見出し画像

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (1)

(1)


2026年1月16日 

「――いずれの殺害動機も自己中心的で、他者への迷惑を顧みない、非常に身勝手極まりないものである。被告人の生まれ育った家庭環境や、被告人の心情を鑑みても同情の余地はなく、情状酌量に値しない。以上の事から、死刑が人間の存在の根本である生命そのものを奪う最も峻厳な刑罰であり、真にやむを得ない場合における究極の刑であって、その適用は慎重にされなければならないことを十二分に熟考してみても、被告人に対し、命を以って償う極刑を臨むことはやむを得ないと考えます」

 静かな法廷に検察官の声が響き渡る。3号法廷の傍聴席は、新聞関係者以外の30席すべてが満席だった。今回の公判は午前9時から傍聴券が配布され、傍聴を希望した多くの人たちが長蛇の列を作った。30席の傍聴席に対してその倍率は319倍だった。約9581人が傍聴を希望したのである。
 芸能関係者や、財界の著名人の裁判でもないのにこれだけ多くの人が傍聴を希望した理由は、被告人が起こした事件があまりにも非人道的で凄惨であることと、そして、その被告人に死刑が求刑されれば「戦後初」となるからであった。
 万死に値するような重大犯罪の事件ともなれば、判決までに長い期間を費やすだろうと思われていたが、今回の事件は被告人があっさりと罪を認め、反省と謝罪を述べたこともあって、公判2回目にして早々の論告求刑となった。
 そして、今はその論告求刑に皆が固唾を呑んで耳を傾けていた。
ズボンのポケットからハンカチを取り出した検察官は額の汗を拭い、分厚いコピー用紙をめくりながら論告を読み上げていく。そして、法廷内に一際大きく響く声で求刑を告げた。


「よって、検察は被告人に対し、死刑を求刑します」


 約20分にも及ぶ長い論告求刑を読み終えた検察官が深く息を吐く。
被告人に死刑求刑が告げられると、傍聴席が大きくどよめいた。首からネームホルダーを下げているスーツ姿の男女数人が傍聴席を立ち、足早で退廷した。
 おそらく、リポーターなのだろう。廊下で待機していたテレビスタッフが駆け寄り、ピンマイクをスーツの襟に急いでセッティングしている様子が、傍聴人入口扉の隙間から窺えた。


「お静かに願います」


 静まり返った傍聴席から被告人に視線をもどした裁判長は、組んだ手に顎をのせて瞼を閉じた。
 3号法廷には重い空気が漂い、裁判員たちは皆一様に暗い顔をしてうつむいていた。40代の主婦らしき裁判員はハンカチで目元を拭っていて、その隣のサラリーマン風の男は、物憂げな目で証言台を見つめていた。

 被告人が起こした凄惨な事件は、社会に多大な影響をもたらし、余りにも罪が重く、そして断じて許されるものではなかった。被害者遺族の心情を慮(おもんばか)ると、被告人に対して死刑求刑も已む無し。
が、しかし、事件当時18歳の少女があのような凄惨な事件を起こしたなどとは、誰もがにわかに信じ難かった。
 この事件は起訴から昨年の12月24日の初公判までに1年3か月を費やしていた。裁判員の選出に時間がかかったのと、公判前整理手続きに時間を費やしたのが原因だった。特に裁判員の選出には時間を取られた。
 忙しい国民は、自身の生活と関係のないことに時間を割けるほど余裕はない。加えて、事件当時18歳の少女を裁くことなど到底できないという想いから何かに理由をつけて辞退する者が多かった。選出手続きに無断欠席した者もいた。成人した人間ならばいざしらず、未成年の少女を裁けないと言ったところで、無理からぬことだった。


