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記憶の旅日記9 ウイーン

ウイーンに行くと必ずレオポルド美術館に行く。この美術館にはたくさんのエゴン・シーレの作品を見ることができる。ウイーンで生まれたこの画家のことは高校生の頃に画集で見てからヨーロッパに来たら見たいと思っていた。高校の時の担任のK先生が、近付き難い空気の魅力的な女性でシーレが描く絵に似ていた。初めて行った時には21歳の時で、旅の途中だった。暑い日で、美術館の中がひんやりしていて、気持ちよかった。ほとんどだれも館内にいなかったように思う。その自画像は、絵の表面を通り越して、こちらを見ていた。この画家がキャンバスに向かい描いている時にはおそらく鏡を見ていたのだろうけれど、その鏡はなく、「こちら」を睨みつけていた。鋭く挑発していた。「お前は、戦っているのか?」。

レオポルド美術館の前は広場になっていて、21歳の旅で行った時には黄緑のベンチが並んでいた。ちょうど昼寝をするのには良い場所だった。その夜はここで寝ることにした。夕方になってうとうとしていたら、隣のベンチで若者が何人かでワインを開けて飲んで楽しそうにしていた。その中の一人の男が僕に話しかけてきた。それで一緒に飲むことになった。何してるんだと聞かれたので、旅をしているよと答えて、どこに泊まっているのと聞かれたので、ここだよと言ったら、じゃあうちに泊まれよ、と言ってくれて、彼の家に泊まらせてもらえることになった。

名前は忘れてしまったがすごく親切な男だった。ベルギーからやってきていて、この夏の間にウイーンの街でダンスのレジデンスがあり、さまざまな国のダンサーと一緒にレッスンをして暮らしていると言っていた。僕はその頃まだ英語を勉強中だったが、ベルギー人の彼は英語、フランス語、フラマン語、オランダ語ができると話してくれて、驚いた。後から知ったのだけれど、ベルギー人は3、4ヶ国語を話す人は結構ザラにいる。右脳と左脳と、あといくつか脳があるように思う。

彼の部屋で寝て翌朝キッチンで一緒に朝ごはんを食べた。そこには素晴らしく引き締まった体の男女が数人いて、優雅な身のこなしで食事をしていた。塩をとって、と誰かが言うと踊るように誰かが塩をとり、軽いステップを踏みながら流れる手先で渡していた。ダンサーは24時間仕事なのだなと彼らの仕草を見て感じた。その日の夜に有名なカンパニーの舞台があるからということで、10ユーロぐらいだったと思うけれど、チケットを買い彼らと一緒に見に行った。レオポルド美術館の近くの劇場だったと思う。その日の公演は後で知ったのだけれど、ピナ・バウシュのカンパニーだった。公演が始まりたちまちに釘付けになった。今まで見たことのない「何か」だった。今は色々と知識が増えたので説明できるけれど、その時は本当に初めてでただ衝撃だった。なんだこれは、という。17歳の頃に毎日パンクロックばかりを聴いていたとき、CD屋でピンクに黒の影が映ったジャケットに興味を持って試聴したビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビーを初めて聴いた時と同じ感覚。なんなんだ、これは。異物が体に入ってくる。人間がこれほど美しい生き物だと初めて知った。文字通りにその時間の間体が固まり、目が離せなかった。

こうやって初めてのことを体験することは、その時代の特権だと思う。知識がついてしまうと、目が枯れてくる。感動の値が下がってくる。非常に寂しいことだと思う。僕の好きな画家、フランシス・ピカビアはその点でずっと、死ぬまで素人だった。彼の絵画には技術がない。ただ新鮮な視点を通して世界を見て描かれていた。そして再びシーレ。「お前は、戦っているか?」

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