見出し画像

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (4)

(4)


「すっごい雪! 宮田くん、雪合戦しようよ!」

 太陽の光を浴びて白銀一色になった運動場を見た初華ちゃんは、屈んでせっせと雪をかき集めだした。
 昨日の昼頃から今日の早朝にかけてかなりの雪が降った。1メートルとまではいかないが、それでも70センチくらいは降り積もった。


「初華ちゃん、天気はいいけどさぁ、寒くないの?」


 快晴の青空の下、飛んでくる雪玉を避けながら彼女に言った。子供は風の子なんて聞くけど、スウェットの上に貸与された薄手のジャンパーを着ているだけの初華ちゃんを見ているとこっちが寒くなる。避けた方向に雪玉が飛んできて俺の肩に命中した。


「クソッ! ヤツはニュータイプか!」


 悔しがる俺に、初華ちゃんはしたり顔で笑っていた。毎朝8時は運動の時間だ。拘留されている人間は運動場に出て、20分のあいだは体操やランニングなど自由に運動して良いことになっている。雪が積もった場合、運動は中止になるのだが、今朝の初華ちゃんは駄々をこねた。

『雪、積もってるんでしょ? 見たい! 出たい! 外に出~た~い~!』


 雪が積もっている運動場に彼女を出していいのかどうかわからなかったので、海老原さんに確認すると、はじめは渋い顔をしていたが『まあ、そこまで出たいんなら、出してやればいいんじゃねぇ?』と返事が返ってきた。
 海老原さんがOKを出したのならまあいいかと思った俺は、あとで所長に何か言われても海老原さんのせいにすることにした。


「まったく、ガキんちょってのは雪が好きだよなぁ」


 噂をすれば、俺の隣で厚手のコートを着た海老原さんが立っていて、一面雪に覆われた運動場を眩しそうに眺めていた。手には雪かき用のスコップを持っている。


「海老原さん、雪かきお疲れ様です!」


 正対して敬礼すると、海老原さんは不満そうな顔で俺を睨んだ。


「宮田ぁ、お前が雪かきしろやあ。俺みたいな50手前のオヤジに雪かきはしんどいわ」


「またまた。海老原さんはまだまだ若いじゃないですか。全然ピンピンしていますし。それに、いつも体を鍛えてるっておっしゃってたじゃないですか」


 そう言うと、海老原さんは急に背筋を伸ばした。


「へっ。まぁな。お前みたいなもやしっ子とは、鍛え方が違うからよ」


「ふんっ」と鼻を鳴らして胸を張ると、それに連動するかのように「どんっ」と腹が出た。鍛え方が違う、ねぇ。


「そういえば海老原さん、昨日は3番の弁護人が面会に来たみたいですけど、その後の彼女の様子はどうでした? なにか話していましたか?」


 気になった俺は尋ねてみた。


「別にいつもと変わらん。俺は昼メシを持っていっただけやけん、3番が弁護士先生と何を話したのかは分らん」


 雪だるまをつくるのに夢中になっている初華ちゃんを見つめながら、海老原さんは白い息をはいた。


「まあ、弁護士先生が3番にどんな話をしに来たのかは大体想像できるけんな」


 たぶん、このあいだの裁判での出来事についてだろう。


「彼女、自分がやったことについて反省をしている様子はないみたいですが、これからどうするつもりなんでしょうね」


「さあな。死刑判決を食らうことになっても駄々をこねて悪あがきするのか、どうするんかは知らんが、本人が決めることやけん。俺らには関係ないことやわ」


 優しいようで案外冷たい人だなと俺は眉をひそめた。


「今のあの子は、自分の事しか考えとらんけん。同情したくってもできんわな。それに、無理やり反省させたところで何にもならんわ――おっと」


 海老原さんが俺の肩口を掴んで勢いよく引き寄せると、俺の顔面に雪玉が直撃した。かなり痛い。冷たさよりも痛みの方が強かった。


「ナイスピッチング!」と海老原さんが言うと、初華ちゃんは「でしょー!」と腰に手を当てて自慢げに白い歯を見せた。


「さすが。スポーツ万能だけあってコントロールもいいな。あんまりここにいると的にされるから俺は退散するわ」


 踵を返していそいそと逃げようとする背中を雪玉が追った。「こらー! 逃げるなー!」と呼び止める声に、「こりゃたまらんわ!」と海老原さんは声を上げながら小走りで去っていった。途中、雪に足を取られて盛大に尻餅をついた海老原さんに「大丈夫ー?」と初華ちゃんは声を飛ばした。海老原さんは手を振って立ち上がると、ゆっくりと雪を踏みしめて建物の角に消えていった。


「海老原さん、派手に尻餅ついてたけど大丈夫かな?」


 寒さで鼻を赤くした初華ちゃんは、白い息を弾ませていた。


「体を鍛えてるって言ってたから大丈夫なんじゃない? お尻を鍛えてるかどうかは知らないけど」


 寒さで手を擦りながら腕時計を確認した。針は8時25分を刺している。運動の時間を5分オーバーしていた。独居房に戻るように俺が促すと、まだ雪だるまが完成してないと初華ちゃんは駄々をこねた。
 埒が明かないので「俺が代わりに完成させておくから。早く戻ろ?」と言ったら「ホント? 約束だよ? もし約束破ったら、宮田くんにHなことされたって彩花さんに言うから」と脅された。


