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学生時代のヨーロッパ旅行(その十四、フランス)

フランスの旅は一旦パリに戻るところから始めました。パリでは3泊して、一般の観光地とル・コルビュジエの建物を探して歩きました。

パリを縦断

僕の旅行のスタイルはとにかく歩くことなので、パリでも三日間歩き続けていた記憶があります。観光地を点で見るのではなくて、街全体を面として把握したい。とは言っても時間は限られているので、せめて線で見よう。そんな意識でいるので、A地点とB地点を見ようとなったら、その間をタクシーも地下鉄も使わず可能な限り歩きます。

記憶しているところでは、セーヌ川のずっと南の方で大学キャンバスの中のユースホステルに宿泊し、そこを拠点としひたすらに北上。セーヌ川、ノートルダム寺院、シャンゼリゼ、凱旋門などを歩きましたが、流石にモンマルトルまでは辿りつきませんでした。

ヨーロッパで初めての中華料理

イギリスからここまでの旅行で、食べていたものは基本的にヨーロッパの料理でした。イギリスではフィッシュ&チップスを、デンマークでは魚の団子を、ドイツではキャベツの塩漬けなどを食べ、パン食です。例外は、イギリスで食べたインド料理ですね。インドのスパイスの効いたカレーを、パラパラとしたタイ米と合わせて食べたくらいでした。

ところが、ここパリに来ると街中にしょっちゅう中華料理の看板を見かけました。それで、好奇心から中に入ってどんなものが食べられるのか試してみることにしました。チャーハンや餃子、野菜炒めなど、日本の中華と同じ様なメニューの料理を食べて、日本食ではないながら、米食主体の料理に何やら懐かしい想いを抱きました。食べ慣れた食事がとても嬉しかった様に記憶しています。また、中華レストランの店頭には日本の煎餅が置いてあって、それも買って帰りました。

スイス学生会館

ユースホステルのあった近くの大学キャンバスには、ル・コルビュジェの設計したスイス学生会館があったのでその建物も見学しました。

大学のゼミでは、ずっと近代建築の歴史を学んでいたので、ル・コルビュジェの設計した建物を見学するのは、今回の旅行の一つの目標でした。その一つ目がこのスイス学生会館です。

ル・コルビュジェ

30年前、大学で建築の勉強をしていた時、キーワードは"近代建築"でした。19世紀の新古典主義の建築様式が、世紀末にアール・ヌーヴォーと呼ばれる、装飾的・感性的なデザインに移行したあと、鉄骨や鉄筋コンクリート、ガラスなどを素材とする近代的な建築様式に移行していくという歴史を学んでいました。
その歴史の中で数多いる建築家の中でも、近代建築の三巨匠と呼ばれるのが、ドイツののミース・ファン・デア・ローエ、アメリカのフランク・ロイド・ライト、そしてスイス出身でフランスで活躍したル・コルビュジエです。

大学のゼミでは、近代建築のオピニオンリーダーであったこの建築家のことを何度も勉強しています。近代建築の三原則であるとか、上野にある近代美術館の模型制作であるとか、ゼミの中ではル・コルビュジエのスイス時代に焦点を当てて、彼の青年期と初期の古典様式の設計案なども学びました。

スイス学生会館は、大学キャンパスの中にある学生寮だった施設です。初めて見たコルビュジェの作品は、コンクリート打ち放しのとてもぶっきら棒な建物でした。

ル・コルビュジエが唱えた近代建築の5原則は、「ピロティ」「自由な平面」「自由な立面」「独立骨組みによる水平連続窓」「屋上庭園」と呼ばれています。これが新古典主義からアール・ヌーヴォーまでの組積造を基礎とした構造様式から離れ、新しい建築様式を示している。その基礎となる考えをキーワードとして示しています。その考えを典型的に表す建物としてサヴォワ邸という住宅作品が有名ですが、今回の旅行ではこの建物は見学できていません。

日本ではこのル・コルビュジェの元で建築を学んだ前川國男が多くの打ち放しコンクリートの建物を日本で設計していますが、日本のそれらの建物は、コンクリート外壁の表面を汚れから守るために撥水剤を塗布しています。そのために、壁が常にねずみ色に濡れた様に見えます。
その様な打ち放しコンクリートな建物を見慣れた目には、このスイス学生会館のそれは、とても荒々しくゴツいイメージに感じられました。

スイス学生会館



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