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初華 ~死刑を求刑された少女~ あとがきと解説

・はじめに

初華 ~死刑を求刑された少女~ を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。このあとがきには、作品のネタバレが含まれますのでご注意ください。
初華は、2021年下期メフィスト賞座談会に掲載された作品です。現在、創作大賞2022に応募しています。


・小説を書こうとしたきっかけ

あることがきっかけで、小説を読む機会を得ました。小説どころか、紙媒体の漫画を読むことも今となってはほとんどなく、紙の本を手にするのは何十年ぶりというほどでした。
小説を読んでいて、ふと思いました。「自分も小説を書いてみたい」と。
文章を書くとなると、それこそ小学校の作文や日記以来なのではないかというレベルです(笑)
このころは職に就いておらず、時間だけはいくらでもあったので、2021年の3月から執筆を始めました。そして、三か月をかけて一通り最後まで書き上げました。


・テーマは、罪と罰。そして、家族

まだ、ドフトエフスキーの罪と罰は読んでいません…。しかし、罪と罰はよく聞くフレーズです。そして家族。分かりやすいこのふたつをテーマとしました。
初華 ~死刑を求刑された少女~ は彼女のお話ですが、彼女を取り巻く人たちや家族のお話でもあります。初華の両親もそうですし、初華の親友である一桜の両親。新人刑務官の宮田の両親や、弁護人の道重大輔の妻と娘。さらには、初華に殺害されて、復讐に燃える女生徒の家族など。人はひとりではなく、なにがしかの人との繋がりがあります。一番身近なのは、家族です。
当事者だけの話ではない。そのため、それぞれの主要人物の「家族」についても書いて、ストーリーに深みを持たせようと思いました。


・死刑を求刑された女子高生

どうせ書くのなら、誰も書いていない内容の小説を。
私自身、犯罪心理学にも興味があり、その手の本も読んでいたので、これも小説を書きたいと思った理由のひとつかもしれません。
女子高生が主人公の作品は数あれど、罪を犯して死刑を求刑された女子高生は小説にも現実世界にも存在しないので、これだと思いました。


当初の主人公は阿久津初華ではなく、櫻木一桜でした。
いじめられっこの一桜が学校で様々ないじめを受けて…的な内容だったのですが、ありきたりな感じがしたので、もっと別の視点を求めた結果、初華を主人公とし、拘置所からスタート。一桜は故人としました。


・人の心は複雑。作品にメッセージ性を

一番身近な存在である家族とはいえ、逆にそれが壁となって腹を割って話すことはできないんじゃないかしら的なことを女性刑務官である皆川彩花は話していますが、もちろん、そんな家族ばかりではないでしょう。
しかし、私の家族はそうでした。私自身も素直になれなかったのです。

人の心は、人が思っている以上に複雑で、そのすべてを知ることができるのはエスパーかニュータイプくらいなものでしょう。だから、「会話」や「話をする」ということがとても大事。だからといって、真実はわかりませんが、話さない事にはなにも始まらない。

残念ながら、作中の初華と華永は「本当の家族の会話」を交わすことが叶うことなく、この世を去ってしまいます。
華永は娘の初華に手紙を差し出しましたが、それも「初華が犯した罪」によって阻まれ、初華の手に届くことはありませんでした。
ここに私なりのメッセージを込めました。人の命は、いつかは尽きる。それは突然やってくるかもしれない。そうなる前に、後悔しないように「家族」と「話」をしておきたいものです。

新人刑務官の宮田の10代は荒れ、家族とは喧嘩ばかりで母親は失踪。父親との喧嘩の果てに傷害事件を起こして少年鑑別所に入るも、そこでの職員との出会いがきっかけで自分を見つめなおして、人生を持ち直しました。
しかし、「家族との対話の無さ」「すれ違い」によって、結果的に父親は自殺し、一家は離散します。「もっと話をするべきだった」と宮田自身も激しく後悔しています。そして、拘置所に収監されている初華を、昔の自分と重ねます。そんな彼ですから、初華をなんとかしてあげたいと思っていても、彼女の犯した罪の重さからどうすることもできないと頭を悩ませる日々が続きます。