「ちょっと、それは勘弁してもらえるかな。彩花さんが本気にするから!」


 してもいないことで彩花さんに怒られるのはたまったもんじゃない。くそ。こんな一回りも年下の女の子にまでイジられるなんて。悔しいことに初華ちゃんは可愛いから何も言い返せない。


「でも、宮田くんさあ」と、彼女は手の雪を払いながら俺をみた。
「なんで彩花さんのこと、そんなに怖がってるの?」


 ……別に、皆川さんのことが怖いわけじゃない。ちょっと苦手なだけだ。


「怖いっていうより、皆川さんは厳しいから苦手なだけだよ。そりゃ、職場の先輩だから後輩の指導に厳しくあたるのはわかるんだけど、いつも近寄りがたい空気出してるっていうか、どんな時でも気を許してくれない感じがイヤって言うかさ」


「でも、美人だよね?」


まあ、それは確かにそうなんだけど。


「年上は苦手とか?」


 そこは別に問題じゃないし、年上だからとか気にしていない。初華ちゃんはなぜそんなことを訊いてくるのだろうか。


「じゃあ、彩花さんが宮田くんに気を許すようになってくれたら、宮田くんも彩花さんの事は怖くなくなる?」


「まあ、そうだろうね。だから別に皆川さんが怖いわけじゃないってば」


 でも、皆川さんに「胸」の話をしたときは本当に怖かった。今まで感じていた怖さとは全く「異質」の怖さというか。俺が初華ちゃんの「素晴らしい」スタイルについて熱く語れば語るほど反応が冷たくなっていく皆川さんに、周りの空気すらも凍るんじゃないかと思ったほどだ。
 そして、胸の話をした時に音が聞こえた。ハッキリと。「ピシッ」という乾いた音が。本当に。そしてなぜか、皆川さんの方を見ようとしても顔が動かなかった。あれは今思い出しても身震いするほど恐ろしい体験だった……。
 初華ちゃんは、何か汚いものでも見るかのような目で俺を見つめていた。
それは一体どういう反応なんだろうか。


「宮田くんって、お調子者な上に馬鹿でおまけにデリカシーもないんだね。イケメンなのに」


 心底哀れだという風に彼女は盛大なため息をついた。流石にそれは言い過ぎなのではないだろうか。イケメンと言ってくれたのは素直に嬉しい。


「そもそも、宮田くんにとって彼女にする条件は顔やスタイルがいいことなの?」


 彼女? なぜそこで彼女の話になる? 彼女って、つまり恋人ってことだよな。


「いや。顔やスタイルは別に問題じゃないよ。そりゃあ、美人に越したことはないけど一緒にいて楽しいとか、落ち着けるとか、そっちの方が大事だと俺は思うけど」


 それを聞いた瞬間に初華ちゃんはほほう~と言いながら、気持ち悪い笑みを浮かべた。彼女は一体何を考えているのだろうか?


「つまり年上でも気にしないし、スタイルも気にしない。それよりも内面や性格が大事で、できれば美人だったらいいなと。つまりはそう言うことですね? 新人の宮田さん」


 初華ちゃんは、右こぶしを立てて「バッ」と俺の顔に突き出した。どうやら「マイク」のつもりらしい。差し詰め、リポーターごっこのつもりなのだろうか。新人の宮田さんというのが気になるが、面白そうなので俺も付き合うことにした。


「ええ。まあ、そうですね。厳しい中にも優しさと言いますか、甘えさせてくれるところがあれば僕もとっても嬉しいんですけどね~」


「ほほう! 年上の女性にはやっぱり甘えたいと! 年上で、美人で、厳しいけど優しくて、甘えさせてくれる。なるほど!」


 なるほど、うんうんと彼女は頷きながら、
「もし、宮田さんに年上で、美人で、厳しくても優しい彼女が出来たら? どんな気分ですか?」
 と言ってまた「マイク」を俺に向けてくる。


「もう、それこそ最高の気分ですね!」と俺はサムズアップして白い歯を光らせた。


「だそうです! 皆川さん!」と、初華ちゃんは俺のうしろに向かって声を放った。「まさか」と焦って振り向いた先には皆川さんではなく、中村さんがいた。
「なんだ、びっくりした」とほっと胸を撫で下ろして顔を戻すと、顔面に雪の塊を押し付けられた。


「ん~、鈍くてデリカシーのない宮田くんは、少し頭を冷やしたほうが良さそうですね」


 ……一体俺にどうしろと言うのか。我ながらおもちゃにされるにも程がある。そもそも、俺と皆川さんに何の関係があると言うのだろうか。大体、皆川さんは俺のことを出来の悪い後輩としか見ていないだろうし、嫌われている可能性だってある。


「宮田!」


 怒気をはらんだ声に振り向くと、仁王立ちしている中村さんが腕時計を指で叩く仕草をした。時計をみると、すでに8時35分を回っていた。まずい……。
 俺は愚図る初華ちゃんを引っ張って急いで独居房に戻った。これは後でお小言だろうなと憂鬱な気分になった。案の定、3番に舐められすぎだとか、自覚がなさすぎだとか、事務所で中村さんに散々絞られた。


初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (5)に続く


~第二章~ (4)の登場人物


阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。拘置所での生活に飽き飽きしている。この日は、雪が積もっておおはしゃぎ。

宮田(みやた)
Y拘置所の新人刑務官。お調子者でイケメン。初華のことが気になっている。初華に皆川のことを訊かれて戸惑う。

海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。業務に忠実だが、下ネタ好き。美人でスタイル抜群の初華がお気に入り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?