 被告人と呼ばれた少女は長い睫毛を伏せ、死刑を求刑されても微動だにしなかった。背中まである黒髪を後ろに束ねてヘアゴムで縛っている。長い期間、拘留生活が続いているせいか、髪は艶を失い、枝毛だらけで荒れ、毛髪の1本1本があちらこちらに跳ねていた。まるで長い夫婦生活に疲れ果てた中年女性のようだった。
 服装は青い薄手のジャンパーにグレーのスウェットパンツ、履物は茶色のサンダルという、如何にも被告人の装いそのものだったが、すらっとしていて背は高い。170センチはあった。肌の血色はよく、頬はふっくらとしており、鼻筋が通っていて整った顔立ちをしていた。ジャンパーにスウェットという質素な服装ではあるが、そのような恰好をしていても、彼女の身体のラインはしっかりと「女性」を強調しているのがわかる。テレビで見るその辺のアイドルよりも彼女は魅力的であったし、証言台の前に「立って目を瞑っている」だけなのに、彼女は「さま」になっていた。

「死刑です! 被告人に死刑が求刑されました!」


「事件当時18歳の被告人に検察は死刑を求刑しました。未成年の少女に死刑が求刑されるのは戦後、史上初です」


 裁判所から慌ただしく出てきたリポーターたちが、各々のテレビカメラマンの前でまくし立てるようにリポートをはじめる。情報バラエティ番組や、再放送中のテレビドラマにもあの特徴的なメロディが流れると共に、テレビ画面上部に「事件当時18歳の女子生徒に検察は死刑を求刑」のテロップが表示されると、皆が釘付けになった。
 私立聖フィリア女学院の生徒である少女が、同学校の女子生徒3人とその家族2人を殺害したというニュースは新聞やテレビやラジオ、インターネットニュースなどで大きく取り上げられ、連日のように報道された。そして戦後初、いや、日本史上初ともいえる「未成年少女への死刑求刑」の一報は世間を大きく揺るがした。


 静寂に包まれた法廷内で、法廷画家のスケッチブックに筆を走らせる音だけが響く。
 A4サイズのスケッチブックには被告人の後ろ姿、裁判官、そして裁判員たちなどが描かれている。ニュース番組で使用するイラストなのだろう。手早く書き上げて仕上げに入っていた。他のページにも裁判中の様々なイラストが描かれており、今は十枚目だった。約30分で一枚を描き上げている計算になる。
 弁護人が最終弁論を述べているあいだ、被告人は先ほどと変わらない様子で証言台に立っていた。手錠を外された両手は下げられたままで、祈るような形で固く握られている。
 最終弁論を終えた弁護人が着席すると、「被告人、最後に何か言いたいことはありますか」と裁判長はゆっくりとした口調で被告人に問いかけた。ややあって、「何もありません」と小さく呟く声が返ってきた。


「それでは、結審します。次回、判決を言い渡しますので、被告人は来月の2月3日の午前10時に出廷してください。あらためて通知することはないので、忘れずに必ず来るようにお願いします」


 裁判長がそう告げると、戒護員は手に持っていたクリアファイルからノートを素早く取り出して出廷日時を記入した。戒護員は被告人のうしろで座っているだけだったが、途中の昼の休憩をはさんでの5時間に及ぶ長時間の裁判で足腰に疲労が蓄積していた。一刻も早く終わらせて手足を伸ばしたかった。
 2回目の公判が終了して裁判長が閉廷を宣言しようとすると、被告人の様子がおかしいことに気が付いた。


 彼女は俯いて、肩を小さく震わせていた。右手は口元を押えている。長い前髪で顔が隠れているために表情はわからないが、時折「うっく」と嗚咽が漏れ聞こえた。そして、一筋の涙が頬を伝っているのがわかった。その被告人の様子を見た裁判員たちは、死に対する恐怖によって、彼女は涙しているのだと思った。自分の犯した罪を反省し、後悔しているのだとも。


