【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (2)
(2)
シンクに水が跳ねる音が響いていた。キッチンタイマーを見ると、洗いの制限時間終了まで十分に時間があった。もっとも、ひとり分の食器しか洗うものはないのだから時間が余るのは当然だった。
14番はシンクに向かって大きな体を屈めて食器を洗っている。透明のビニール袋には彼女が食べ残した残飯が放り込まれていた。
初華ちゃん、大丈夫だろうか。体温を計ると、微熱があったから彼女には風邪薬を飲ませた。長い拘留生活で精神的に疲れているのかも知れない。
いや、彼女の体調不良は俺のせいか。俺が叱ったせいで。しかし、昨日の面会では彼女に非があった。せっかく面会に来てくれたのに、あの態度は酷すぎた。
情けない父親のかわりに娘のカタキを討ってあげたなんて言われたら、彼もかなりのショックを受けただろう。娘に死なれて一番つらい思いをしているのは櫻木一桜の両親のはずだ。初華ちゃんはどういうつもりであんなことを言ったのだろうか。彼女の態度に腹が立ったのは事実だが、彼女が自分自身を痛めつけているようで見ていられなかったというのもあった。
「情けない父親、か」
面会室での彼女の姿が、かつての俺と重なって見えた。
それと同時に忘れ去ったはずの後悔の念が鎌首をもたげたが、無理やり抑え込んだ。
初華ちゃんの親友の櫻木一桜は、思った通り彼女の初恋の相手だった。そのことを知った初華ちゃんはひどく困惑した表情をみせたけれど、腑に落ちた様子でもあった。
『どうしようもなく一桜のことで頭がいっぱいだったのは、わたしが一桜に恋をしていたからなんだ』と頬を赤く染めていた。でも、すぐに泣き出しそうな顔になってしまった。
自分の気持ちに気付いたところで、櫻木一桜はもうこの世にはいない。つらい気持ちになるのも無理からぬことだった。だからこそ、「あのこと」は彼女には絶対話さないようにと彩花さんに堅く口止めをされていた。
――彩花さん、最悪、もしかしたら初華ちゃんは櫻木一桜に嫌われていたんじゃないでしょうか。
――え? そうなの?
――ああ、いえ。これも俺の憶測です。でも一方的な好意って、その気持ちが強ければ強いほど相手にとっては迷惑になるんじゃないでしょうか。もし彩花さんが好きでもない相手にしつこく言い寄られたら、どう思いますか?
――相手には悪いけど、正直迷惑ね……あ。
――これこそ、昨日の飲み会で彩花さんが言ってたヤツなんじゃないですか?
――本当は好きでもなんでもない。俺には他に好きな人がいるんですよ~、か。まさか。
――もしかしたら櫻木一桜は、初華ちゃんよりも楠田心尊のほうが好きだったんじゃないでしょうか。
正直、櫻木一桜がどのような理由で自分の命を絶ったにしろ、今となっては重要なことではないのは確かだった。それに初華ちゃんの犯した罪が消えるわけでもない。彩花さんに話したのは全部ただの憶測だ。初華ちゃんからそう聞いたわけでもない。だからこそ口止めをされた。それも当然だった。憶測だけで、迂闊なことを話せば、最悪な結果をもたらすことだってある。ともかく、昨日は俺も感情的になってしまったが、今の彼女はようやく「自分」と向き合おうとしているのではないだろうか。同じ罪を背負うにしても、自分と向き合うのとそうでないのとでは、まったく意味が違うような気がした。
「洗い終わりました」
顔を上げると、14番が気を付けの姿勢で待機していた。
「なあ、14番」
声をかけられた14番は、一瞬だけ俺に視線を向けると正面にまた戻した。視線の先は、俺の頭上を越えていた。
「これは俺が少年鑑別所に入っていたころの話なんだが、あるオヤジがいてな。鬼みたいな顔をしたオヤジでよ、体がまたバカデカイんだわ。肩なんかパンパンでさ。アメフトのプロテクターみたいになってんだよ。知ってる? アメフト」
14番は気を付けの姿勢のままぴくりともせず、マネキン人形のような感情のない目でまっすぐ見つめていた。
「そのオヤジがまたネチネチしたやつでさ、説教ばかり垂れてくるんだよ。そう、今のお前みたいに俺に気を付けさせてさ。偉そうに。きっと威張る相手がいなかったんだろうな。きっと鑑別所の同僚にも嫌われてたぜ、あのオヤジ」
俺が含み笑いをしても無反応だった。詰まらないヤツだ。
「洗い終わりました」
「わかってるよ」
まるで機械が終了を知らせるような無機質な声で14番が同じことを言った。
「なあ。初華ちゃん……3番のことなんだけど、彼女に『選択』をする権利はまだ残されてると思うか? お前、どう思う?」
相変わらず何も反応しない14番に俺はため息をついた。
「おい、なんとか言えよ」
「許可なく話をしてはいけない規則です」
「だから許可してるだろうが。俺が話しかけてるだろ?」
「交談願います」
面倒くさいハゲだ。
「14番、交談を許可する」
俺は交談許可を告げると続けた。
「そのオヤジがさ、言ったんだよ。お前がここに来たのは大きな力の導きがあって、ここに来たんだと。神様がやり直せって言ってるんだって。人生をやり直せって。人生のやり直しをさせるために俺を鑑別所に連れてきたんだってさ。ここが最後の選択の場と思えだってよ。信じられる? 神様だぜ? 笑っちまうよな。どこぞの怪しい宗教かよ」
「その鑑別所の職員が言ったことも、あながち間違いではないでしょう。神様は言いすぎだとは思いますが、実際、宮田さんも人生をやり直せたのでは?」
「ああ、まあな」と言って俺は鼻を搔いた。「でさ」と続けた。
「3番のことはどう思う? 彼女は、神様のお導きでここに来たと思うか? 人生をやり直すために、来たと思うか? もし、彼女が自分自身と向き合ったとき、『選択をする』権利は、残されていると思うか?」
14番は瞼を閉じると、険しい表情をして声を絞りだした。
「私には、わかりません」
「なんだそれ」
「ただ」と瞼を開けた14番の顔は、静かな怒りに満ちていた。
「神様がもし、神様の意思の力で3番をここへ導いたというのなら、なんと惨いことをするのだろうかと、神も仏もないと、胸倉を掴んでぶん殴ってやりたい気持ちではあります」
14番の言葉に俺は目を丸くした。その顔は「仁王像そのもの」だった。あの時と変わったのは、体が一まわり小さくなったことくらいだった。
「ぶん殴ってやりたいか、いいな。俺もぶん殴ってやりたい」
俺は力なく笑うと、ため息をついた。
その様子を見た14番は、呆れた顔で肩をすくめた。
「しっかりしてください。今はあなたが『オヤジ』なんですから」
そう言って、14番は不敵な笑みを浮かべた。
「うるせぇよ」
俺は口角を上げて「憎まれ口」を返した。
~第五章~ (2)の登場人物
宮田宗一郎(みやたそういちろう)
Y拘置所の新人刑務官。母親は失踪し、父親は自死したことにより家族を失った。一度は道を見失いかけたが、少年鑑別所の職員との出会いがきっかけで刑務官の道を志す。
14番(じゅうよんばん)
初華がつるぴかさんと呼ぶ受刑者。スキンヘッドがトレードマーク。かつては少年鑑別所の職員だったが、事件を起こして、現在服役している。Y拘置所の未決拘禁者の世話係。
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