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【台湾建築雑観】台湾に根を下ろした日本の建築家たち

台湾で建築関係の仕事をしている日本人はとても沢山います。ゼネコンの現地法人、様々な建材メーカー、日本の設計事務所から設計監理のために派遣されてきている人もいるでしょう。
しかし、僕の様に継続的に"設計"で台湾に関わっている経歴を持っている人は、日本人としてはとても珍しいです。設計を思い立って外国に勉強に行くと考えた場合に、中国や台湾という選択肢にはなかなかならないからです。ほとんどの人がアメリカかヨーロッパへの留学を志向します。そのため、英語やヨーロッパ各国の言語に通じた日本人建築士は沢山いますが、中国語に通じている人はほとんどいません。
北京オリンピックの前後に中国の建築設計市場が外国人に対して解放され、少なくない日本人が中国に発展の機会を求めたことはあります。こういう人達はビジネスとして中国市場に参入していますので、中国語には堪能だったでしょう。ごく一部中国マーケットに対してこういう人材はいます。

しかし、台湾で僕と同じ様な日本の人材を探そうとしても、これはほとんどいません。今まで会った様々な人たちの中、唯一台湾人を奥さんに持った都市計画を学んだ同志がいますが、この彼一人だけです。
台湾人なら沢山います。日本に留学して台湾に帰国し、設計業務を続けている、或いは独立して事務所を起業している、この様な人材は少なからずいます。台湾の著名な建築師に郭茂林さんとか楊逸永さんがいますが、日本で建築を学んでいます。
日本人の建築士で設計を業として台湾で仕事をしているというのは、本当に稀な存在です。

しかし、皆無というわけではありません。僕の知っている限り、現在2人の建築家が台湾をベースにして活躍しています。今回は、この人たちのことを紹介します。

堀込憲二

この先生のことは「中国人の街づくり」という著作で知りました。30年前に台湾の設計事務所で働こうと決めた時に、東京で見つけた本です。内容は台湾の伝統的な建築の作られ方、街並みの様子などが詳しく書いてありました。
その中で、今でも頭に残っているフレーズがあります。"馬馬虎虎精神"。いろいろな場面で、完璧を求めず、適当なところで止めにする。それはいい加減という言葉を否定的にではなく、肯定的に"ちょうど良い加減"と捉える考え方のことだと理解しています。
この考え方は、今の台湾での設計と工事の実務をやっていても感じることがあります。日本人は几帳面なので全てに完璧を求めますが、台湾人はその几帳面さは足りず、このぐらいでいいかという具合になりがちです。それは日本人から見ると否定的に見えますが、台湾人にとって日本人の几帳面さは、そんなにめくじら立てなくても良いじゃないかと見えるわけです。

「中国人の街づくり」という本は、奥さんの郭中端との共著です。その後、奥さんの郭中端さんが台湾で象設計集団の冬山河親水公園のプロジェクトに関わる様になったことから、堀込さんも台湾に活躍の場を移し、この土地で建築に関わる活動を続けています。台湾大学で教職について日本建築史を教えていること、日本統治時代の建物を修復するプロジェクトに関わっておられます。僕が見たのは、金瓜石の太子賓館の宿舎の修復工事での堀込先生の名前です。

40年以上も前に台湾の建築文化についての考察をまとめて、その生活態度にまで踏み込んだ見解を示していたのですから、ある種僕の今やっていることのモデルとなるようなことをされているわけです。
そして、台湾で奥さんと一緒に建築に関わる仕事に関わっておられる。尊敬すべき大先輩です。

https://homepage.ntu.edu.tw/~artcy/03_2_t15.html

北条健志

上記の象設計集団の仕事を台湾に実現するために、宜蘭県に彼らのリエゾンオフィスが設立されています。この仕事は1987年に着工とあるので、実に35年前のことです。この時期から、象設計集団は台湾での業務をスタートさせ、継続的に台湾でのプロジェクトを計画しています。
聞くところによると、この事務所はずっと宜蘭県をベースに活動しており、この北条さんは二代目の代表建築士とのことです。
冬山河親水公園を実現したその後に、このリエゾンオフィスは宜蘭県庁舎という、宜蘭県政府の大プロジェクトを手掛けています。この建物の先進性、バナキャラーな要素をふんだんに含み、自然エネルギーの積極的利用を図る、エコロジカルな仕組みは、今現在の台湾の建築界を見ても、これより優れている建物はないのではないかと僕は考えています。

台湾というとてもアクの強い風土と人を相手に、この様に長い期間設計業務を続けている日本人建築家がいるということに、とても驚きました。そして、自分の様な仕事を今も実践している日本人がいることを知ってホッとしました。
この北条さんとは友人を通して知り合いました。台北のバーで隣り合った人間が、偶然このような人物と知り合いだったというのは、ここにも台湾の神様の配慮を感じます。

https://www.facebook.com/groups/716594165826694/permalink/719404268879017/?app=fbl

森山松之助

さらに時代を遡ると、台湾総督府での様々な建築設計に関わった営繕課の技師達がいます。その中でも、台湾総督府の建物を長野宇平治のコンペ案から換骨奪胎、今のプロポーションのデザインに変更した森山松之助が特に有名です。台湾総督府のみでなく、今の台北賓館、昔の台中州庁社など、錚々たる建物群を彼は設計しています。

日本統治時代なので、その権威は今の台湾における日本人建築家とは異なりますが、職人として働かせるのが現地の台湾人であるという状況は変わりません。この時代の技師達も、異なった風土と人々に悪戦苦闘してきたのだろうと想像しています。

台湾に根を下ろした建築家達

この様に、台湾で建築設計業務に従事した、あるいはしている先輩たちがいることを知って、自分がやっていることは、何も特別なことではないと考えています。過去に同じような課題に取り組んだ人がいるわけです。それは、僕にとってとても励みになります。
僕は、彼らの様に名前を残すことはないでしょうが、何らかの足跡を台湾に残せたら良いなと思って仕事をしています。

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