 まだ20歳にも満たない少女が「5人を殺害」したという大罪を犯したとはいえ、司法によって裁かれ、若い命が無慈悲に奪われるかも知れないという事実は、裁判員たちの心情にも堪えるものがあったのだろう。先ほどの主婦は憐憫の情が極まったのか、啜る洟をハンカチでおさえて俯いていた。
 まだ死刑を求刑されただけとはいえ、長い人生のスタートラインにすら立っていない少女が輝かしい未来を断たれ、たった一人で「死」の恐怖と向き合わなければならない。果たしてそのつらさは幾許か。皆がそう思っていた、その時だった。
 下を向いて泣いているはずの被告人の首が、まるでばね仕掛けの人形のように勢いよくグンッと跳ねあがった。長い前髪が上に散らばり、そしてふわりと彼女の額に戻る。口元を押さえていた手は、だらんと力なく垂れていた。そしてさきほどの「しゃん」と背筋が伸びていた姿とは打って変わって、今の彼女はまるで老女を思わせるような、酷く腰の曲がった「猫背」だった。
 彼女の異様な変わり様に裁判員たちはたじろいだ。例の主婦は「今から泣く」ポーズのまま、大きく目を開いて固まっている。サラリーマン風の男は、ぽかんと口を半開きにしていた。それも束の間、彼女の表情を見た裁判官たちは驚愕した。


 最初は彼女の眼だった。見開かれた三白眼が裁判長を真っ直ぐ捉え、じっと見つめていた。その中心の瞳は黒いというよりも「暗かった」。
まるで遺体のように生気がなく、人の輝きというものが感じられなかった。  その眼はどこまでも暗く、濁り、ぽっかりと空いた底のない穴に吸い込まれていきそうな、そんな眼をしていた。生気は感じられないのに、彼女のギラギラとした「殺意」だけは誰もが感じとっていた。そして、彼女の異様な様子にさらに拍車をかけたのが、「口」だった。


 笑っていた――。


 可憐な美少女の微笑みというものは、さぞかし花が綻んだように美しく、見た者を自然と笑顔に変えてしまうような、そんな微笑みなのだろうとこの場にいる誰もが思ったはずだ。
 事実、5人の尊い命を奪った殺人犯とはいえ、とてもそのような重大な罪を犯したとは思えないほどに、彼女は可憐で美しかった。しかし、今の彼女の微笑みは「可憐で美しい少女の微笑み」とはまったくかけ離れたものだった。
 口角を吊り上げ、薄く開かれた紅い唇の隙間からは整った白い歯が覗いていた。口の形はまるで冬三日月を想わせるほどに細く、そして鋭かった。彼女のような美しい少女がこのような表情をするとは思えないほどに、その笑みは邪悪そのものだった。
 先ほどの彼女の嗚咽は泣いていたのではなく、声を「殺して」「笑って」いたのだ。それこそ、涙が溢れ出てしまうほどに。


 閉廷を宣言しようとして、口が開いたままの状態で静止している裁判長。そして、被告人を凝視して時が止まってしまったかのように微動だにしない裁判員たち。その様子を怪訝な表情で見守っていた傍聴人たちが、にわかにざわめき始めた。


「なんでわたしが死刑なんですか? おかしくありません?」


 突如法廷に大きく響き渡る声にその場にいる全員が固まった。イラストを描き終えた法廷画家は、スケッチブックを大きなショルダーバックに片付けようとした姿勢のままで動きを止めていた。
 傍聴人たちは、誰の声なのかわからないという風に辺りを見渡していた。それから少しの間を置き、我に返った裁判長が慌てた様子で閉廷を宣言しようとするが、被告人がそれを遮った。


「わたしの親友を殺したヤツらに仕返しをしただけじゃないですか? あなた、ご自分の娘さんが殺されてもなんとも思わないんですか? それでも父親なんですか」


 さきほどの声とは打って変わって、今の彼女の声はまるで腹の底に響くような狂気を帯びていた。「怨念」というものが「声」になるのだとしたら、まさしくこんな声になるのではないかと思わせるほどに、その声には「おぞましさ」と「禍々しさ」があった。
(……父親?)
 被告人の発言にその場の全員が目を白黒させた。何を言われたのか、意味がわからないといった様子の裁判長の口が「え?」の形で固まっているのがわかった。
 被告人の突然の変貌に慌てた戒護員が、クリアファイルを脇に挟んで立ち上がった。何時間も座っていたせいで足が痺れていたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。太腿を強く叩いて声を張る。


