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【明清交代人物録】フランソワ・カロン(その七)

カロンは最晩年オランダ東インド会社を離れて、フランス東インド会社の設立に関わります。そして最後はポルトガル沖で船の沈没に遭い、亡くなってしまいます。この晩年の経緯について触れます。


商務総監時代

カロンはバタヴィアに戻ってから、オランダ東インド会社の商務総監に就任します。この職は総督に次ぐものであるとされ、将来の総督になるべき人材が担当する職務です。
この職においてカロンは、オランダ東インド会社の実務の全てをコントロールしていました。商品の取り扱い、各地の商館への指示、船が入港した際の処理など。かなりの激務であった様です。

この様な、将来の総督の地位を嘱望されていたカロンでしたが、総督になることはできませんでした。それは、バタヴィアにおけるオランダ人市民の不満が彼に向けられたからです。
カロンは長期に渡って、アジアの人間と交わっていたからでしょう、バタヴィアにおける中国人の勤勉さ、賢さをとても評価していました。実務家として、仕事をするなら華僑の中国人と組むと考えていた様です。
また、カロンによる私貿易が行われているという嫌疑もかかっていたそうです。この私貿易というのは、この時代ではどの様な人物でも行っていて、殊更にカロンが悪いというわけではないとに思うのですが、とにかくこれも理由の一つとして非難されました。

この様な、オランダ人市民からの非難がオランダ本国の会社組織のトップに伝わり、カロンはオランダに召還されることになりました。
カロンは、バタヴィアでの職を全て解かれ、家族を連れて財産は持った状態でオランダに戻りました。そして、彼はオランダ東インド会社からは離れることになりました。

失意の時代

そして、その後15年間に渡り、彼は雌伏の時代を送ります。年齢で行くと51歳から65歳までです。この間、彼はオランダで子息の教育に勤しんだ様です。
一時期、オランダ東インド会社は彼の現場への復帰を打診していますが、カロンはその時に提示された条件に満足せず、これを拒否しています。

フランス東インド会社の設立に関わる

しかし、65歳になったカロンはあらためて、アジアでの交易業務に乗り出すことになります。それはフランスの国策会社フランス東インド会社の首席理事の職をオファーされたからです。
当時この様なオランダ東インド会社からの人材の流出は非常に問題視され、さまざまな規則で禁止されていたそうです。しかし、オランダとフランスの国力の関係から、カロンはフランスの有力な後押しを得て、この職務に就くことになりました。

カロンはこのフランス東インド会社では、その設立から組織の構成、実際の事業運営まで関わっており、その初代長官に就任しています。
この時代のことをここで説明することは省きますが、実に65歳でこの職に就き、8年間に渡りその仕事を全うしています。実にエネルギッシュな実務家であったことがわかります。

ポルトガル沖で船の沈没に巻き込まれる

この様な高齢になっても、カロンはヨーロッパとアジアの行き来を重ねていました。フランス東インド会社の本社はパリにあり、貿易拠点はマダガスカル、インド、セイロンに設けています。これらの商館の運営を行い、自らも艦隊を率いて各地に出向いています。
しかし、1673年フランスに戻る船がポルトガル沖で沈没してしまい、カロンもそれに巻き込まれてしまいます。そして、73歳の生涯を閉じることになりました。この時代の航海の安全性を考えると、カロンがこの様に何度もヨーロッパとアジアの間を往復し、業務を遂行できていたのは、そのことだけでもとても幸運の持ち主だったように思います。

最後まで実務派として仕事をし続けた人物

このように、フランソワ・カロンの一生を眺めていると、広くアジア海域での交易という業務に若い時分から亡くなるその時まで、ずっと関わっている人物という印象を持ちます。
オランダ東インド会社での30年にわたる勤務。このヨーロッパ人に取っての、東南アジアでの業務というのは、一攫千金を夢見る冒険的な仕事だったそうです。普通の人はやらない、そのために、バタヴィアに住んでいるオランダ人には少なからずならず者が多い。そして、まとまったお金を手にすると故国に戻る。それが一般的なオランダ東インド会社職員の仕事のやり方でした。
それと比べると、フランソワ・カロンは、オランダ東インド会社での職務を終え、ヨーロッパに戻った後に、あらためてフランス東インド会社でのリーダーを勤め、アジア海域に戻っています。彼にとって、故国での生活は既に、慣れないものだったのかも知れません。自らの時間を最も費やして仕事をしてきたアジアに戻って、新たにフランスのために仕事を始め、そこで亡くなったというのは、彼にとっては本望だったように思います。

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