、司書、収蔵係、研究員主任等の仕事を続けました。
この業務の間に《臺灣銀行季刊》等の刊行物に台湾史の論文を発表し始めました。また、周憲文氏に協力して《臺灣文獻叢刊》の出版にも関わり、様々な学術分野の研究に参加する様になっていきました。1965年から1966年在には日本に赴き、岩生成一氏の元で研鑽を積んでいます。
1984年、曹永和氏は中央研究院の研究員となり、同時期に台湾大学の歴史学の兼任教授となっています。

曹永和氏の業績は、豊富な外国語資料を渉猟することで、多面的でかつ台湾という土地に即した史実を示したことにあります。実に英語、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ラテン語、それから17世紀に使われていた初期オランダ語の資料を調べて研究資料としていたそうです。
氏によって示されたこの様な歴史観は「台湾島史観」と呼ばれています。大陸の中国史から、研究の軸線を大きくずらし、台湾に住んで生活していた人々の歴史を読み解いていく。そうすることで、台湾人としての独自の歴史観を育んでいこうということなのだろうと考えています。

国民党による専制的な政治が終わり、民主的な時代が始まると、台湾人の独立意識と相まって、この様な歴史観は多くの人々の共感と賛同を得ることになりました。
そして、氏の17世紀オランダ統治時代の台湾史研究は、2002年オランダオレンジ-ナッサウ勲章を受賞。2012年には日本政府による旭日中綬章を受賞しています。

曹永和氏の歴史研究は、日本統治時代の歴史学者と現在の台湾の歴史家の活躍をつなぐとても重要なものであり、同時に、台湾人が台湾人としてのアイデンティティーを持つ際の、基本的な視野を与えるという、とても画期的な意義を持つものだと僕は考えています。

江樹生

江樹生氏は1937年の生まれです。1959年東海大学歴史学科を卒業、嘉義女子中学校で歴史の先生を務める傍ら、台湾の歴史に興味を抱き、オランダ時代の台湾史の研究を始めました。
1971年、日本の天理大学に行き、中村孝志教授の元でオランダ時代の台湾史の研究に方向を定めました。1975年、オランダハーグの国立資料館に赴きオランダ東インド会社時代の資料のうち、台湾関係のものを整理し始めます。1977年ライデン大学で博士課程の研究を始め、1978年にはオランダに移住してこの研究に邁進することになります。

江樹生氏は、ライデン大学で中国語を教えるかたわら、曹永和やオランダの歴史学者Leonard Blusséと共同でゼーランディア城日誌の出版に携わります。その結果は「熱蘭遮城日誌」全4冊としてまとめられています。その後も、バタヴィア総督の報告、鄭成功とコイエットの間に結ばれた降伏条件文書等を書籍としてまとめています。

この「熱蘭遮(ゼーランディア)城日誌」全4巻が出版されたのは今から15年ほども前で、僕はその時台湾で仕事をしていました。足掛け3年間、この本が出版されるのを心待ちにして過ごしていました。この様な一次歴史資料が公開されるというのは、まるで宝の山が開けられる様なもので、歴史ファンにとってはとても好奇心をそそられるものです。

吳密察

吳密察氏は1956年生まれ、曹永和氏と比べると36歳年下になります。台湾大学で図書館学科に進んだ後、歴史学科に移っています。1978年台湾大学で助教授になった後、1984年東京大学に留学、1990年博士号を得ています。2016年には國史館館長、2019年には国立故宮博物院院長の職についています。
1995年にはイギリスオックスフォード大学で、1995年には東京大学東洋文化研究所で研究をしています。

台湾で戒厳令が解かれたのは1987年です。吳氏の世代では教育の間は国民党の教育、大学を卒業してから自由な歴史研究ができるようになります。そしてその間に外国に出て研鑽を重ねています。専攻は台湾史と日本近代史。日本でも本格的に歴史の研究をしている歴史学者です。

翁佳音

翁佳音氏の生年は調べられませんでしたが、1986年に修士の学位論文を発表していますので、1960年頃の生まれでしょう。
翁佳音氏の得意分野はオランダやスペイン、ポルトガルの原文資料にあたることです。その資料の知識を基にして17世紀、オランダとスペインの統治を受けていた時代の台湾の姿を明らかにしています。

まとめ

この様に、台北帝国大学でまかれた歴史研究の種が、国民党の長い圧迫の時代を経て、自由に歴史研究ができる時代になると、曹永和という大きな花を咲かせました。曹永和の示した台湾島史という史観は、現在の台湾で行われている様々な歴史研究や創作活動の基本となるもので、台湾人のアイデンティティの形成に大きな役割を果たしています。
そして、それだけに関わらず、台湾の歴史研究家は日本に来て研鑽を積んでいますし、ヨーロッパにも赴いて古の台湾の姿を明らかにしようと研究しています。

僕がこれら日本の、台湾や南洋に関わる歴史研究について思うのは、日本では戦後日本人は日本の領土内での歴史研究に閉じ込められて、台湾や東南アジアについての研究は,戦前の研究の芽を摘まれてしまっているということです。例えば鄭成功や鄭芝竜についての研究は、今日本での研究はとても層が薄い。ほとんど新しい歴史研究書は現れていません。
一方、台湾では自国のことなので、日本人の植えた歴史研究の種を引き継いで大きく育てている。ですので、日本語文献では得られない様々な研究書に接することができます。それは中国語はもちろんのこと、オランダやスペインの歴史文献まで渉猟するもので、とても広い範囲の歴史資料を読むことができます。

この様な台湾の歴史家について書いた文章はあまり見たことがないので、自分なりにこれらの人々の本を読んで学んだことの、大きなバックグラウンドを紹介してみました。僕がnoteの「明清交代人物録」で紹介している内容も、こういった歴史家の研究を参考にしています。

中国語でこの様な知見を得るというのは、外国語を学ぶ醍醐味の一つですし、同時に台湾人とのコミュニケーションの際も、より深く彼らの歴史的な背景を知るという意味でとても役に立っていると思います。

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