「おい、宮田! 手錠と腰縄!」


 被告人の戒護員で、Y拘置所の刑務官である中村は、新人刑務官の宮田に怒鳴った。あっけにとられている宮田の耳に中村の声は届いていないのか、口を半開きにして茫然と被告人を見つめていた。
 宮田は体育会系の中村と違って線が細く、今どきのハンサム顔だ。M刑務所で3か月間勤務していたが、Y拘置所で退職者が出たために2か月前にY拘置所に転属になったばかりだった。明るい性格だが、お調子者で刑務官としての動きが洗練されておらず、ぼーっとしていて頼りない。


「宮田!」


「え? あ、はい!」


 中村の怒声にはっとして長椅子から立ち上がった宮田だったが、足を踏み出そうとした瞬間に持っていた手錠から伸びている腰縄が足首に絡まり、勢いよくたたらを踏んだ。鈍くさい宮田に中村は舌打ちをした。


「何やってる。縄は俺がやるからお前、手錠かけろ!」


「了解です!」


 中村と宮田が被告人の手首に手錠をかけ、腰縄を縛ろうとするが、彼女は誰彼構わず罵声を浴びせて暴れるため、手錠をかけるのに悪戦苦闘していた。先ほどまでの大人しい様子が嘘のようだった。


「あたしは親友を殺した奴らに復讐しただけだ! あたしは悪くない! 悪いのはあたしが殺したあいつらだ! 死んで当然の最低なやつらだったのに! なのにあたしが死刑? 意味がわかんない! あんたたちなんかに、殺されたあの子の苦しみなんてわかるわけない! あたしの辛さがわかるわけない! わかってたまるか!」


 彼女は、声が枯れんばかりに大声を張り上げた。激しい怒りに満ちた声とは裏腹に、大きく見開かれて焦点が定まっていない瞳はどこまでも暗く、氷のように冷たかった。
 彼女のあまりの豹変ぶりに、さっきの主婦の涙は同情の涙から恐怖の涙に変わっていた。他の裁判員たちも凄まじい罵声を浴びせられ、すくみ上っている。この異様な事態に傍聴人たちも騒ぎ出しはじめて収拾がつかなくなっていた。


「本日はこれにて閉廷します! 被告人は速やかに退廷してください! 傍聴人の方々も、早く退廷してください!」


 裁判長が大声で閉廷を宣言した。被告人の罵声は、出口へ向かおうとしている傍聴人にも飛び火した。飛びかかろうとするような勢いで体を捩り、唾を飛ばしながら叫び続ける彼女を中村は腰縄を引っ張って制した。


「やめろ! 終わったんだから、ほら。行くぞ!」


「ささ、帰りますよ! 段差あるから足元に気を付けてくださいね」


 宮田が先導した。相変わらず呑気でマイペースな後輩にあきれながら、中村は被告人の肩を押し、引きずるようにして被告人用の扉から出て行った。
廊下から「うわあぁぁ!」「うわあぁぁ!」と彼女のヒステリックな叫びが響き渡ると同時に扉は閉まった。そして、法廷に静けさが戻った。3分にも満たない出来事だったが、まるで嵐のようだった。被告人が退廷したのを見送った裁判長は、崩れるように腰をおろして大きく息をはいた。


「……私に、娘はいない」


初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (2)に続く


~第一章~ (1)の登場人物

阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された19歳の少女。

中村(なかむら)
Y拘置所の刑務官。阿久津初華の戒護員として裁判所に同行する。

宮田(みやた)
新人の刑務官。お調子者でイケメン。中村と同じく、戒護員として裁判所に同行。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?