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賴清德中華民國總統

2024年5月20日、賴清德が第18代中華民国総統に就任しました。僕は政治ウォッチャーではないので、この新しい総統のことを詳しく知っているわけではありません。それでも台湾で普段仕事をしたり、台湾の友人と話をしている中で、この人物についての話題が出てくることがあります。その時の印象と、中華民国の総統の過去の歴史から感じることがあるので、それを合わせて思うところを書いてみます。

台南市の市長として

台湾で仕事をしているこの6年間で、賴清德の名を耳にしたことは幾度となくあります。中華民国副総統職についてからの公のニュースではなく、もう少し身近に現れたシーンをいくつか紹介します。

テレビドラマ"蘇卡羅"の制作発表会
2021年に公開された連続テレビ小説ドラマに"蘇卡羅"があります。台南と屏東を舞台に、蘇卡羅(スカロ)と呼ばれていた排灣族と、客家や清朝の役人、アメリカの領事らが織りなす、とても興味深い時代劇です。
ドラマの詳細は省きますが、このテレビドラマの放映に先立って、発表記念イベントがテレビで放映されていました。その時に賴清德が元台南市長という立場で参加していました。
このドラマの主要な舞台の一つは、清朝時代台湾の中心都市であった台南府です。それで、台南市においてもオープンセットが作られて大規模に撮影が行われています。その様な撮影を台南市としても市の文化事業の一環としてバックアップしていたのでしょう。

このドラマの制作が発表されたのが2017年の9月。賴清德が台南市長の職にあったのは、2012年から2017年9月までなので、彼の在任中にその様な決定がなされ、実際の撮影は彼が職を離れてから進められたのでしょう。そして、ドラマ完成の暁には、中華民国副総統として、発表のセレモニーに姿を表したわけです。
日本で、政治家がテレビドラマのプロモーションに現れるということはほとんどないので、僕はこのことには若干の違和感を感じましたが、賴清德はこのドラマの完成をとても喜び、祝福していました。このことから、彼はテレビドラマの制作という文化事業にとても力を入れていたのだなと感じました。台南を舞台にした、台南の歴史を表現するドラマをとても応援していたのでしょう。

蘇卡羅のドラマの発表記者会見

台南アウトレットモールのオープン式典
僕の勤めている日系ディベロッパーは、台南でのショッピングモールも開発しました。施設のオーブンしたのは2022年。この開幕式に賴清德は元台南市長として参加していました。
台南に大型のショッピングモールを誘致するというのは、市長としても大きな仕事だったのでしょう。そう言えば、会社には社長と賴清德が2人で写っている写真が飾ってありました。

総統府の広報ページ

台南市圖書館總館の計画について
2024年3月に、台南の台湾歴史博物館を見学した際に、最近オープンした台南市圖書館總館を見に行きました。建物はとても大きな規模の立派なものでしたが、ここで待ち合わせた台南出身の友人は、この建物を賴清德の箱物行政だと皮肉っぽく言っていました。
この建物の建設は2015年に決定されているので、賴清德の在任期間のことになりますね。

政治家が建物にこだわるというのは、日本でもよく見られる傾向です。例えば台北市の市役所と市議会の建物には李登輝の名前が大きく書かれています。僕自身の関わった、台中のコンベンションセンターは、国民党の胡志強の時に採用されて設計を進めていたのですが、民進党の林佳龍に変わった際に凍結されてしまいました。しかし、2018年に国民党の盧秀燕になった途端、工事が再開されています。この様に政治家と大規模な公共の建物の計画は、大きな関係を持っていることは否定できません。

上記の様に、僕が賴清德の名前を聞くのは、文化活動に関する局面が多かった訳です。映画制作や建物の建設に力を入れている政治家なのだという印象でした。

中華民国の総統に対する印象

僕が中華民国総統について感じているポイントは、陳水扁の失敗です。彼がどうして失脚して国民党に政権を譲り渡すことになったのか。
僕の理解しているところは、陳水扁はアメリカの意図を読み違えてしまった、それが大きな理由だということです。彼は台湾の独立を政策として掲げ、アメリカの現状維持を基本とする政策に、真っ向から対立してしまった。また、この当時のアメリカと中国の関係は比較的良好で、アメリカも中国寄りの政策を進めていたので、比較的弱い立場の台湾が、アメリカの意図を逆撫でして、独立の方向を目指してしまった。
これが理由で、陳水扁が失脚し、同時に民進党が政権党の座を失い、国民党に明け渡すことになったという流れです。