初華の弁護人の道重大輔は、3年前に妻と娘を交通事故で亡くしています。
彼の場合は、家族を失ったのは突然の出来事です。故に、登場した主要人物のなかでも一番つらく、哀しい思いをしたのではないでしょうか。なんの前触れもなく、最後の会話をした2時間後には病院で変わり果てた姿の妻と娘に再会するのですから。
しかも、その最後の会話も「いってきます」に対して「ああ」と返しただけ。おそらく、後悔の念は誰よりも深いと思います。すこしタイミングがずれただけでも2人の命は助かったかも知れないのですから。
「あ、そうだ。なにか買ってきてほしいものはある?」「ん?そうだな」これだけの会話でも、事故を回避できた可能性があります。


・初華は悲劇のヒロインではなく、ただの犯罪者

読んでいただいた方の目には初華はどう映ったのでしょうか?親ガチャに失敗した憐れな女の子?それとも自分のことがわかっていない可哀そうな子供でしょうか。5人を殺害しなければ、悲劇のヒロインだったのかもしれませんが、人を殺してしまった以上、初華はただの犯罪者です。
しかも5人を、身勝手な理由で殺害したのですから同情の余地はありません。一桜を含めると6人です。さらに、楠田一家殺害事件後にショックによって心筋梗塞で死亡した、心尊の祖母を加えると7人です。
7人を殺害した罪を犯した初華は、悲劇のヒロインではなく、殺人者です。
最期は、初華が殺した女生徒の父親である寺塚國男に復讐されて、彼女は命を落とします。しかも、彼女の両親も自分がやった同じ手口で殺害され、そして、彼女の家族が死ぬ様をスマートフォンで見せられます。そこでも初華は自分がやったことの重大さに苛まれます。
そして寺塚に、「わかったか? 家族を奪われる苦しみってやつが。だったら、いまおれがおまえをどうしたいのかも、わかるよな?」と告げられますが、それはこのときの初華も寺塚と同じ心情でした。「わたしの家族を奪った」寺塚に無意識の憎しみを植え付けられた初華は、混乱した状態のままで、無意識のままに寺塚と相討ちになって幕引きとなります。
初華は7人を殺した殺人者。それは紛れもない事実なのだけれども、こういった「負の連鎖」の出来事によって、「しかし」「だけど」「そうだとしても」という、僅かな同情心がふと湧き上がることがあり得るのも「人の心」の複雑な部分なのかなと思いました。
しかし、負の連鎖を引き起こしたのも、やはり初華なのです。「因果応報」「身から出た錆」。罪を犯した以上、罰は受けなければならないのです。


・重い話だからこそ、前半の日常パートは明るく軽快に

この点は、メフィスト賞の座談会で評価されました。
死刑を求刑されて、判決日までの約2週間の日常を描いています。日常パートはそれぞれのキャラクターの一人称で、阿久津初華、宮田宗一郎、道重大輔、木島祐一、阿久津華永、櫻木世吾、涌田景子の視点で進んでいきます。第一章の(1)と(2)、第六章の(4)からは三人称になっています。


初華は殺人犯だけど日常はどこにでもいる女子高生。しかもスタイル抜群で美人。暗いイメージのある拘置所だけど、イケメン刑務官の宮田をからかったり、女性刑務官の皆川彩花とガールズトーク。はたまた、拘置所のグラウンドで雪遊びなど、年頃の女の子らしい日常の描写に注力しました。
そうすることによって、中盤から後半への「重さ」に拍車をかけることにも繋がります。笑いあり、感動あり、涙ありを意識して書いてみたのですが、どうでしょうか?
しきりに宮田と皆川をくっつけようと躍起になる初華。こういう「おせっかい」なところも初華のいい面ではあるのですが、学校生活ではそれが裏目に出てしまったようです。しかし、拘置所生活では、それが良い結果になったことが終章で明かされます。
宮田の名は宗一郎。皆川の名は彩花。ふたりの名前から1文字ずつ取って、生まれてくる子供の名前は一花(いちか)にしたとか、しないとか。


