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「Cross-Border 1624」

少し前のことですが、台南の国立歴史博物館で開催された「跨•1624:世界島臺灣國際特展」に行ってきました。1624年というのは、オランダ人が明の時代に澎湖島を占拠しようとして失敗し、その代わりに大員(Tayouan)の地、現在の台南にゼーランティア城を築いた年です。
この時代の歴史には特に関心を持って勉強してきたので、このテーマの展覧会は見逃すわけには行きません。3月中旬2人の友達に声をかけて台南まで見学に行ってきました。

この展覧会のことについては下記の記事でも紹介しています。

国立台湾歴史博物館

台湾の博物館は台北にもあります。新光三越ビルの脇の館前路の突き当たりですね。この博物館は、日本統治時代の建物を中華民国が接収した後に博物館としたもので、どちらかというと自然史に特化した展示を行っています。
それと比べると、この台南の歴史博物館は、台湾島の人民の歴史を俯瞰的に眺めるという視点で展示を行っています。それは、原住民の時代から、オランダ人によって台南を占拠され世界史に現れた時代、鄭氏政権による東寧王国時代、清朝による統治時代、日本統治時代、中華民国の時代です。それぞれの時代についてビジュアライズされた展示が行われており、とても分かりやすい展示になっています。

博物館の建物はとても現代的なデザインになっており、内部は巨大な吹き抜け空間に常設展示をして、そのほかに3つほどの企画展示室を用意しています。今回の1624年をテーマにした展示は4階の最も大きな企画展示室を使って行われていました。

国立台湾歴史博物館

展示内容

【2024年、どのような角度から1624年を位置づけるのか?】

この展覧会のテーマは下記の様に日本語で説明されています。

「西暦1624年、この年オランダが来台・2年後にはスペインも来台、台湾はヨーロッパ・アジアの貿易ネットワークに組み込まれ、グローバルの波が次々にこの島を襲う。400年後の2024年、私達の展示は1624年をタイトルに冠してはいるが、その前に「跨ぐ」という文字を付け加えているように、400周年はその焦点ではない。それは17世紀に台湾が世界とつながった「時代」の節目である。400年後の今日、台湾を視点としながら、島嶼の境界を跨ぐ歴史探素がどのように可能なのかについて考えたい。400年前に台湾は世界の舞台に立ち、人々に知られ、世界の島となった。1624年をテーマに、近代以前の台湾史の世界との繋がり、海洋文化的性格を振り返りながら、島の人々の海との関わりについて論じてみたい。観覧者の皆様には、1624年を歴史論の課題として、博物館で1624年の歴史授業を体験、台湾の歴史について思考、討論、対話をしていただきたい。」

台湾の歴史については、中国の歴史から連続したという中華民国としての歴史を重視する視点から、現在は台湾独自の歴史を、台湾島の歴史、台湾島に住んでいる人々の歴史という視点を持とうという様になってきており、その様な視点に沿った問題意識を持ってこの展示も行われています。

以下、現地で撮った写真を元に説明/感想を加えて行きます。

展示会場全景

奥行き10m、幅は100m程度の長方形の空間です。会場全体を一目で見渡せるほどの、中規模の展示でした。

明の歴史記述に残っているオランダの事績

オランダは、台湾にやってくる前に澎湖島を占領し砦を作っています。これが明の軍隊に敗北することで根拠地を台南の地に移すことになります。

朱印船の図絵

17世紀の台湾には鎖国になる前には日本からの船も来ています。朱印船です。この貿易については岩生成一氏の詳細な研究があります。

オランダ船の模型

この船は、中国のジャンク船、日本の朱印船と比べてもでも大きく頑丈に見えますね。ヨーロッパの北海の鰊漁で鍛えられた経験が、この様な船を生み出しています。

基隆の地図

オランダと同じ時期に、スペインが台湾の北海岸に上陸、基隆和平島に城砦を使っています。その様子を示した地図です。

萬國總圖

明の時代の中国で作られた世界地図の様です。マテオ・リッチの作った「坤輿萬國全圖」と形式は似ていますが、だいぶ簡略化されています。この地図は初めて見ました。

AIアート

これは参加者をカメラの前に立たせて写真を撮り、それを元に平埔族風の肖像画にに仕立てるというゲームです。僕はこんな風になってしまいました。

台湾の地図

オランダよって描かれた台湾の地図。中国の南、東海岸と台湾の様子はここまで把握されています。

マテオ・リッチと徐光啓の肖像

17世紀、明の時代の中国ではイエズス会によるキリスト教の布教が盛んでした。明の知識人の中にも浸透しています。徐光啓はその中でも最も著名な人物です。

当時の貿易品の主要なものに、
中国産の陶磁器があったという説明です。
これは、中国語の資料による台湾の地図です。
高屏溪の様子です。
こちらは台湾北部の様子。

17世紀の台北は、中国人の入植が進んだ台南と比べると、原住民の闊歩する辺境地帯だったでしょう。

この様な、文字・地図・図版等を準備した展示内容でした。僕はこの時代のことをもう20年近く調べているので、新しい発見の様なものはありませんでしたが、この1624年という歴史的時間を切り口に、台湾島の歴史を俯瞰するという展示はとても興味を持ってみることができました。

この展示は、国立歴史博物館で6月末まで開催されています。台南に来られることがあったら是非立ち寄ってみてください。現代の台湾の歴史観、台湾島に即した歴史の見方を学ぶことができます。


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