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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (2)

(2)


 私は盛大なため息をついて、アクリル板の向こうで座っている彼女をじっと見つめた。
「何ですか?」と濡れた毛先を弄びながら、ぼそりとつぶやく彼女の不遜な態度にさらにため息がでる。


「裁判での最後のあれは、一体どういうつもりだ? なぜあんなことをした?」
 私の言葉に彼女はうんざりした顔をして鼻を鳴らした。


「あんなことって? わたし、言いましたよね。やったことについてはすべて話しますけど絶対に謝らないって」


「だが、きみは納得したんじゃなかったのか。上辺だけでもいいから、謝罪と反省を述べると。渋々だったが、きみは諒承したじゃないか。それなのになぜ、最後にぶち壊すような真似をした?」


 もっとも、あんな感情のこもっていない謝罪では、裁判官や被害者遺族に誠意は伝わっていないと思うが。私が問い詰めると、彼女は目を細めて見つめ返してきた。


「わたしが言うのもなんですけど、そんな上辺だけの反省に一体何の意味があるんですか? 先生。あのときはリハーサル、リハーサルってしつこく言うから仕方なく従っただけですよ。何度も言わせないでください。わたしは友達の一桜が好きだった。その一桜をあいつら3人は殺した。だからカタキを討った。それだけです。死刑なりたくないからって、命乞いみたいな真似をするなんて、死んでも嫌です。何も知らない人間に、わたしが裁かれるなんて納得できません」


 何度このやりとりを繰り返してきたことか。私の方がうんざりしている。やったことは認めるが、反省はしない。死んでも謝罪するのは嫌だ。でも死刑になるのは納得がいかない。矛盾している。まるで子供の我儘だ。実際、彼女は子供なのだが。
 私はもう一度、ゆっくりと、落ち着いて、言い聞かせるように彼女に伝えた。


「いいかね? 阿久津さん。何度も言うが、きみは、人を5人殺害しているんだ。殺意を以って、しかも計画的に。櫻木さんをいじめて、自殺に追い込んだ寺塚さんと望月さんをインターハイ出場祈願という名目でK神社に誘い出してシャベルで殴打し、昏倒した2人を生き埋めにした。
 この時点で殺害と死体遺棄の罪を犯している。そして楠田さんの自宅に火をつけて楠田さんとそのご両親をも殺害している。放火殺人も第一級殺人だ。きみがやったことはどれも万死に値するものだ。
 確かに、櫻木さんを自殺に追い込んだ3人が憎いというのはわかる。だけど、その3人が櫻木さんを直接殺したわけじゃない。それに、櫻木さんの自殺については、楠田さんのご両親に何も責任はないだろう?」


 そこまで話したところで、彼女の顔がさっと赤くなった。


「は? なんですか? じゃあ、勝手に自殺した一桜が悪いってことですか? だから3人は悪くはないって言うんですか? 直接じゃなくたって、間接的にあの3人が一桜を殺したのは事実なんです。だからあたしが3人に罰を与えた。それの何が悪いって言うんですか。心尊の親にも責任はありますよ。あんな、人をいじめるような子供を産んで育てたんですから。そうじゃないですか?」


 これだ。毎回この問答の繰り返しになってしまう。本当に彼女は意固地だ。元来、彼女は勉強のできる、頭の良い子のはずだ。であれば物事についての理解も分別もあるはずなのに「親友」のこととなると思考のすべてをシャットアウトして感情に流されてしまう。そういう問題の話ではないと、どう伝えれば彼女に理解してもらえるのだろうか。私は深く深呼吸をしてから口を開いた。


「何度も言っているけど、阿久津さんのその気持ちはよくわかる。私だって娘がいじめを苦に自殺をしたら、いじめたやつらに復讐をしたくなるかもしれない。だけど、それでは駄目なんだ。そんな事をしても娘は喜ばない。逆に悲しませるだけだよ。もし、いじめた相手を殺したら、きっと娘は天国で『お父さんを困らせちゃった』と泣いてるだろうな。きみの親友の櫻木さんも、天国で今の阿久津さんの姿を見て、泣いているんじゃないかな。『わたしのせいで、いっちゃんが殺人犯になっちゃった』ってね」


 彼女に私には娘がいると話していない事を今、思い出した。


「先生の娘さんも、自殺したんですか?」


娘……、愛実のことか。
「いや、自殺はしていないよ。もう、しばらく会っていないが」


「別居しているんですか? それとも奥さんと離婚したとか」


「そうじゃない。仕事が忙しくてなかなか顔を見せることが出来ないだけだ」


「弁護士って忙しい?」


上目づかいで問う彼女に私は肩をすくめた。
「ああ! 忙しいよ。特に、きみみたいな厄介な案件を抱えているとね。まったく、どうしたらいいのかと毎日頭を抱えているよ」


「なんですかそれ。まるでわたしが素直にじゃないから困っているみたいじゃないですか」


 彼女は苦笑しながら言った。
 素直じゃない――か。むしろ素直なのではないだろうか。彼女は。自分の気持ちに。だからこそ、5人を殺害したことについて絶対に謝らないし、反省もしないと豪語している。だが、やったことについては彼女自身も認めている。今の彼女に必要なのは自分の罪と向き合うことだ。罪と向き合うようにさせるためには、一体どうすれば良いのだろうか。