・複雑に絡み合うキャラクターたち

初華 ~死刑を求刑された少女~には、名前のあるキャラクターだけでも、おそらく30人近くいます。話の流れで、ぽっと出てきたモブキャラが主要人物になったりしています。それが海老原(花苑一)だったり、宮田の実母である涌田景子だったりします。
「ここでこうしたほうがもっと話に深みがでるんじゃないか」と考えた結果、それが涌田景子を主観とした、裁判員のパートに繋がりました。
宮田宗一郎の実母である景子は、裁判所でも、居酒屋でも息子に会っているのですが、結局、最終章のショッピングモールで会っても実の親と息子であると気付くことはありませんでした。「え? 普通、気付くだろ」と思うかもしれませんが、意外と人は人の顔を見ないで話をしていることが多いし、相手の髪型などの見た目も大きく変わっていれば、気付かないことも多いのです。もし、眼鏡をかけていたらなおさらですよね。ましてや、涌田景子は未だに息子は金髪のチンピラと思い込んでいるのですから。

海老原は刑務官であると同時に、収監されている初華の実父です。実の娘と肉体関係を持つという禁忌を犯し、華永と離婚をして家を出ました。
そして、自身への戒めも込めて刑務官という職についたのですが、そこにまさか娘の初華がくるとは予想外でした。職務に忠実であるがゆえに、後輩の前では初華に対して厳しいことも言いますが、そんなことを言わなければならない彼の心中は、針の筵だったことでしょう。しかし、初華に会えばそんなことはおくびにも出さず、冗談を言って笑わせたり、下ネタや親父ギャグで初華に白い目で見られることもしばしば。
しかし、娘は殺人者で死刑を求刑された身。犯した罪は娘の責任だが、そうさせたのは自分のせいであると、宮田以上に海老原は苦しんでいます。それなのにどうすることもできない。これは実の娘を傷つけた、彼に対しての地獄なのです。

それと、初華が「つるぴかさん」と呼ぶ受刑者の14番もただのモブキャラだったのですが、キーキャラクターへと昇進しました。読んでいればすぐにわかるかと思いますが、14番は、かつて宮田に「偉そう」に説教をした少年鑑別所の元職員です。
とある事件を起こしたことにより有罪犯罪を受けて、Y拘置所の未決拘禁者の世話係として収監されており、宮田と立場が逆転しました。
しかし、初華が自分を見つめなおすきっかけになったのも、宮田が14番が職員のときに「叱咤」され、自身と向き合い、刑務官の道を志したからです。宮田も無意識に元職員である14番と同じ「叱咤」を初華にしていたのです。
ここでも、宮田の目に初華は「昔の自分」と重なって見えたはずです。
ちなみに、道重大輔が常連になった花屋で、娘の愛実へ送るアレジメントフラワーを購入したときに店の主人である女性と「父親」について少しだけ会話したとありますが、「父はここにいません。今はお勤めに」と女性は言っています。その勤めに出ているという父というのが、14番です。
宮田は少年鑑別所をでてからオヤジの紹介でかけもちのバイトを始めたと言っていますが、そのバイトというのは、14番の娘が店主を務める花屋だったのです。その花屋でバイトをしていたと皆川彩花にも話しています。