この対アメリカという視点から、中華民国総統の立ち位置を眺めてみます。

李登輝
蒋経國から李登輝への政権移譲は、副総統から総統へとスムーズに渡されたと考えられていますが、僕にはとても不思議な出来事の様に思えます。李登輝は農業を学んだテクノクラートで、政治的色彩がとても薄い。基盤となる政治母体もない。客家人でありながら、国民党出身の政治家、台湾人ではない。この様な人物がどうして総統の位置に登ることができたのか。

このことを、陳水扁の対アメリカへの対応の失敗と重ねると、李登輝は逆にアメリカとの良好な関係を結ぶことに長けていたのではないかと推測できます。
李登輝はコーネル大学出身。京都大学は入学はしていますが、卒業はしていません。彼の言語は、客家語と台湾語を母語とし、英語と日本語が流暢、中国語は第五の言語だったと言われています。
そして、自らは敬虔なキリスト教徒であり、生活信条もこの宗教からきているものが多い。

この様にアメリカとの深い関係を持っている政治家というのは、第二次世界大戦後の中華民国ではとても珍しかったのではないか。蒋介石には奥さんの宋美齡がいましたが、蔣經國の時代、彼女は政治の表舞台を去っていました。
そして、李登輝が考え出したアメリカとの良好な関係を結ぶスローガンが、"民主主義の優等生となる"だった。この様にアメリカにメッセージを出すことで信頼を得る。そしてアメリカの支援を得ることで自らの政治的立場を確実なものにした。その様に考えています。

陳水扁
陳水扁は台湾大学で法律を学び、民進党に参加。その後台北市長となり、実績を積んだ上で総統に就任しています。彼の経歴にはアメリカとの関係を構築する様な要素があまりありません。そのために、先に述べた様な、台湾独立に先走りすぎた政策を掲げてしまい、アメリカから大目玉をくらってしまったのだと、その様に考えています。

馬英九
馬英九は生粋の外省人の政治家で、中国との関係改善を政策に掲げ、様々な施策を実施していきます。小三通から大三通と呼ばれる、大陸との交流の活発化、観光の開放。この時代の台湾にはとても多くの大陸の中国人が押し寄せ、国内は大混乱に陥っていました。観光業は少なからず活況を示していましたが、一方であまりにも多くの人々が台湾に押し寄せ、更に経済的に大陸中国との関係を強めようとする政策に対し、多くの国民が政権に対しノーを突きつける結果になってしまいます。

馬英九自身はアメリカ、ハーバード大学の法学博士を取得しています。しかし、国民党のリーダーという政治的立場では、中国とのパイプを太くすることはあっても、アメリカと良好な関係を保つことは難しかったと考えられます。

蔡英文
蔡英文は、アメリカコーネル大学で法律を、ロンドンで政治経済学を修めています。そして国際交渉能力を認められて、李登輝のブレーンとなりました。陳水扁の時代には党外の学者の立場で、対大陸との交渉を担当していました。そして、陳水扁がアメリカとの関係をしくじり、総統失格と見なされたまさにその時に、蔡英文は外交交渉の最前線にいたのだそうです。
蔡英文の能力は、この様な外交関係のプロフェッショナルで、アメリカとの微妙なやり取りに長けている。その一方で、国内政策や経済政策には、一歩劣っているのではないか。その様な印象を持っています。

賴清德の対アメリカ政策は?

僕は中華民国の政治について、上記の様な印象を持っているので、賴清德が初めに述べた様な、国内向きの文化政策、箱物政策に終始する様な政治家だとまずいのではないかと考えています。陳水扁の時の様にアメリカの態度を読み間違えてしまうと大変なことになってしまいます。
賴清德が陳水扁と似ているところは、彼が台湾独立を主張していたということです。陳水扁がアメリカへの配慮を忘れて突き進んでしまったこの理念を、賴清德は過去とても強く主張しています。今でこそ、現状維持という蔡英文時代からのスローガンをそのまま唱えていますが、いつか、この台湾独立への方向に舵が切られるかもしれません。

しかし、蔡英文総統は、このことに配慮して、彼女の腹心である蕭美琴を副総統として配置しました。

蕭美琴
この蕭美琴という人物は、アメリカオーバリン大学とコロンビア大学で学び、中華民国の駐米代表も勤めています。この様な蔡英文の腹心というか分身の様な人物を賴清德に合わせて配置することで、外交方面の能力のバランスをとったのではないか。その様に考えています。

これは、全くの素人の考えですので、僕が中華民国の政治をこの様に見ているという参考意見として読んでいただければ幸いです。僕は、この様なアウトラインを引いて、中華民国台湾の政治を見ています。

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