「道重先生」


「ん?」


「このままだとわたし、本当に死刑になるんでしょうか」


 彼女のこの問いかけも何度目だろうか。私は今までのやりとりと同じ返答をした。


「間違いなく死刑の判決が下されるだろうね」
 はっきりと、いつものように「死刑」の部分を強調した。


「犯行動機が友達を自殺に追い込んだ者たちへの怨みであるということと、きみが未成年であるということもあって一見、同情の余地がありそうだが、きみは人を殺しすぎた。しかも、殺意を以って、計画的に。そこに同情の余地はなく、情状酌量も期待できない」


 彼女はハッと声をあげて、薄暗い天井を仰ぎ見た。
「じゃあ、泣いて謝ったってどっちみち無駄じゃないですか。結局死刑ってことですよね?」
 笑いながら彼女は肩をすくめた。


「そうかも知れない。だけど、未成年の女の子に死刑が求刑されるのは今までなかったことなんだ。もし、仮に一審では死刑判決を言い渡されても、高裁に控訴すればどうなるかわからない。希望はゼロじゃないと思う」


「希望って言ったって、もし死刑にならなかったとしても無期懲役なんでしょ? 死ぬまで刑務所なんて。そんなの生き地獄じゃないですか」


「無期懲役と言っても、死ぬまで刑務所にいるとは限らない。十年もすれば仮釈放の可能性も出てくる。きみがお利口さんにしていればの話だが」


 彼女は鼻を鳴らすと、くだらなそうに目を逸らした。少し風向きが変わったかと思ったのだが、いつもの調子に戻ってしまったようだ。
 いや、以前よりも悪くなっている気がした。完全に開き直って「死刑」の言葉にもまったく動じなくなった。いったいどうすればこんな不遜な態度をとり続けることができるのだろうか。かと思えば、今度は顎を上げて高圧的な態度で彼女はのたまった。


「先生。わたし、やったことは認めます。でも謝りません。死刑も無期懲役も嫌です。何とかしてください。プロですよね?」


 プロか。我儘のお次は無理難題をふっかけてくるクレーマーときたもんだ。ますますため息がでる。


「それは、きみを無罪にしろってことか? 流石にそれは無理だろう。状況証拠も揃っているし、何よりきみが罪を犯したことを認めている。それに、希望はゼロではないと言ったが、高裁に控訴しても棄却される可能性だってある。控訴してもし、裁判まで持ち込めたとしても、できることは減刑を目標に弁論するだけで、無作為に無罪を主張しても、この被告人は反省していないと判断されて、裁判官の心証を悪くするだけだ」


またしても彼女の顔に苛立ちが浮かぶ。


「裁判官、裁判官って。裁判官って一体何様なの。人の事を何も知りもしないくせに。偉そうに赤の他人が赤の他人を裁くってどうかしてるんじゃないんですか。おかしいですよ」


それが裁判官というものなのだが。と心の中で指摘した。


「赤の他人だから、公正な裁判ができるんだよ。もし、きみのお父さんが裁判官だったら娘への情が優先してしまって、罪に対して正しい裁きができなくなるだろう? もっとも、裁判官が自分の家族を裁くことはできないがね」


「でも、わたしが道重先生の娘だったらどうしますか? もし、道重先生がわたしのお父さんで、裁判長だったら?」


 私の話を聞いていなかったのか。そんなありもしない例え話をしたところで、一体何になるというのか。子供の屁理屈だ。まったく、愛実と会話をしている気分だ。あの子もよくこういう屁理屈を言っていた。


「きみは私の娘でもないし、私は裁判長でもない。きみの弁護人だ。そんな意味のない話をここでしても仕方がない。きみは自分のことばかりしか考えていないみたいだが、ご両親の事は考えないのか。きみのお父さんも……お母さんも、きみのことを凄く心配しているぞ?」


「……先生。両親の話はしないでもらえますか」


「しかし、親としてきみの事を心配しているのは事実だろう?」


「もういいです。帰ってください」


 親の話となると、やはり駄目か。今日はこれ以上話をしても変に彼女を刺激してしまうだけだろう。隣のパイプ椅子に置いてあった鞄とコートを手に取って立ち上がる。


「判決日の前日にもう一度来るから」と告げてから面会室を出ようとすると、彼女はおもむろに「待ってください」と言って呼び止めた。
 まだ何か言いたいことがあるのかと思い振り返ったが、彼女は私の脚を凝視しているようだった。なんだろうか。まさか、ズボンに穴が開いているわけじゃないとは思うが。


「先生、背が高いですよね。それに足も長い……」


確かに、身長は183センチあるから高い方だろう。足は、長いのだろうか。


「一応、学生の頃はバスケットをやっていたからな。それがどうかしたのか?」と言うと彼女ははっとして、「別に、なんでもありません」と言って俯いた。私は首を傾げて面会室を後にした。