・キーアイテムである手紙と謎の人物「赤津猪鹿蔵」

刑務所、拘置所と言えば「手紙」。手紙と言えば、あしながおじさん。個人的には「小公女」のほうが好みです。
手紙といえば、やはり思い出されるのは東野圭吾さんの作品である「手紙」です。そして、娘を未成年の少年に殺害されてその復讐に燃える「さまよう刃」。こちらも東野圭吾さんの代表作です。私の作品である「初華」は、この二作品の影響を受けています。このふたつの作品は対極しています。
「殺した側」と「殺された側」です。
手紙は、弟の学費のために老夫婦の家に盗みに入ってお婆さんを殺害して刑務所に入った兄が弟に手紙を出し、そして「加害者の家族」となった弟の苦しみを描いた作品です。
さまよう刃は、愛娘を未成年の少年に殺された父親が、少年法に守られた殺人犯である少年を自らの手で裁くという内容です。
この二作品の影響を受けた結果、このふたつの要素が合わさった作品が「初華」になりました。片側だけではなく、両側の視点で書いてみようと思ったのです。


毎月初華に現金の差し入れをしていた赤津猪鹿蔵の正体は、実の母親である華永。プライドが高く、素直になれない彼女は偽名を使って差し入れをしていました。ヒントを得たのは、初華が読んでいた「あしながおじさん」。
華永は完璧主義であると同時に、それゆえに繊細な心の持ち主でした。心の弱さに気付いた彼女でしたが、そんな自分自身に呆れながらも赤津猪鹿蔵として、差入をしていました。
しかし、なぜ赤津猪鹿蔵なのか? このヘンテコな名前に夫の孝彦も、拘置所の海老原も疑問に感じていました。実は、この赤津猪鹿蔵(あかついかぞう)というのはアナグラムです。アナグラムとは、言葉遊びの一種で、並び替えると全く違う意味になるというものです。気づいた方はおられるでしょうか?(メフィスト賞の審査員の方も気付いた方はいらっしゃるのでしょうか?)
ただ、物語そのものに介入するようなものではなく、遊び心なようなものなので、別に気づかなくとも支障はありません。
作中にも、ヒントはあります。

「私の好きなシンガーソングライターの名前なの。だいぶ昔に亡くなってしまっているのだけどね」
「中村さんの話し声のうしろでは誰かカラオケを唄っているのか、声が聞き取りづらい。へたくそな歌声だ。しかし、聞いたことのある曲だった。確か卒業がテーマの」
中村さんが通話に戻るとまたへたくそな歌声が聞こえてきた。唄っているのは海老原さんだったのか。こんなへたくそに唄われたら、名曲も台無しだな……。

赤津猪鹿蔵(あかついかぞう)をローマ字入力で英語表記にして逆に読むと答えがわかります。ただし、「い」を「i」ではなく「yi」で入力します。ちなみに、「yi」で入力しても「い」に変換されます。そして「ぞう」ではなく、「ぞ」で入力します。そうすると、akatuyikazoとなります。
この言葉遊びやアナグラムは、私が敬愛する道尾秀介さんの作品である「カラスの親指」にヒントをいただきました。

このアナグラムに気付いた読者であれば、華永と孝彦のシーンで海老原が華永の元夫であり、初華の実父であるということに気づかれた方もいらっしゃると思います。


・初華が受け取った手紙

初華が読んだ手紙は、華永が書いたものではなく、初華が殺害した望月陽葵の父親である、望月正巳が書いたものでした。皮肉なことに、この手紙がきっかけで初華は自分の犯した罪と向き合うようになります。
作中にて望月正巳が話したロールレタリングについては、岡本茂樹氏著書の「反省させると犯罪者になります」を参考にさせていただきました。
初華に復讐の炎を燃やしていたのは寺塚、望月だけではなく、Y拘置所の刑務官である杉浦夏蔵もそうでした。しかも、彼の場合は姪である楠田心尊に姉夫婦、そして母親までがショックで心筋梗塞で亡くなったとはいえ、初華に殺されたようなものでした。その憎しみは3人の中で一番強かったのです。
しかし、すぐ手の届く場所に仇が1年半もいるに、それでも自ら手を下さないところに杉浦の狡猾さが窺えます。海老原が初華の実父であることも当然知っています。その心境は、果たしてどういったものだったのでしょうか。
海老原、中村、宮田はよくつるんでいるのに対し、杉浦はあまり姿を見せず絡まないことから「何かある」ということを匂わせています。
そして、寺塚國男と望月正巳、櫻木世吾と接触して初華の殺害を教唆します。そして、寺塚が初華と彼女の両親を殺害したことにより、彼の目的は達成されました。一人残った海老原には「生きて、俺が味わった地獄をお前も味わえ」と思っているのかも知れません。


