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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (6)

(6)


 2026年 1月30日
 判決日まであと4日

 
 車のギアをバックにいれる。道路に面している狭い駐車場に車を停めるのは好きじゃない。かといって前から突っ込んで停めると、今度はでるときに苦労をする。
 サイドブレーキを引いて時計を見ると、待ち合わせ時間の5分前だった。大きな窓ガラスからこちらを覗き見る視線にサイドミラーで姿を確認した私は、急いで車を降りた。


「すみません、お待たせしてしまいましたか」


 席につくと、ウェイトレスがおしぼりを持ってきたのでホットを注文した。禁煙席だから煙草の煙に悩まされずに済むのは助かった。


「いえ、私の方が早く来すぎてしまっただけなので気にしないでください」


 そう言ってほほ笑んだのは、阿久津夫人だった。
 会って話がしたいと先日彼女から連絡があったので、リゾ・バンビーノで待ち合わせをした。夫人は薄く化粧をして、相も変わらずの美貌ではあったが、やつれている様子で、以前のような威風堂々とした居住まいはすっかり鳴りを潜めてしまっていた。


「それで、お話というのは」


「夫に娘の過去の出来事について話をしました」


 コーヒーカップを掴もうとした手が止まった。


「やはり、初華さんは過去に何かあったのですね」


「ええ。それについて道重先生にもお詫びをと思いまして。本当に申し訳ありませんでした」


 夫人は深々と頭を下げた。


「顔を上げてください。人に話しづらいことは誰にでもあるでしょうから。ただ、今回の場合はもっと早くお話しいただければなというのが正直なところです。おつらい気持ちはわかりますが」


「それは、ごもっともです」


 夫人はしゅんとした様子で肩を落とした。そして、ぽつりぽつりと語りだした。
 元夫と離婚をした本当の理由や、元夫が実の娘を「性の捌け口」として利用したこと。傷ついた娘は実父との記憶を閉ざし、心に傷を抱えたままだということ。
 阿久津夫人が本来やるべきだったことは、娘を厳しく躾けることではなく、娘に寄り添うことだった。しかし、世間の目や自分のプライドばかりを気にしていた夫人は、娘を娘としてではなく、価値のある「ブランド品」や「アクセサリー」のような「所有物」としか考えていなかった。
 夫人が自分と向き合ったときにはすでに手遅れだった。そもそも、娘が事件を起こさなければ、夫人も自分と向き合うことはなかった。遅かれ早かれ、こうなってしまったのではないだろうか。


「今思えば、なるべくしてこうなったと言っても仕方がないのでしょうね」


 落ち込む夫人の姿は見ていて痛ましいほどだった。


「お気持ちはお察しいたしますが、後悔しても仕方がありません。これからのことを考えるべきだと思います」


 夫人は顔を上げて濡れた瞳で見つめてきた。


「娘は、初華はどうなるのでしょうか? やはり、求刑通り死刑になるのでしょうか?」


「死刑」の言葉にほかの客が訝しんだ視線を向けたのを感じた私は、平手をわずかに振ってトーンを落とすように促した。夫人ははっとした顔をしてうつむいた。


「それはわかりません。ただ、私から言えるのは死刑になるかもしれないし、そうではないかも知れないということです」


「初華は、死刑にはならずに済むのですか?」


「ならないかも、というだけです。以前にも申し上げましたが、死刑とはならなくても無期懲役になる可能性があります」


「無期懲役……ですか。でも、それでも娘が生きてさえいてくれるのなら……」


〝子供が死なずに済むのならばそれでいい〟そう思うのは親として当然なのかもしれないが、そうなった場合の現実を夫人に伝えなければいけなかった。


「阿久津さん。もしかしたら無期懲役の方が、娘さんにとっても、ご家族にとってもつらいかも知れません」


 夫人は目を丸くして「それはどういう……」と言って言葉を切ると瞬きをして続きを促した。


「5人も殺害した人間が刑務所とはいえ、今も生き続けていると被害者の遺族や世間が知ったらどう思いますか。心無い人々が、高い塀に守られた殺人犯に怒りをぶつけることができないと知ったら、その怒りの矛先は家族に向けられるのではないですか。それでなくても、殺人犯の親という理由で世間は冷たくあたります」


 夫人は、何かを思い出したかのように眉間に深い皺を作った。


「希代の殺人犯の親という重い枷は、おそらく死ぬまで外れることはありません。しかもその殺人犯が生きているとなるとより強固なものとなって、さらに苦しみが増すことになるかもしれません。それにもし、娘さんが仮出所することになったとしても、彼女に手を差し伸べてくれる人間は誰もいません。娘さんも死ぬまで苦しみ続けることになります」


「だから娘が死刑になれば、被害者の遺族の方や、世間の溜飲は下がるというわけですか。娘や私たちのことを考えれば、初華は死んだ方がいいのだと」


 力なく夫人は項垂れた。


「溜飲を下すといっても、それは一時的なものです。世間は一度堕ちた人間やその家族にそう易々と手を差し伸べてはくれません。おつらいでしょうが、それが罪を犯すということであり、罰を課せられるということなのではないでしょうか」


 夫人はバックから花柄のハンカチを取り出すと目元を押さえた。
 最悪だ。弁護をしている娘の母親に「娘は死刑になったほうがいい」なんて言う弁護士がどこにいる? この歳になって、この仕事は自分に向いていないように思えてきた。


「……無期懲役でもいいです。それでも娘が生き続けてくれるのなら」


 顔を上げた夫人の眼は真っ赤だったが、以前の「威風堂々」とした光が戻っていた。


「初華の罪は、私の罪です。私も死ぬまで背負い続けます。もし、初華が死刑になったとしても」


 夫人の言葉に並々ならぬ悲壮感を感じた私は、もらい泣きしそうになって思わず言葉に詰まった。


「くれぐれも、早まったことはなさらないでください。娘の初華さんも、哀しみますから」


「それはどうでしょうか」と夫人は小さく微笑んだ。
 判決日の前日にもう一度娘に会いに行くと夫人は言っていた。
 夫人は、阿久津初華へ出した手紙にこれまでしてきたことについての謝罪と今の想いをしたためたのだという。おそらく今ごろ彼女のもとに手紙は届いているはずだ。


『夫には離婚届を出します。初華の事であの人をこれ以上、苦しませるわけにはいきませんから』


 それが彼女と彼女の夫が望むことなのであれば他人の私が口を挟むことではなかった。
 手紙を受け取って、それを読んだ阿久津初華はどう思うのだろうか。夫人は阿久津初華と面会して、本当の「娘の母親」として彼女と言葉を交わすのだろう。
 私も判決日の前日に彼女と面会をする予定だ。母と面会したあとの彼女がどう変わっているのか、気になるところではあった。彼女の荒んだ心にどんな変化が訪れるのだろうかと。
 しかし、それを確かめることは決して叶わないことなのだと、この時の私はまだ知らなかった。


初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (7)に続く


~第五章~(6)の登場人物


阿久津華永(あくつはなえ)
初華の母親。娘が事件を起こしたのは自分のせいであると自責と後悔の日々を過ごしている。

道重大輔(みちしげだいすけ)
初華の国選弁護人。妻と娘がいたが、3年前に交通事故で亡くしている。

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