 拘置所の外は凍えるような寒さで、今にも雪が降り出しそうな空模様だった。これから別の被疑者と接見しなければならない。ふと、携帯電話が振動していることに気が付いた私は、上着のポケットから携帯電話を取り出した。液晶ディスプレイを確認すると、かけてきたのは事務所の滝川美知子だった。


「はい」


 電話に出ると、滝川美知子は肉で喉を圧迫された肥満体特有の低い声で要件を淡々と伝えてきた。ふと、視界の隅に白いものが映った気がして空を見上げると、綿のような雪がちらちらと舞っているのがわかった。


「わかった。それじゃ」


 会わなければならない人間がもうひとり増えた。今日は何時に帰れるのだろうか。鉛色の空を見上げて白いため息をついた。


* * *

『もしかして、道重先生が赤津猪鹿蔵さんですか?』
声にならなかった言葉を心の中で呟きながら、わたしは道重先生が出ていった扉を見つめていた。
「もしかして」と思ってつい呼び止めてしまったけれど、どうなんだろう。先生の反応はよくわからなかった。思い切って訊こうとしたけど、結局訊けなかった。ただ単に背が高くて足が長いという理由からそう思っただけで確証はなかった。仮にもし、赤津猪鹿蔵の正体が先生だとしても、なぜ隠す必要があるのかわからない。
 お金や「あしながおじさん」の本を差し入れてくれたからといって、差し入れてくれた人は背が高くて足が長いとは限らないのかもしれない。でも、少なくともわたしのことを知っている人間だ(と思うんだけど)。


 不意に背後のドアが開くと、そこにいたのは杉浦さんだった。ドアは部屋の中からは開けられないようになっていて、部屋から出るには外から開けてもらうしかない。そもそも、内側にはドアノブがないから開けられるはずもなかった。


「ほら、戻るぞ。廊下に出てくれ。ストーブ、片付けるから」


 マジですか。この温もりが消えてなくなってしまうのはなんとしても阻止したい。とりあえず、自分でも気持ち悪いと思うくらいの猫撫で声を出してお願いしてみた。


「杉浦さ~ん、このストーブ部屋に持っていっちゃ駄目? 今日、すっごく寒いじゃん。これだけ寒いと雪、降ってるんでしょ? 部屋の中寒すぎて凍え死んじゃうよぉ」


「駄目だ。それに持って行ったところで、どこにもコンセントが無いから使えんぞ? 大人しく布団にくるまってろ」


 即答かよ。ちぇ。なんという冷血なおじさんなんだろうか。イケメンなのは声だけね。心はちっともイケメンじゃない。背が高くて足も長いけど、こんな人が「紳士」なわけがない! 
 でもどうなんだろう。訊いてみようかな。だけど頭のおかしい奴と思われるのも嫌だし、あっさり「ああ。そうだよ」と言われてもちっとも面白くない。謎だからこそいいのだ。
 塩崎優輝くんみたいなイケメンがわたしのために差し入れしてくれていると妄想していた方が、まだ楽しいかもしれない。
 妄想を膨らませてにやにやしていると、ストーブを片付け終わった杉浦さんが怪しいものを見る目でわたしを見つめていた。


「可哀そうに。この厳しい寒さでとうとう頭が……」


「おかしくなってないってば!」


「なら、大丈夫だな。ほれ、さっさと戻るぞ」


 ほらほらと追い立てるように杉浦さんがしっしと手を振った。わたしは小屋に追いやられる羊か何かか。
 それにしても今日は本当に寒い。ついさっきお風呂に入ったばかりなのに完全に湯冷めしてしまっていた。ちょうどお昼時に先生が面会にきたからお昼ご飯もまだだった。おかげでお腹がペコペコだ。
 部屋に戻ると、海老原さんがラップに包まれたカレーを持ってきてくれた。受け取ってラップをとると、カレーのいい匂いが食欲を刺激した。冷めているのが残念だけど。


「海老原さん、これ、レンジでチンとかできないの?」


「悪いなぁ。ここにはレンジ、無いんだわ」


 嘘、レンジもないなんて。しかし、今は冷めたカレーでも背に腹は代えられない。幸いなことに、ちゃんとカツも乗っている(彩花さんありがとう!)。


「いただきまーす!」


 スプーンを掴んでがっつくようにカレーを口の中にかきこんだ。はしたないけど、見ているのは海老原さんだけだから気にしない。
「3番。カレー、旨いか」と訊かれて「レンジでチンできたら、あと10倍は美味しい!」と返事をしたら、そりゃあそうだろなぁと笑いながら、海老原さんは廊下を歩いて行った。すりガラスの窓を見ると、サッシにうっすらと雪が積もっていた。


初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (3)に続く


~第二章~ (2)の登場人物


阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。拘置所での生活に飽き飽きしている。公判終了間際に騒ぎを起こした。

道重大輔(みちしげだいすけ)
初華の国選弁護人。裁判で騒ぎを起こした初華の真意を確かめるために面会に訪れた。

杉浦(すぎうら)
Y拘置所の刑務官。面会人の受付や、差入品の授受の業務を担当している。

海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。業務に忠実だが、下ネタ好き。四国訛りがある。

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