・初華が受け取れなかった手紙

初華は、華永からの手紙を受け取るどころか、その存在を知らぬままにこの世を去ります。それどころか、自分の死ぬ間際まで両親が死んだことすらも知りませんでした。
赤津猪鹿蔵から届いた手紙を読もうとしたときに、初華はこう言っています。


封筒の口が閉じられたままでこれじゃ読めない。ハサミはないから、指で慎重に封を破いた。

この手紙は怪しいものだと初華がその場で気がづけば、その後の展開も違ったのかもしれませんが、それは無理なことだったのかも知れません。
留置場や拘置所に届く手紙は、必ず中身が検閲されるので封が破られた状態で渡されます。しかし、初華が受け取った手紙は封がされたままでした。つまり、誰も検閲をしていないということ。これは杉浦のミスでした。しかし、初華はそれに気づくことができなかった。なぜなら、はじめて差し入れされた手紙だからです。
このことから、暗に「杉浦が怪しい」と仄めかしています。本来、検閲されるはずの手紙が検閲されていないし、差入品の授受を担当しているのは杉浦だからです。
終章でも書かれていますが、華永から届いた手紙は杉浦が隠していました。
Y拘置所に家宅捜査が入り、杉浦の私物ロッカーから手紙が発見されましたが、それを初めて読んだのは木島祐一であり、「初華」を最後まで読んだ、読者の方たちなのです。


・一桜や心尊は初華のことをどう思っていた?

櫻木一桜は、初華が中学一年生のときに他県から転校してきた女の子です。初華曰く、長くて綺麗な黒髪が印象的で、まるでお姫様のお人形みたいな女の子。私のイメージとしては、地獄少女の閻魔あいでした。(すみませ、個人的な好みです)
絵を描くのが好きで、可愛い見た目だけど人と深く接するのは苦手。そんな一桜に最初は奥手な初華でしたが、一歩を踏み出したらその後は積極的にかかわりを持とうとします。押しのつよい初華に負ける形で「親友」となった一桜でしたが、微かな「煩わしさ」と、初めて親友ができたことによる「幸福感」が綯交ぜになったまま、成長していきます。しかし、我の強い初華に引っ張られているうちに、少しづつ「痛み」を感じるようになりました。
そんなときに一桜の心の支えとなったのが、聖フィリア女学院のクラスメイトである楠田心尊でした。心尊は一桜の考えや心を尊重し、自分を理解してくれる心尊に一桜は傾向していき、初華に続き「親友」と呼べる仲にまで発展します。しかし、一方で初華と心尊は新体操が原因で犬猿の仲。


初華と心尊の双方に気を遣っていた一桜でしたが、初華が一桜の大切にしていたスケッチブックを破り捨てたことにより、ついに一桜の「怒り」が爆発します。「虫も殺せないような優しい子だ」と父親の世吾は話していますが、一桜自身の心の中はどうだったのか、一桜自身にしかわかりません。
「家庭内に問題はなにもなかった」とも言っていますが、果たして本当に何もなかったのか。父親が見ていないところで…なんてこともあるかもしれません。

そんな一桜はクラスメイトから「おせっかい」な初華への陰口を耳にすることもありましたが、初華のことを慮って彼女にそのことは話しませんでした。しかし、スケッチブックを破られて怒りに囚われ、正常な判断ができなくなった一桜は、吊り橋で怒りに任せるまま、すべてを話してしまいます。

――私にはいっちゃんがおともだちに愛想を振りまいてるのが滑稽に見えて仕方なかったよ。いっちゃん必死だったよね。好かれようとして。困ってる人を助けたりしてたっけ。いっちゃん気づいてた? いっちゃんが声をかける「おともだち」はいてもいっちゃんに声をかけてくれる「おともだち」はひとりもいなかったことに。
 わたしはおともだちが沢山いるクラスの人気者?
 笑っちゃうよね。そう思ってるのはいっちゃんだけだよ。みんなね、鬱陶しかったんだよ。なにかやろうとするたびにいっちゃんが近寄ってきて邪魔だって言ってた子もいるんだよ? でもさ、無下にするのも悪いから、みんな気をつかってたんだよ。優しいよね。いっちゃんさ、人に親切にするのはいいんだけどさ、いちいち押し付けがましいんだよ。


そして、「あんなに親友してあげたのに!」と言っていることから、同情心や、仕方なく初華の親友になってあげたというニュアンスとして受け取れますが、それだけではなかったと彼女の父親である世吾はのちに語っています。

クラスでは人気者と思っていた初華でしたが、事実はそうではありませんでした。しかし、一桜が初華に話したことも本当のことなのかどうかはわかりません。もしかしたら、初華が苦しむ姿を見て愉悦感を得るために「嘘」の話をしたのかもしれません。しかし、はじめてできた親友に幸福感を感じたのは紛れもない事実です。ただ、それが全てではないのが人の心というものです。「可愛さ余って憎さ100倍」。
親友であるはずの初華の命を奪おうとまでする一桜自身の心にも、なにか深い闇を感じられます。

比較的正常な思考を持っていたのは、心尊でした。しかし、中学生時代に初華との事件があってからは、初華に対してのみ敵愾心を燃やします。それを除けば、ふだんは面倒見の良い心優しい女の子です。誰とでも分け隔てなく接し、それは一桜に対しても同じでした。
初華は自分が原因で一桜が心尊に酷い目に遭わされるかも知れないと考えていますが、それは単なる被害妄想で、当人である一桜は心尊の家に遊びに行くほどの仲良しです。まるで本当の姉妹のようだと世吾も語っています。
しかし、初華に対しては怒りが先行してしまい、一桜が自分に懐いていることに対して初華に優越感を感じていました。そういう視点から見ると、心尊もまた自分の「欲」のために一桜を利用したとも考えられます。それが、後の殺人事件に繋がりました。


・初華の最期

すべてがそうではないと思いつつも、人の根底にあるのはその人自身の「欲」と、「本質」です。自分と向き合ったとしても、奥底にある本質は変わらない。
初華も本当の記憶を呼び起こして、自分の犯した罪に向き合おうとしましたが、それだけでした。どう転んでもハッピーエンドにはなりません。そして、報復を受けて命を落とします。自分と向き合ったいま、死ぬことは彼女自身も望んでいたことでした。しかし、彼女は間際で逃げ出した。心の底には「まだ、生きたい」という欲、または本能が残っていたのかも知れません。
結局、初華は自分中心の利己的な考えから完全に脱することはできませんでした。しかし、それも「若さゆえ」であるのならば致し方ないのかもしれません。初華の最期については別のエンドも用意していたのですが、そっちの方がより残酷であるということから、仇討ちされるという今回の結末にしました。


・終わりに

なんだか、思った事だけを書いた取り留めのない内容になってしまいましたが、いかがだったでしょうか。読み返してみると確かに粗削りだし、この手の話ではベターな内容の部類に入るのかなとは思いますが、メフィスト賞の座談会では、「最後までグイグイ読ませる力がある」「いい意味で過剰な作品」との評価を受けました。
もし、このあとがきと解説をはじめに読んで興味を惹かれた方がおられましたら、ぜひ「初華 死刑を求刑された少女」を読んでみてください。
長々と書きましたが、最後までありがとうございました。

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